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Posted by TI-DA at

2018年09月24日

『私は貝になりたい』

データ
『私は貝になりたい』(TVドラマ)

評価:☆☆☆☆☆☆☆☆・・
年度:1958年
鑑賞:製作時から数回にわたってブラウン管で視聴。
演出:岡本愛彦
原作:橋本忍、加藤哲太郎
俳優:フランキー堺 桜むつ子 平山清 高田敏江 坂本武 増田順二 十朱久雄 垂水悟郎 佐分利信 
   恩田清二郎 南原伸二 浅野進治郎 細川俊夫 大森義夫 原保美 清村耕次 小松方正 熊倉一雄 
   内藤武敏 佐野浅夫 河野秋武 田中明夫 織本順吉 幸田宗丸 信欣三 梶哲也 永島明
製作国:日本国
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批評

以下、他のサイトに書き込んだ文の再掲載です。(わずかに修正)

私は,
映画『私は貝になりたい』(2008)を見ません。

旧作:フランキー堺さん主演のTVドラマは、少年時代、家族と一緒に白黒TVでなんども見ました。
見ている間は、TVの前から逃げ出したくなりました。でも逃げられず、凝視していました。
見終わったら涙も出ず、ただ身体が硬直していました。

その後も、このときの経験は忘れられません。ストーリーの詳細は記憶から薄れましたが。
難しいことばはまだわからない年齢でした。でも、のちになって
<理不尽>や<不条理>などなどの抽象的なことばと出会ったとき、その概念を理解する上で、このドラマを思い出すことが、ずいぶん役立ったと思います。

小柄な日本人戦犯たちが、裁く者に一切理解されないまま、巨大な米人MPに両腕をとられて、なすすべもなく死刑の宣告を受ける無力さ。
同時に、
上官の(つまりは天皇陛下の)命令ならば、部下は判断の余地すら無くこれに従わざるを得ない戦争の非道さ。

一つのドラマを見るだけで、たくさんの真実がわかってしまいました。
戦勝国/敗戦国の区別なく、ふつうの人の身の上にふりかかる戦争の不条理を根本から批判する作品です。


作品も観ないでジャニーズの中居さんを責めているわけではありません。
俳優自身にその<ふつうにある理不尽さ>が理解できる時代ではないのかもしれません。
ざっと30代の俳優を思い出してみて、
あの時代の<ふつうさ>を表現できる役者がいるようには思えないのです。

1985年にリメイクされた『ビルマの竪琴』を観た時、主演の中井貴一さんの好演があってさえ、これはウソだ、ウソの作品だと思いました。
兵隊たちが戦時中の体型、肌の血色、表情ではないのです。
飢餓と孤独を知らない俳優やスタッフたちが、なまなかの決意で製作できるはずがないのです、戦時中の映画は。
ですから、今回の映画は観ません。






『房江 健一 さようなら

お父さんはもう二時間ほどしたら死んでいきます
おまえ達とわかれて遠い遠いところへ行ってしまいます

 もう一度会いたい
 もう一度みんなで暮らしたい

許してもらえるのなら手が一本 足がひとつもげてもいい
  おまえ達と一緒に暮らしたい
でももうそれも出来ません

せめて生まれ変わることが出きるのなら・・
いいえ お父さんは生まれ変わっても人間になんかはなりたくありません
 人間なんて嫌だ
 牛か馬のほうがいい
いや 牛や馬ならまた人間からひどい目に遭わされる
どうしても生まれ変わらなければならないのなら いっそ深い海の貝にでも・・・
 そうだ 貝がいい

貝だったら 深い海の底の岩にへばりついているから なんの心配もありません
 兵隊に取られることもない
 戦争もない
 房江や健一のことを心配することもない

どうしても生まれ変わらなければならないのなら
・・・わたしは貝に・・・(刑場鉄扉閉まる)

深い海の底の貝だったら
  戦争もない
  兵隊に取られることもない
  房江や健一のことを心配することもない

どうしても生まれ変わらなければならないのなら
・・・・・・・・・私は貝になりたい』


以上、橋本忍氏の脚本より引用



追記1:BC級戦犯に対しては国家による補償が行われています。(十分なはずはありませんが)
国家の命令で兵役に就いたのですから当然です。
しかし、同じ戦犯となった朝鮮人兵士には補償が支払われていません。当時は同じ日本軍人であったにもかかわらず。
戦争の不条理と理不尽は今もなお続いているのです。

追記2:長じてこのドラマを見直す機会があった時、ようやく違和感を感じました。それは、あの戦争自体は大日本帝国が始めたことなのに、その点が(裁判以外)、全く描かれていなかったことです。とはいえ、一兵卒までが裁かれる戦勝国による裁判の理不尽さとフランキー堺さんの死に物狂いの演技の価値は変わりません。なお、実際の極東裁判では、一兵卒が死刑に処せられた例はないはずです、念のため。

追記3:TV放映の翌年でしたか、この作品は映画化されています。主演はフランキー堺さんですが、奥様役が桜むつ子さんから新珠三千代さんに代わるなど、キャスティングは異なります。私はそれも観ているはずなのですが、TV版を複数回鑑賞して印象に残っていますので、それを念頭に書きました。
  


Posted by gadogadojp at 10:00Comments(0)TVドラマ

2018年09月24日

『アリス・イン・ワンダーランド』

データ
『アリス・イン・ワンダーランド』

評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2010年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。
監督:ティム・バートン
原作:ルイス・キャロル
音楽:ダニー・エルフマン
俳優:ミア・ワシコウスカ(アリス) ジョニー・デップ(マッドハッター) ヘレナ・ボナム・カーター(赤の女王) 
   アン・ハサウェイ(白の女王) クリスピン・グローヴァー マット・ルーカス
声優:アラン・リックマン マイケル・シーン クリストファー・リー マイケル・ガフ
製作国:アメリカ
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本作は在庫一掃私の鑑賞記録(ログ付け)のための記事の一環です。昔書いたままの文章、短か過ぎるコメントや古い記憶に基づく記述の場合もありますのでご了承ください。再見の機会があれば、補足修正する可能性が高いです。




パンフレットより

コメント

封切り初日に『アリス・イン・ワンダーランド』をみてきました。
3Dにはさほどの関心はないのですが、
ティム・バートンとジョニー・デップのコンビ映画と聞けば、
行かずにはおれません。


『不思議の国のアリス』の後日譚になります。
アリスはもう少女ではありません。


『シザー・ハンズ』
『チャーリーとチョコレート工場』
『スウィーニー・トッド』

どれも好きなものですから。

結果、
3Dは目に悪い。
3Dの字幕は浮き上がって気持ち悪い。

ことが判明しました。

映画?
もちろんおもしろかったですよ、

こういうイルージョン、好きですから。

ジョニデはもちろんはまりすぎるほど達者でしたが、
白の女王が特にヘン、で収穫。
原作では一番好きなチェシャ猫が目立ってたし。

ただ、
二人のコンビで作る映画の主役/脇役は常に社会的には超マイナーな存在。
それは今回も同じ。
ですが、
マイナーをどう生きるか、
その生きづらさや、
マイナーゆえ、そんな自分ゆえに訪れる破滅が、
どこか観客に突き刺さったとげのように
見終わったあとも消えないのですが、

「アリス・イン・ワンダーランド」の主役はアリス。
アリスの物語はハッピーエンド。

そりゃあないだろ、
とは思いましたよ。


しかしジョニー・デップさん扮する帽子職人、
あるいは頭でっかちの赤の女王、

に焦点をあてて考えるなら、
この作品はハッピーエンドとは言えませんね。

帽子職人のキレ方は、
きっとずっとそのままだし、

とりわけ
自分の頭のでかさに劣等感を持ちすぎて、
(とてもヘンだけど)美人の妹に引け目を感じすぎて、
ひたすら残酷にふるまい、
家来にも「奇形」になることを要求した赤の女王の運命は、
うん、
ハッピーエンドじゃないね。


なんか無理して
アンハッピーに持ち込もうとしている私だ。




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Posted by gadogadojp at 10:00Comments(0)映画

2018年09月22日

『少年メリケンサック』

データ
『少年メリケンサック』

評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2009年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。2018BS/CSで再視聴。
監督:宮藤官九郎
俳優:宮崎あおい(栗田かんな) 木村祐一 勝地涼 田口トモロヲ 三宅弘城 ピエール瀧 佐藤浩市 
   ユースケ・サンタマリア 田辺誠一 哀川翔 烏丸せつこ 犬塚弘 中村敦夫 波岡一喜 星野源
   SAKEROCK 池津祥子 水崎綾女 広岡由里子 児玉絹世 犬塚弘 仲野茂
製作国:日本
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パンフレットより


コメント

まず第一に、コメディは役者の存在感を無視しては成功しないことを証明してくれた作品のように思います。
佐藤浩市、木村祐一、田口トモロヲ、三宅弘城、ユースケ・サンタマリア、田辺誠一、哀川翔、ピエール瀧etc.(敬称略)の皆さんの存在感は、それはそれはお見事。

でも、そんな上々の役者をそろえるだけ(そろえすぎると)では調和がとれず、成り立たないのもまたコメディ。
つまり、笑えないコメディもどき。つまりは超駄作。
そこに大きな役割を果たすのが、本作の場合は主役であり狂言回しであり文字通りセンターである宮崎あおいさん。
おっさんたちを(翻弄されているようで)無自覚にあやつる若く平凡な女性をみごとに演じています。
その意味では成功です、このコメディ。

本作は、NHK大河ドラマ『篤姫』の直後に製作されています。
ギュッと凝縮せざるを得なかった大河ドラマを終えた宮崎あおいさん、イメージの固定化を防ぐ為だけではなく、精神的にも解放される芝居に出演したかったのではないかとは妻の弁です。
その通り、本作における宮崎あおいさんの生き生きした千変万化の表情は、かわいいの一語に尽きます。


宮藤官九郎さんが脚本を書いた映画を観るのは、本作でたぶん5作目、その後は3作くらいでしょうか。
(映画以外でもたくさん見ていますが。)
彼の作品の笑いのツボは、私のそれとしばしばズレてしまいます。
本作ではそれでも三つのうち一つはヒットしますので、合計するとまずまず楽しめます。
(私たちは今、多数の温泉が湧く街に暮らしています。車に乗っていて、源泉の硫黄の匂いガスると、「500円」と叫び合っています。仲良しでしょ。本作の影響がいまも残っているのです。見ていないかた、ごめんなさい。)

彼の作品の中で今でも一番好きな作品はコメディではなく、『GO』です。
宮藤さんの脚本のデビュー作ですが、金城一紀さんのしっかりした原作がありました。
その後の作品でも、『ピンポン』、『真夜中の弥次さん喜多さん』など原作のある作品はコメディであっても好きです。
それに比べて『舞妓 Haaaan!!! 』など原作のない彼の脚本は、どうも印象が希薄です。
本作も、宮崎あおいさんが出演していなければ記憶に残っているかどうか。

TVでは『あまちゃん』や『ゆとりですがなにか』のように原作のない佳品があるので、私とのたまたまの相性なのかもしれません。
でも今のところ宮藤さんは骨太の(←自民党にすっかり換骨奪胎されてしまった語句ですね)、あるいは社会性のあるストーリー作りには向いていないのかもしれません。
でも、次回作に期待します。



パンフレットより

P.S.
その後BS/CSで再視聴しました。
記憶よりも一層面白くて、☆一つ加えました。
私もクドカン慣れしたのかもしれません(笑)が、
宮崎あおいさんの喜怒哀楽すべてを満喫できる幸せを以前にも増して感じましたから。

データ欄の俳優の項目の人数を増やしました。

木村祐一さんは器用な方には見えませんが、どの出演作でもピッタリハマる役についていますね。
もしかして実は木村さんは達者な俳優だったのか、と錯覚してしまいそうです。
そして木村さんの若い頃を演じた波岡一喜さんの笑顔が可愛いことに気づきました。
佐藤浩市さんと木村さんの息が合ってますね。
田口トモロヲさん、儲け役ね、と妻。
星野源さんが出演し、歌まで歌っていました。驚き。
浜野謙太さんもチョイ役で。

やはり映画は間をおいて二度見するものですね。
  


Posted by gadogadojp at 10:00Comments(0)映画

2018年09月20日

『海よりもまだ深く』

データ
『海よりもまだ深く』

評価:☆☆☆☆☆☆☆・・・
年度:2016年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:是枝裕和
主題歌:ハナレグミ『深呼吸』
俳優:阿部寛 真木よう子 樹木希林 小林聡美 リリー・フランキー 池松壮亮 吉澤太陽 中村ゆり 
   高橋和也 小澤征悦 峯村リエ 松岡依都美 古舘寛治 ミッキー・カーチス 蒔田彩珠 橋爪功
製作国:日本
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写真は全て公式HP予告より

コメント

2018年9月15日、俳優樹木希林さんが逝去なさいました。
ここに謹んでご冥福をお祈りいたします。


我が家では9月17日夜、樹木希林さんを偲ぶ会と銘打って、本作『海よりもまだ深く』を上映いたしました。
妻は二回め、私は初めての鑑賞になります。

本作では少数の登場人物間の愛情が描かれています。
その愛情群のベクトルの向きは篠田淑子(樹木希林さん)から放射され、篠田淑子に集約されます。
ですから、「海よりもまだ深い」愛情があるとすれば、それはとりもなおさず篠田淑子の愛情です。
中でも彼女が息子篠田良多(阿部寛)を思う気持ちが劇の情感の軸となります。

けれども、樹木希林さんの逝去二日後に鑑賞したことが大いに影響したのだとは思いますが、私は別の印象を強く持ちました。「海よりもまだ深い」という形容が、樹木希林さんご本人のお人柄にこそふさわしいように受け止めました。名優や怪優などという言葉では表現しきれない人間内田啓子さんの壁の見えない奥行きが、映画という表現手段によって世界に浸透していくのだなと感じました。全身を病魔に侵されながらなおかつその演技を止めることのなかった力強さが、雷鳴のように私に轟きます。
感謝します、本当にありがとうございました。


作品そのものの話題も少々書きます。と言いますか、役者さんについてですが。

阿部寛さんは、私の考える「イケメンコメディアン三羽烏」の一人です。
中井貴一さん、佐藤浩市さん、そして阿部寛さん。
中でも阿部寛さんは、堤幸彦監督『トリック』・『自虐の詩』、三谷幸喜監督『ステキな金縛り』などによって最高のコメディアンとしての位置を不動のものにしました。
本作でもその独自の演技、特に大きな目を生かした情けない表情によって、ダメ男ぶりを遺憾なく発揮しています。

目といえば真木よう子さん。
元夫篠田良多のダメ男発言をキロっと睨む元妻白石響子の目は彼女にしかできないような気がします。良多はきっと響子に母性を求めたのでしょうね。

小林聡美さんは、樹木希林さんの娘中島千奈津を演じました。
冒頭の二人の掛け合い会話が素晴らしくて、本作の水準を決定づけました。
故樹木希林さんの軽妙洒脱な演技の後継者かもしれません。
(奥行きの深さの後継者は余貴美子さん、かな。)

池松壮亮さんは篠田良多の同僚。
とことん優しい演技に涙腺が緩むほど。良多という男は、母親的な人々に包まれないと生きていけないのでしょう。

リリー・フランキーさんは篠田良多のボス役。
私の純然たる好みの問題ですが、リリーさんや吉田鋼太郎さん、松尾スズキさんのようなキューピー顔の癖のある俳優は好きなのですが、決して主役を張ってもらいたくないのです。俺が俺が感を強く感じすぎて疲れます。その点こういうスパイシーな役柄は適役かと。
業務を逸脱した良多の行為を責める場面があったのですが、その前から、あこれは良多を責めるんだな、と匂わせる演技がもう上手すぎます。

中村ゆりさん、いいですね。安藤玉恵さんと並ぶ、若手脇役の宝。彼女の登場で作品の足が地につきます。

蒔田彩珠(まきたあじゅ)さん、TV『ゴーイング マイ ホーム』で(私には)鮮烈なデビューを飾った子役でしたが、本作やTV『anone』で少しずつ成長した姿を垣間見せてくれます。間もなく他ならぬ是枝監督の手によって、満を持して大役に抜擢されるものだと期待しております。
『ゴーイング マイ ホーム』でも阿部寛さんと共演しました。そういえばそのドラマでの阿部さんの役名も良多でした。






批評

本作の評価☆7のうち☆1の分は、樹木希林さんへの香奠がわりです。
私はこのような狭い人間関係のドラマでなおかつ社会的広がりを持たない作品はさほど好きではありません。
ただただ俳優さんたちの名演技とそれを引き出した監督の手際に感嘆しただけの映画でした。(そういう意味ではパーフェクトでした。)

樹木希林さんと阿部寛さんが演じるような親と子の強い絆は、
私には乗り越える課題の一つでもありましたから余計にそう思います。
母がベランダで育てるミカンの木を「花も身もつけないけれど水を欠かさない」と育てるシーンをイタイと感じる私で良かったと思います。

もっとも、あたりまえですが、
樹木希林さんも分かった上で演じておられるはずで、
絶対に侮ってはいけない俳優さんなのです。






特筆したいのは、「団地」の映像化です。
素晴らしい小道具や美術の成果で、団地の一室の内部とそこに住む篠田淑子の生活が小宇宙のように再現されました。
長身の良多なら軽々と届く天袋。そこに仕掛けた姉の悪戯。
「違いがわかる」などと古いセリフを言いながらインスタントコーヒーを淹れる淑子。

妻によれば、子供が巣立った後アップデートされない老人の生活ぶりがよく表されていた、と。
もっとも、通販で防水ラジオを買ったりする好奇心や、近所の素敵なおじさまが主催するクラシック音楽鑑賞会に参加するなどの前向きさはきっちり保っている淑子です。

子供二人、千奈津と良多は、孫を連れて時々遊びに来ます。
淑子の年金やタンス預金を当てにして、でもありますが、淑子は彼らを愛情深く迎え入れます。
「海よりもなお深く」


名人行有限公司さんのYoutubeから、『別れの予感』テレサ・テンさん

おまけ:池松壮亮さんの謎がかいまみえます。・・・あなたがなりたかった大人は?
  


Posted by gadogadojp at 10:00Comments(0)映画

2018年09月18日

『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

データ
『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

コメント
評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2017年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:アンディ・ムスキエティ
原作:スティーヴン・キング
音楽:ベンジャミン・ウォルフィッシュ
俳優:ジェイデン・リーバハー(ビル) ジェレミー・レイ・テイラー(ベン) ソフィア・リリス(ベバリー) 
   フィン・ウォルフハード(リッチー) ワイアット・オレフ(スタン) チョーズン・ジェイコブズ(マイク)
   ジャック・ディラン・グレイザー(エディ) ジャクソン・ロバート・スコット(ジョージー)
   ニコラス・ハミルトン ステファン・ボガルト モリー・アトキンソン
   ビル・スカルスガルド(ペニーワイズ)
製作国:アメリカ
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予告編より


批評とコメント

冒頭で紙の船が路上を流れて行くシーン、
黄色いレインコートを着たジョージーがそれを追いかけるシーン、
ここは秀逸で、いまだに頭から離れません。


ホラーとしてだけでなく、一般ジャンルの映画としても通用する水準で制作されています。
と、感じるように作られていますが、やはり<IT>の存在なしではありえないストーリーの展開ですから、ホラーではあるのです。

少年少女のリリカルでわい雑な友情が生き生きと描かれていて、そのポイントは高いですね。
同じ原作者の映画『スタンド・バイ・ミー』を思い出してしまいます。
しかし両作で大きく異なるのは、本作は(主要人物にとっては)ハッピーエンドであるということ。
誰も殺されない、という点が一つ。
さらに、凶悪ないじめっ子や性的虐待を繰り返す父親、子供を私物化している母親に「NO!」と言えるようになるなど、各人がそれぞれ強くなったことが二つ目。
言い換えればその点が作り物臭さを残すのですが、<IT>という仮想の存在を設定することで全体が生きてきます。
ですから、まあ、犠牲者が多いわりにほんわか楽しめる作品です。
(対して『スタンド・バイ・ミー』の場合は、犠牲者らしい犠牲者はいませんが、ヒリヒリした心がずっと残ります。)


べバリー役のソフィア・リリスさんは、本作公開時にはまだ15歳だったということですが、なかなかチャーミングな女優さんなので、今後活躍されることでしょう。


ジェレミー・レイ・テイラーさんが演じるベンは、図書館に引きこもり、町の歴史の勉強をしています。過去の悲惨な出来事からいくつもヒントを得るのですが、彼をもう一歩物語の芯に近づけ<IT>の正体を探り当てさせて(子どもレベルであっても)グループが対処する展開にした方が深みが出たと思います。
また、ベンはべバリーに惚れたのですが、その恋はどうやら報われません。しかしそこをさらっと流しすぎました。文系太っちょに恋はかないませんか?
ベンの扱いを見ていると、当たり障りのない「お子様映画」を作ろうとしたのだなと確信できます。
お伽話だってもっと残酷なことは、デル・トロ監督の作品を見ていればわかります。
本作がホラー映画としては全米史上最高の観客動員を記録した、と聞くと、抜かれた『シックス・センス』の肩を持ちたくなります。


<IT>、つまりペニーワイズという名のピエロの口元、前歯がビーバー。
妻は、作中で紹介された町の由緒が、そもそもビーバー狩りの野営地から始まる(その後全員死亡)という説明と結びつけていました。
なるほど、と思いましたが、作中では特にその後言及はありませんでした。
ビーバーの呪い映画でもよかったんですけれどね、私たちは。




予告編より  


Posted by gadogadojp at 10:00Comments(0)映画

2018年09月16日

『日の名残り』

データ
『日の名残り』
(Remains of The Day)
評価:☆☆☆☆☆☆☆☆・・
年度:1994年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。2018年BS/CSで再視聴。
監督:ジェームズ・アイヴォリー
原作:カズオ・イシグロ
俳優:アンソニー・ホプキンス(ジェームズ・スティーヴンス) エマ・トンプソン(ミス・ケントン) 
   ジェームズ・フォックス(ダーリントン卿) クリストファー・リーヴ(ルイス)
   ピーター・ヴォーガン(ウィリアム・スティーヴンス)ヒュー・グラント(カーディナル) 
   マイケル(ミシェル)・ロンズデール(デュボン・ディブリー) レナ・ヘディ(リジー) 
   ベン・チャップリン(チャーリー)
製作国:イギリス/アメリカ
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予告編より


コメントと批評

英国貴族ダーリントン卿は「拳闘でもゴングが鳴れば試合は終わる」と執事スティーヴンスに説明します。
客観的な一般論のように見えますが、その理屈を支えるのは「ドイツ人の親友が自殺をした」という自分だけの感情です。
そうして、第一次世界大戦後のドイツの復興へ手を差し伸べました。
ナチス=ヒトラーの台頭と第二次世界大戦の勃発に、かつての敵国の有力者が助力したことになります。

遅いのですよ、ダーリントン卿、せっかく雇い入れたユダヤ系ドイツ人の娘二人を、ドイツびいきの客たちに迎合して首を切って
後で悔やんでスティーヴンスに呼び戻させても。
二人はもうアウシュビッツで消えたかも知れないのに。


私たちもよくやってしまいます。
自分本位の狭い守備範囲だけから沸き起こる感情や打算や保身に、普遍的な衣をまとわせて自分以外の他人や社会まで動かす「論理」に見せかけてしまうことは。
私にも思い当たることが無数にあります。みなさんもそうでしょう。ですから個人レベルの具体例は敢えて省いておきます。
国家レベルでも枚挙にいとまはありません。
例えば大東亜共栄圏、例えば原発再稼働、例えば辺野古新基地建設・・・

一般的論理を自分(たち)の打算や感情や保身を隠すために使う生き物のようです、私たちは。
言語を持った生物の宿命と諦めず、人類の発展の中で消えていく未熟な悪癖だと思いたいものです。



予告編より


さて、結果としてナチズムに寛容だった英国貴族のそれゆえの悲劇と、その貴族に仕えた執事のごく個人的な物語が同時進行して進む映画が本作です。
社会的な激動に翻弄される個人の物語はごく普通に存在し、秀作もまた数多いのですが、
社会的な激動を背景にしながらも微動だにせず、ふつうの人間がふつうに暮らそうとする物語を描いた映画作品となるとぐっと数は減ります。
(もちろん両者が無関係なまま終わるなら物語として成立しないのですが、主人公はそれでも自分らしく生き抜こうとするのです)
傑作『この世界の片隅に』の主人公すずさんはその好例です。
「野のハコベだって食べられる」というすずさんの姿勢は、じれったくもありたくましくもあります。
同じような感想は、本作の主人公執事スティーヴンスにも感じられるところです。

物語の個人的な側面は、執事スティーヴンスと家政婦ミス・ケントンとの恋が中心となります。
「名優」アンソニー・ホプキンスさんの「重厚」な演技と、「名優」エマ・トンプソンさんの「表現力豊かな」表情とのからみになりますから、観客は一瞬騙されます。まるで沈着冷静で酸いも甘いも嚼み分けた中年男女の淡い恋心を描いているのかと。
けれどこの映画のこの面での本質は、まるでウブな中学生男女が、何かにこだわってうまく恋を伝えられずにすれ違うような物語なのです。
そこだスティーヴンス、そこでキスしろ!と観客は思うのですが彼にはできないのです。
じれったいのです。
真に地に足のついたすずさんよりも、父親譲りの職務という観念に縛られた(恋愛については)ダメ男なのです、スティーヴンスは。

社会的な激動に心動かされそうになっても、執事としての分をわきまえて完璧にこなそうとする彼は、
己の慕情に身も心も委ねてしまう自分など決して許されないことなのでした。
ご承知の通り、イギリスは階級社会です。
執事は決して富裕層ではない、紳士とは扱われない階層の人間の仕事です。
その中で完璧に仕事をやり遂げることが彼の誇りであり尊厳(dignity)を維持する行為なのです。
職場での恋愛を禁じてきた彼が自ら恋に落ちていることは、決して他人に見せて良い振る舞いではなかったということです。

主人のダーリントン卿ならば、支配階層の強みで、恋心を一般化し正当化できたかもしれませんけれど。


カズオ・イシグロさんの原作は読んでいません。
スティーヴンスが旅先で少し誇大な自慢を匂わせる(チャーチルと知り合いであったような)など、抑制を効かせながらも人間味が仄見える瞬間などはとてもユーモラスに感じました。
そういう少々皮肉や風刺の効いたユーモアやウィットは原作に含まれた重要な要素ではないのかな、と勝手な推理をしています。


米国人俳優故クリストファー・リーヴさんが米国からの新たな主人として登場します。スーパーマンの登場かと驚きました。彼の演じるルイスは、戦前にこの屋敷の会合に参加したものの、ナチス=ドイツ援助にたった一人で反対した人物として描かれます。彼の落馬事故は本作公開の2年後のことでした。


主役の二人の俳優、アンソニー・ホプキンスさんとエマ・トンプソンさんは私のとびきり好きな役者でもあります。
結婚前、妻に「好きな女優は?」と尋ねられたとき、「エマ・トンプソン」と答えた私です。
でも後でよく考えてみれば、彼女の出演作はその時点で本作しか観ていなかったのです。
いいかげんな答えをしたととるのか、本作の印象がそれほど強かったととるか、それは妻次第ですね(笑)

でも、繰り返しになりますが、ホプキンスさんのわずかな目の動きや身じろぎで内心を表現する超のつく抑制的演技と、目や顔、身振りも使って全身で生き生きと感情や意志を表すトンプソンさんの演技の競演はもはや至福の境地なのです、私には。

  


Posted by gadogadojp at 10:00Comments(0)映画

2018年09月14日

『許されざる者』

データ
『許されざる者』

評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2013年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。
監督:李相日
原作:デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ(オリジナル脚本)
俳優:渡辺謙(釜田十兵衛) 柄本明(馬場金吾) 佐藤浩市(大石一蔵) 柳楽優弥(沢田五郎)  
   忽那汐里 小池栄子 近藤芳正 國村隼 滝藤賢一 小澤征悦 三浦貴大
製作国:日本
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パンフレットより


コメント

暴力の時代を生きた男が暴力のない時代に生きられるか

いかに幕末の動乱を生きたとはいえ、
人殺しの過去を背負った者たちが暴力と無縁で生き直すことの難しさ。
暴力の空虚さを知ってしまった上で再び暴力を振るった男と、暴力的であり続けてさらに野心を燃やす男とが出会った。
オノレもヤツも許されることはないのだと知ったからには、解決は暴力のほかない。

そういうモチーフの映画です。
もちろんクリント・イーストウッド監督による同名の傑作映画のリメイク。
原作での、西部開拓時代の終わりを、
本作での、明治維新の動乱の終わりに置き換えてうまく行きました。

イーストウッド監督の平和と友愛への祈りが、
李監督に受け継がれて新たな映像作品に化けていく。
マイノリティーへの敬意を深めて。

元作と比較して好き嫌いで批評するのは簡単ですが、
それはかなり無意味ではないかな、と感じましたので、ここでは控えておきます。
リメイクとしては上々ではないでしょうか。
大作にありがちな冗長な気恥ずかしさがありません。
素晴らしく美しい北海道ロケの映像と、柄本さん・小池さんと出会うだけでも、見る価値はあります。

また、映画中でもっとも目を引いた俳優は沢田五郎を演じた柳楽優弥さんでした。
五郎はアイヌと和人の血の混じった青年で、渡辺謙さん演じる十兵衛と行動を共にするのですが、
その境遇からの脱却を願うエネルギーがほとばしるような演技は秀逸でした。
聞くところによると、監督や渡辺謙さんには随分鍛えられたということ。
役者としての脱皮を果たした作品になったのではないでしょうか。
(私はここから彼のファンになりました。)


なお、些細な注文を一つだけ書かせてください。
役名が、その俳優が演じるカラーというかオーラというか、と合致せず、違和感がとてもありました。

たとえば、渡辺謙さん演じる主人公は、<釜田十兵衛>という名を持っているようには思えません。この名にふさわしい俳優は、たとえば小林薫さん、古田新太さん。
たとえば、敵役に<大石一蔵>という名をつけるなら、演じる俳優は佐藤浩市さんではなく、たとえば石橋蓮司さん、生瀬勝久さん。
渡辺謙さんや佐藤浩市さんを起用する企画ですから、別の名を用意すべきでした。

要するに語感やコトダマの違和感ですから、単なる私の主観的判断に過ぎないのですが、
私は登場人物の名付けは重要だと思っています。
  


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2018年09月12日

『ミミック』

データ
『ミミック』

評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:1998年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:ギレルモ・デル・トロ
原作:ドナルド・A・ウォルハイム
音楽:マルコ・ベルトラミ
撮影:ダン・ローストセン
俳優:ミラ・ソルヴィノ(スーザン・タイラー博士) ジェレミー・ノーサム(ピーター・マン博士)
   アレクサンダー・グッドウィン(チューイ) ジャンカルロ・ジャンニーニ(マニー) 
   チャールズ・S・ダットン ジョシュ・ブローリン アリックス・コロムゼイ 
   F・マーレイ・エイブラハム ジェームズ・コスタ ノーマン・リーダス
製作国:アメリカ
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コメント

私はギレルモ・デル・トロ監督作品の新参者です。
でも、上っ面だけでしょうが、デル・トロ監督らしさが少しわかってきました。

①暗く湿気を帯びた画調とダーク・異世界的な存在。
②少年少女を重要な役で起用。
③お伽話らしさの漂う設定やストーリー。
④信仰と裏切り、と言う問題意識。
⑤貧しい、あるいは虐げられた少数者の側に立つ視点。

ハリウッド進出第一弾となった本作では③が少し後退しているように見えますが、全体としてギレルモ・デル・トロ監督らしさの溢れる作品になりました。少し例をあげます。

人間に擬態する(mimic)昆虫という発想が実にワクワクさせてくれます。

自閉症の子どもチューイ(アレクサンダー・グッドウィンさん)の造形は監督ならでは。
スプーンをカチャカチャ鳴らす仕草がリアルに感じられます。

監督が信奉する映画という『エイリアン2』では、一匹のメス(女王エイリアン)が重要な役割を果たします。本作では一匹だけ存在するオスがポイントになります。
終盤になって初めて登場するオスは、(生き餌として飼われていると観客に思わせる)チューイを一見襲っているように見えます。
しかしよく見ると差し伸べたその手?はまるで「行かないでくれ」と言うかのように穏やかです。

また、④の点については、スーザン・タイラー博士がDNA操作で創り出してしまった(1998年の映画ということを斟酌してくださいね)昆虫を「ユダの血統」と名付けている暗喩で明らかです。
この「ユダの血統」が本作内で最初に捕食した人物は、貧しい人々を支援していた牧師でした。


さて、いくつか挙げた例が、そのまま本作の物足りなさに直結している、と私は思いました。
というのは、(チューイの造形を除き)それぞれの掘り下げがほんの少し不足しているのです。
たとえば、長身の黒づくめの紳士にも見える新種の昆虫が、街中にいる様子をもう少し見たかったと思います。
それらがアメリカで上映する映画の時間上の制約だったとすれば残念です。

最後に俳優について。
主役のミラ・ソルヴィノさんは、かわいらしさと知性とが両立している魅力的な俳優さんですね。
少し調べたところ、彼女はハーバード出身とのこと。なるほど。
ジャンカルロ・ジャンニーニさんが映画を引き締めています。チューイと二人で暮らす靴磨きのおじさん役です。彼一人が本格的な役者の存在感を醸し出していました。



  


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2018年09月12日

『スクリーム』

データ
『スクリーム』
SCREAM
評価:☆☆☆☆☆☆☆・・・
年度:1997年
鑑賞:封切り数年後にレンタルビデオで鑑賞。2018年BS/CSで再視聴。
監督:ウェス・クレイヴン
脚本:ケヴィン・ウィリアムソン
音楽:マルコ・ベルトラミ
俳優:ネーヴ・キャンベル ドリュー・バリモア スキート・ウールリッチ マシュー・リラード 
   ローズ・マッゴーワン コートニー・コックス デヴィッド・アークエット ジェイミー・ケネディ 
   ケヴィン・パトリック・ウォールズ W・アール・ブラウン ヘンリー・ウィンクラー
   リーヴ・シュレイバー リンダ・ブレア(カメオ出演) ウェス・クレイヴン(カメオ出演)
製作国:アメリカ
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DVDシャケット

コメント

ウェス・クレイヴン監督はあの『エルム街の悪夢』で監督・脚本を務めた人物です。
allcinemaの人物紹介欄には、元は大学の哲学教員だったのが、映画に興味を抱いて転身し、『13の金曜日』の生みの親、ショーン・S・カニンガムと知り合う、と書かれています。
哲学専攻だったことに驚きました。
また、この経歴から、本作の中に『13日の金曜日』の殺人犯は誰かというホラー映画クイズが効果的に使われていることに納得します。
とにかく全編が過去のホラー映画へのオマージュに満ちた作品です。
ホラー映画で生き残るためのルール三原則その1、セックスしたら殺される、などなど思わず膝を打ちました。
コアなファンにはたまらないでしょうね。
(ホラー映画をよく見る私ですが、このファン層には幸か不幸か当てはまりません)

screamとは、恐怖の叫び声をあげること。
とはいえ筋立てはホラーではなく、大量殺人サスペンスにコメディ味付けを施した作品というところ。
あの有名なマスクを被った殺人者が実に残虐に、過去のホラー映画をなぞりながら殺戮を重ねていきます。
ホラー愛好者で批判者でもある高校生たちが次々にホラー色濃い殺され方をするわけですから、皮肉が効いています。
でも犯人は人間離れした異常者ではありません。
キチンと普通(?)の人間であることを示唆しているので、観客は犯人の当てっこに興じることができます。
最初見たときに私が犯人を当てられたかと言うと、ま、一勝一敗と言うところでした(笑)

短い場面でしたが、殺人者の動機まで語られますので、やはりスプラッタホラーとは一味違います。

映画としても過不足のない上手なつくりですので、娯楽作として十分楽しめます。
けれど特筆すべきは、比較的若い俳優たち(設定では高校生がメイン)の演技力です。
ただのB級ホラーとの違いはここにあります。
全力投球で演じているのでやや大げさにはなりますが、そこがコメディ的味付けの要素となるというように、良い方に転がっています。

まずは、主役を演じた若いネーヴ・キャンベルさん。大量殺戮の原因に深く関わっている少し難しい役なのですが、可愛く見せるだけではなく、説得力のある演技を見せてくれます。

ドリュー・バリモアさん、出番が短いのに存在感は図抜けています。

スチュアート役のマシュー・リラードさんは大げさな表情が豊かで、本作の雰囲気の基調の一役を担ってます。

頼りない警官役のデヴィッド・アークエットさんも相当なコメディアンです。彼も十分に犯人候補だったのですが、レポーター役のコートニー・コックスさんとラブラブ散歩することで候補から除外されました。そう言う手際がお見事です。あ、ここは脚本や演出のお手柄ですね。
そうそう、この映画をきっかけに二人は実生活でも結婚したのでした。


ともあれお気楽にご覧になればと思います。
TV民放のホラー番組よりははるかに退屈しない111分です。





予告編から  


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2018年09月10日

『アメリカン・グラフィティ』

データ
『アメリカン・グラフィティ』
American Graffiti
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:1974年日本公開
鑑賞:午前十時の映画祭にて鑑賞。
監督:ジョージ・ルーカス
製作:フランシス・フォード・コッポラ
俳優:リチャード・ドレイファス ロン・ハワード ポール・ル・マット チャーリー・マーティン・スミス 
   キャンディ・クラーク シンディ・ウィリアムズ ウルフマン・ジャック ハリソン・フォード
製作国:アメリカ
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コメント

Graffitiとは壁や塀などに描かれた落書きの意です。


まず、この映画が好きな妻の感想を引用します。

『昔テレビで見て、プロム(高校主催のダンスパーティー)に憧れた私ですw  ベトナム戦争以前の強くて脳天気なアメリカは今でも眩しい。 』

そうかあ、そういう時代やったんやねえ。


1973年〜ざっと40年前のジョージ・ルーカスが、さらにその10年前、1962年のアメリカの田舎町の青年たちを描いた映画です。
1962年…
その頃日本でも流行したデル・シャノン「悲しき街角」やビーチ・ボーイズの「サーフィン・サファリ」、プラターズの「オンリー・ユー」など数十曲が流れる中、映画は進行していきます。
たった一晩分の物語。

この作品以後、世界の青春ドラマが、本作の真似をした、と知識では知っています。
青春群像ものの嚆矢なんでしょう。


ごくふつうのアメリカの田舎町で生まれた青年たちが、
この町でこの先どう生きるのか、あるいはこの町を出て都会に行くのか〜
その陰鬱と葛藤と憧憬。
普遍的なそのテーマを描くからには、他愛無いエピソードの連続にならざるを得ません。

ずっと前、この作品をビデオで見ようとした時には挫折しました。
こんな青春劇、つまらない、と。
年を重ねていまこの作品を映画館で見たからこそ、
私のような米国嫌い、チャラ男嫌いでも、
この普遍的なテーマを客観的に楽しめるようになったのだと思います。



TheKobalCollection/WireImage.com


リチャード・ドレイファスさんはさすがの演技力です。
主役であり、狂言回しでもあり、一目惚れした女の子を(ガツガツ?)探し求める行動力もあるインテリ学生をリアルに表現しています。

他のフレッシュな俳優陣も、映画のまとまりなど気にせずに好き勝手に演じているように見えます。
たとえば若いハリソン・フォードさんなど、俺が俺が感が前面に。
でもそれがむしろこの映画の魅力となりました。
ということは、ルーカスさんを褒めなくてはなりますまい。

ちなみに、本作が製作されたのが1973年。同じルーカス監督の『スター・ウォーズ』でハリソン・フォードさんが出演したのが 1977年。
リチャード・ドレイファスさんがスピルバーグ監督の『JAWS/ジョーズ 』に出演したのが1975年。『未知との遭遇』で主演した年が1977 年です。


妻と私は11歳の年の差があるせいか、この映画への思い入れは異なります。
少なくとも1960年代にティーンだった私の体験とはかなり違う風景や色彩で描かれた作品なので評価は辛口になりますが、
それでもちょっぴり甘酸っぱい気分になれます。
佳作・良作であることに疑いはありません。
  


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2018年09月08日

『DISTANCE/ディスタンス』

データ
『DISTANCE/ディスタンス』

評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2001年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:是枝裕和
俳優:ARATA 伊勢谷友介 寺島進 夏川結衣
       浅野忠信
       りょう  遠藤憲一 中村梅雀 津田寛治 山下容莉枝 村杉蝉之介 木村多江
製作国:日本
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予告編より


コメント

wikipediaのDISTANCEの項目にはこう書かれています。
是枝裕和監督の長編映画3作目。キャストに手渡された脚本はそれぞれの出演部分だけで、相手の台詞は書き込まれておらず、俳優たちは物語の全貌を映画が完成するまで知らなかった。物語の空白の部分は、それぞれの役者の感性によって作られていった。


ボソボソと喋るとドキュメンタリー風になる、と思っているの?と妻。

俳優たちが、
アドリブくささが匂う内容の会話を、
素人くさく滑舌悪く話し、
手持ちカメラを多用した撮影は揺れ、
映像はどこかモノトーン調で詩的。

監督がぎこちない不穏さを醸し出したかったのなら、大成功ですね。
二年前に公開された『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の影響を感じたのはシロートの私だけ?
なおかつアブナイ雰囲気が漂う(ように撮影された)殺人現場の池が効果満点。


三年前に起きたカルト教団による無差別凶悪犯罪の実行犯5人は、犯行直後に属する教団によって殺されました。
その実行犯の遺族たちは年に一度の命日に現地(つまり教団が置かれ、実行犯たちが死んだその地)に集まっています。
単なる被害者遺族ではなく、テロの加害者遺族であるところが肝心なところです。
遺族たちはこれまで何度か会っているので、慣れ親しんだ調子で話ができますが、深く親しんでいるわけではなさそうです。

この年も遺族たち(ARATAさん、伊勢谷友介さん、寺島進さん、夏川結衣さん)は、現地に集まりました。
けれど今年は、偶然にカルト教団の生き残りと出会ってしまい、あるアクシデントのために一晩を共に過ごすことになります。
厳密に言うと、その男(浅野忠信さん)は、事件直前に脱走したので犯行には加わっていません。
つまり、遺族の近親たちを殺したわけではなさそうですが、でもやはり両者の関係はなかなか微妙です。
いわば加害者の加害者と、加害者の被害者の遺族とが面と向き合うのです。
監督、ちょっぴり知に走りすぎだよ、との感もありますが、大変興味深い着想だと思います。


やや下向きに喋る場面の多い、単館上映向きの映像の中で、りょうさんの輪郭の明瞭な存在感と寺島進さんの軽妙な演技が商業映画の証でした。



百合の花は私も好きですよ。


批評

『誰も知らない』、『空気人形』、『海街diary』、『そして父になる』、『万引き家族』、『ワンダフルライフ』を先に観てのこの作品になりました。
是枝監督が人と人との真のつながりや人間の関係性について常に模索・試行している様子が良くわかります。

その背後には、どうやら人と人の関係性の未来の構成要素は、血縁を軸とした家族ではないのではないか、という監督の思いがどっしりと居座っているように感じています。
もっとも、これは私の考えを是枝作品に投影しているだけかもしれませんが。

・血縁の母でも子を捨てる。のに、

・父が再婚相手との間にもうけた子とも家族になれる。
・全く血縁でない子とも家族になれる。
・ラブドールに息を吹き込めば恋人になれるかもしれない。
・アカの他人どうし、DVから救出(誘拐)した他人の子とも家族になれる。
・血族・親子ではなく、仲間と家族になることもできる。

この場合の「家族」はもはや「家族」と呼んではいけないのかもしれませんね。
未来の人間の生活の最小単位は何と名付けられるのでしょう。

・同じカルト宗教を信仰するものどうしでは理解しあえるのか。
・加害者であり被害者でもある者たちの遺族どうしなら、心から打ち解けあえるのか。
・加害者と被害者の遺族ではどうか。
・私は死者たちと理解しあえていたのか。

DISTANCE/ディスタンスとはそういうことなのでしょう。

帰り道の電車の中でのバラバラなポジショニングで念を押していますが、是枝監督は。
(そこまでせんでも)


いくつかの意味がある英単語distanceですが、本作では隔(へだ)たり、と和訳しておけば良いのでしょうか。
現実の距離ではなく、個人と個人の心理的へだたり、隔絶感と言うニュアンスで使われているのでしょう。
つまり死者も含めて登場人物相互がわかりあっていないからdistanceがあるのですが、そのことが、「事実」と観客との間のわかり得なさにも直結するという二重構造になっています。
例えばARATAさん演じる遺族は本当に遺族なのか、その証明がされないまま終わります。
これは観客の不完全燃焼を生みますから、映像作品としては危険な手法です。

結論的には、
案の定私には少々の不完全燃焼が残りましたよ。

けれどそのことは、本作と私との間にdistanceが存在した証拠なのですから、
是枝さんのてのひらの上だったね、と生ぬるく笑って済ませましょうか。
  


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2018年09月08日

『インタースペース』

データ
『インタースペース』
(SOMNUS)
評価:☆☆☆☆・・・・・・
年度:2016年(日本では劇場未公開)
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:クリス・リーディング
俳優:マーカス・マクマーン カラム・オースティン マック・マクドナルド 
   メリル・グリフィス ロヒット・ゴカーニ ヴィクトリア・オリヴァー
製作国:イギリス
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WOWWOWより


コメント

本作『インタースペース』の原題は『SOMNUS』(本作中の小惑星の名)、よく似た『インタープラネット』の原題は『ARROWHEAD』(矢、矢印)。
私のようなアホウな観客を騙そうとして、名作『インターステラー』(原題INTERSTELLAR)に似せたタイトルをつける悪漢がいる。
間違えないまでも、面白いんじゃないかと錯覚させる手口だね。
昔々神戸の水道筋商店街のそのまた横丁に貼られていた「美空ひはりショー」の時代から騙しの手口のレベルは変わっとらん。
でも私こういうミエミエのことをする悪漢は嫌いじゃないよ。

鑑賞中の印象といえばとにかく低予算B級テイスト満載。
宇宙船の機器類や冬眠装置、先住民の造形などは高校生の映画研究会レベル。
しかも超名作『2001年宇宙の旅』のパクリオマージュを隠しもしない。
宇宙船の人工知能メリルが反乱を起こし、乗員が死んで行くのだから。

どこかの映画サイトのレビューの評価が1.7点だったのも頷ける。


この方の怪演は一見の値打ちがあります。メリル・グリフィスさんでしょうか。


でもちょっと待って。
わずか83分の映画とはいえ、途中でTVを消しもせず目をも離さずに観ていた自分に気が付いた。

映画を作る高校生の熱意が伝わったのか?(笑)
容易には気がつかない深遠な哲学が内包されていたのか?(笑)
・・・笑っていてはいけませんね。でもその理由が自分でも良くわからない。

ひょっとして編集段階でカットしすぎたのか?
83分にまとめないで、あと30分増やしていれば、せめて脈絡がついた?

そういう映画なので追えないストーリーですが、でも少しだけ書きたいのです。
「?マーク」と「〜らしい」の連続技を。


冒頭は意表をついて1952年、英国のローカルな鉄道駅のシーン。
駅長が男に秘密裏に冊子を渡す。
その冊子は「神」との交流の秘密なのか、映画後半に登場する未来予想の書物なのか?

映画はいきなり300年後に跳ぶ。300年ワープとはギネスもの。
その冊子は流刑星ソムナスに運ばれ保管されていたということらしい。
偉大な男が詳細な予言の書を書いたが未完だったらしい。
未完部分を書いたのは偉大な男の娘。
その女性は今も宇宙船に乗っているらしい。

宇宙船をそのソムナスに強引に着陸させた人工知能の名がメリル。
メリルは「死」を経験したことがあるらしい。
偉大な男の娘の名がメリルなのかな?

人間の頭部がメリルの本体だった。
つまりメリルは、自ら予言した「運命の書物」の内容に忠実に、自らを頭脳とする宇宙船を予定通りソムナスに着陸させたということ?
(ほう、すると『2001年宇宙の旅』のHALより大物やんか。)

宇宙の知的生命体が人類の神だったらしい。
その「神」は凶暴になった人類に怒り、巨大な宇宙船で地球に接近し、一瞬の間にヒトだけを消滅させたらしい。
メリルとソムナスの住人(人格がほとんど壊れてる)は、ヒトがいなくなった地球に再入植を企んでいるらしい。
そのことも「運命の書物」に書いてあるのだろうな。

主人公は、その書物に書かれた運命に抗ってみせた、とそういう物語?
でも主人公は終盤に「運命には抗えない」と何度も言ってるぞ。


ふう。一事が万事こんなジグゾーパズル。
「?マーク」と「〜らしい」の連続攻撃。
ここまで書いた文にもきっと誤解がいっぱいあるよね。


観客に負担をかけすぎだろうよ。
せめてピースは全部揃えておいてよ。
ふう。でもこうやって文句を言うのが楽しかった。


P.S.「神」に壊滅させられてはたまりません。戦争好きにならないよう気をつけましょうね、われわれ。



中性的で日本で人気の出そうな俳優です。  


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2018年09月06日

『パンズ・ラビリンス』:真にダークな傑作

データ
『パンズ・ラビリンス』
EL LABERINTO DEL FAUNO、PAN'S LABYRINTH
評価:☆☆☆☆☆☆☆☆☆・
年度:2007年
鑑賞:2018年BS/CSで二度視聴。
監督:ギレルモ・デル・トロ
音楽:ハビエル・ナバレテ
俳優:イバナ・バケロ(オフェリア) セルジ・ロペス(ビダル大尉) 
   マリベル・ベルドゥ(メルセデス) ダグ・ジョーンズ(パン/ペイルマン) 
   アリアドナ・ヒル(カルメン) アレックス・アングロ(フェレイロ医師)
製作国:メキシコ/スペイン/アメリカ
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イバナ・バケロさん:写真は全て予告編より


コメント

まずはイバナ・バケロさんの熱演に敬意を表したいと思います。
私は水原希子さんに似てると、妻はのんさんに似てると言う美少女の彼女は、場面に応じて大変適切な表情を見せてくれました。

13歳イバナ・バケロさんのインタビュー記事はこちら。

次に、クリーチャーの造形の面白さ、特に不気味なpalemanを創り上げ、また、映画全体を丁寧に作り込んだギレルモ・デル・トロ監督に拍手を送ります。(中の人はともにダグ・ジョーンズさん。)
辛く重苦しい展開ながら、希望の光が差し込むような結末にして正解だったと思います。

また、かなりやばい人格に描かれたビダル大尉役のセルジ・ロペスさん、そして詳しくは後述しますが、本作の錘の役メルセデスを演じたマリベル・ベルドゥさんも好演でした。


伝説上の牧神(牧羊神)はローマ神話でFAUNUS、スペインに渡ってFAUNO。ギリシア神話でPAN。(パーン、英語読みでパン)※①
ですからスペイン語の題名は『EL LABERINTO DEL FAUNO』つまり『牧神(ファウノ)の迷宮』
しかし監督は神話の牧神をそのまま登場させたわけではなく、自身が遭遇した体験を基に描いたと述べているそうですから、邦題に「牧神」を使用しなかったのでしょうか。
それにしても「パン」ではヤマザキベーカリーみたい。
『パンズ・ラビリンス』よりも『牧神(せめてファウノ)の迷宮』にしておいたほうが、私を含めておおかたの日本人が見に行きたくなるようなタイトルになったのではないでしょうか。



ピーテル・パウル・ルーベンス作のパーン:mement moriさんのブログより


政権側の軍隊の指揮官が極めて残忍に設定されていることから、監督の立ち位置は民主主義にあることは明らかですが、しかしその民主勢力ゲリラの描写も教条的・定型的であり、敵側の人間に容赦をしない映像がありましたから、内戦の歴史的位置付けの中でゲリラに共感的とはとても思えません。戦いを憎む視点と書くと一番適切かもしれません。(批評欄を参照されたし)

先日観たハードボイルドタッチの佳作スペイン映画『マーシュランド』は、フランコ政権が終わりを告げた後の混乱期が時代背景になっていました。20世紀の内戦から民主化までの分裂・抗争時期に生きてきたスペイン人は、国家や民族のみならず、友人・家族・親族、そして自分の心にまで深い分裂の傷跡を抱えているのでしょう。


繰り返し流れるテーマソングが優しくて耳に残ります。
メロディーを忘れた時は、黛ジュンさんの『雲にのりたい』(1969)を思い出すようにしています。
そういえばあの曲も現実逃避を望む歌でした。



※①パーンの語源と起源[編集]
・パーンがテューポーンに襲われた際に上半身が山羊、下半身が魚の姿になって逃げたエピソードは有名であるが、この姿は低きは海底から高きは山の頂上まで(山羊は高山動物であるため)世界のあらゆるところに到達できるとされ、「全て」を意味する接頭語 Pan(汎)の語源となったともいわれている。
・パーンの血統をめぐる説がいくつもあることから、太古の神話的時代に遡る神であるに違いない。
<wikipediaより>



本作上のファウノ、つまりパン


批評

ダークファンタジーと紹介されることが多いようですが、戯画的面白さが満開の作品ですので、私は最初絵本または漫画だと受け止めました。
しかし後半にさしかかるに連れ、漫画というよりもお伽話と看るべきだと考えを改めました。
そして結末でその思いを確信しました。
そういう印象の根拠を書くことは難しいですが、少しだけ試みてみたいと思います。
そのためにも、まずは簡単に時代背景と作品内容の紹介をします。


場所はスペイン。時は1944年。つまり、第二次世界大戦末期です。
スペインでは軍隊の反乱に端を発する内戦が終わり、反乱の首謀者の一人フランコ元参謀総長が政権を掌握していた時期です。
その政権の性格は親ファシズム、親ヒトラーですが、世界大戦には参戦していません。
国内の基盤が弱く、食糧事情も逼迫していたからです。
一方内戦で敗北した民主派勢力もまだ多少は残っており、山岳地帯を根拠地にしてゲリラ的な反政府活動を続けていました。
つまり、右派勢力による国家は生まれたものの、スペイン人とその心はまだ分裂していた時代だったのです。

映画の舞台は、山岳地帯のゲリラを鎮圧する役目を担っている最前線の駐屯地。
その指揮官は、残忍無比なビダル大尉です。
ビダル大尉は結婚したばかりで、その妻カルメンが懐妊して臨月を迎えたため、この最前線に呼び寄せました。
生まれてくるのは男子だと決め込み、息子は父親のいる場所で生まれるべきだというのです。
・・私はあちこちでしつこく主張していますが、過去の欧米のレディーファーストや男女平等神話を信じ込んでしまうと、人類(ほぼ)共通に存在した男性優位社会の歴史を見逃してしまうことになります。現在においてなお、欧米は男性優位社会なのです。日本よりは随分マシですが。・・・

カルメンは前夫(死亡)との間に娘がいます。名をオフェリアといい本作の主人公の少女ですが、彼女は新しい父親を受け入れられません。
カルメンは辛そうに「あなたも大人になればわかるわ」とオフェリアに言い訳しながら再婚したのでした。
しかし臨月のカルメンに長旅は厳しかったようで、駐屯地で体調を崩し寝込みます。
夫のビダル大尉は、医者に「もしもの時は息子を救え」と命じる冷血漢です。

この時点でオフェリアは、義父は大嫌い、母は病気、という全くもって心細い状態におかれたわけです。

さらにオフェリアにもう一つの心配事が降りかかりました。
それは、自分に同情的で愛情すら感じる家政婦メルセデス(駐屯地の民間人女性。兵士の食事等の世話をする女性たちのチーフ。)が、ゲリラ側と内通していることを知ったからです。メルセデスの立場はそれゆえとてもきわどいものですから、オフェリアはとても心配しています。
もちろん、ゲリラの攻撃でオフェリア自身命を失う可能性もあります。


少女の身の上にこれほどの難儀や心配事が重なって押し寄せたとき、少女はどうやって自分の心を防衛すれば良いでしょうか。

オフェリアはまず、母のそばに付き添います。
次に胎内の「弟」にやさしく話しかけることをします。
メルセデスには、内通を知っていることを打ち明け、心配していることを伝えます。
義父とは距離を置きます。
つまり、現実的に行動可能なあらゆることは行っています。

その上で、
地中の迷宮を信じ、パンの指示通りに冒険を試みます。

世間一般では誰も話さえ聞いてくれそうにない異世界の存在を信じ、現実に体験し、危険な目にも会うのです。

仮に少女の体験が単なる空想に過ぎなかったとしても、
その現実逃避をいったい誰が責めることができましょうか。

ましてオフェリアが体験したことは紛う方無き「現実」なのです。
彼女は弟の命を守り、冒険を果たしました。
この世では義父の手で殺害されたとしても、
地中の異世界では王女として、優しく勇敢な王女として永く生きていけるのです。
この話を知った人々、例えば私たち観客は、残酷な現世での生活に疲れ切っているかもしれませんが、
オフェリアの未来を知って涙がこぼれるほど救われた気分になるのかもしれません。
枯れたイチジクの木にも一輪の花が咲きました。

これを、お伽話と言わずしていったい何がお伽話に値するというのでしょうか。




  


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2018年09月04日

『苦役列車』

データ
『苦役列車』

評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2012年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。
監督:山下敦弘
原作:西村賢太
俳優:森山未來(北町貫多) 高良健吾(日下部正二) 前田敦子(桜井康子) 
   マキタスポーツ(高橋岩男) 田口トモロヲ(古本屋の店長) 
製作国:日本
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    東映オフィシャルサイトより


以下の写真はすべて予告から


コメント

森山未來さんの超絶演技は必見です。
珍しく友達ができたと思えば、風俗に行くために金を貸してくれと頼む。
その友達の彼女に、初対面で暴言を吐く。
気立てのいい女の子(前田敦子さん)がデート?に付き合ってくれたのに、別れ際に腕をペロリと舐める。
そんなとことん感じの悪い19歳の北町貫多が主人公なのですが、
森山未來さんは入魂です。心配になるくらい。


マキタスポーツさんのリアル感、
高良健吾さんのいい人感、
そして前田敦子さんの存在感、
それぞれ見所になります。


『タクシードライバー』の主人公トラヴィスが、見初めたインテリ女性をエロ映画デートに誘ったり、絶対持っているに違いないレコードをプレゼントしたりするあのヒリヒリ痛い感じがお好きなら、本作はある意味楽しめると思いますよ。

ただ、主人公はやがて作家稼業に入ります。
表現下手の彼が表現手段を手に入れるわけで、めでたいことではありますが、ここで原作者の人生と重なってしまいます。
西村賢太さんは封切り時点で既に名をあげておられるわけですから、こんなやつでも、という救いになっているにはいるのですが、
何だか大団円みたいで、、、

山下 敦弘監督の映画を見るのはこれで六本目になり、ひいきの監督です。
しかし、それぞれのラストシーンと比較すると、今回の作品のそれはちょっと膝かっくんされた気分になりました。
ニヒリズムの極致のような松ケ根の乱射、そんな結末は考えられなかったかなあ、と思いました。







批評

A「ぼく、どうせ中卒やから。」
B「何言うてるんや、人間には磨けば光るところが必ずあるんやで。」
A「無い無い。ぼくにはそんな取り柄はないがな。」

「ほんまは取り柄あるんやけどな」と思っている。
しかし他人には説明できない、説明しても強がりだと思われてしまう。
そんな心中の苦い塊の統御に苦心しながら、屈折を繰り返すA。
周囲から褒められて自信をつけてもらった経験がないまま、周囲とコミュニケーションをとる訓練のないまま、
独りぼっちで少年から青年に育ってしまったA。

そんなAのような人は、会話を重ねながら考えや感情を表現する訓練ができていないことが多い。
だからそれを吐き出す出口が形成されていない。
柔らかい部分のわずかな裂け目からそれは噴出してしまう。
どこから噴き出すかわからないから絆創膏を貼っても防げない。
ゆえに他人からは激情の人、奇天烈な人と思われてしまう。


主人公の北町貫多(森山未來)は関西人ではないから、上記のようなセリフが本作で話されるわけではないけれど、要するにそういうAくんのような青年が主人公になった映画なのです。
私はこういう自らの半生が他人から丸裸になっているのに、そのことに自分で気がついていない人物が苦手です。
いえ私だけではないでしょう。

こんな映画誰が見るというのだろう?

ところが私は映画館に足を運びました。

考えてみれば、Aつまり貫多とは違うタイプながら、私だってうまく会話ができている訳ではありません。
今もちょうど、妻の話題についていけず「いま何について話しているのか」と何度も尋ねていました。
例えば妻が白浜アドベンチャーワールドのパンダ結浜(ユイヒン)の頭の毛がとんがっているイラストを私に見せました。
私も結浜が好きなので、妻の言葉を聞いた途端に、「パンダの家族で結浜だけがとがっているのはなぜだろう。隔世遺伝だろうか。そもそもパンダの毛の色が白いのはなぜだろう。元はいまよりもっと雪深いエリアで生息していたのだろうか。しかし雷鳥でも冬毛と夏毛で色が変わるのに・・・」と夢想していたら、妻が誰かを褒めました。私には脈絡がわかりません。尋ねてみると、そのイラストレーターの観察力の高さを褒めたのでした。妻の会話は立派につながっているのです。でも私の脳内はもう保護色の件でいっぱいでした。

さきほど、私は貫多のようなタイプは苦手だと書きましたが、
私のような(相手の話についていけない)タイプが苦手とか嫌いとかいう人も少なからずいるはずです。


だから、
やっぱりこういう人物が主人公の映画も観ておけば良いのです。

あ、貫多は俺だ、とつぶやくために。

男性諸君、
貫多はあなたであり、わたしです。
程度の差はあるし、あなたはもっと上品でしょうが、でも貫多はあなたです。





  


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2018年09月02日

『オーメン』

データ
『オーメン』
THE OMEN
評価:☆☆☆☆☆☆☆☆・・
年度:1976年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。その後ビデオで、2018年BS/CSで再視聴。
監督:リチャード・ドナー
撮影:ギルバート・テイラー
音楽:ジェリー・ゴールドスミス
俳優:グレゴリー・ペック(ロバート・ソーン) リー・レミック(キャサリン・ソーン) 
   ハーヴェイ・スティーヴンス(ダミアン) デヴィッド・ワーナー(ジェニングス) 
   ビリー・ホワイトロー(ミセス・ベイロック) 
製作国:アメリカ
allcinemaの情報ページはこちら



https://youtu.be/t_29UtmWj6Iより


https://youtu.be/t_29UtmWj6Iより


コメント

製作・公開後すでに42年を超えていまだに生き残るオカルト・ホラーの名作。
作品のストーリー、ユニークな殺し方、製作前後の奇譚など、大小の話題が有り余るほど豊富な本作品ですが、ブログや映画サイトで書かれている方が多く、私の出る幕はありません。

妻は言います。
「ソーントンが妻に相談なく秘密裏に養子をとったことが間違い。西欧男性による、<女性は庇護されるべき者だ>、と言う男尊女卑的発想が生んだ悲劇。」
「男は謝れない。だから解決のチャンスはズルズル遠ざかっていく。」
全くその通りです。
そこがじれったくもあり、だからこそ本作のようなオカルトホラー映画が成立するとも言えるわけですが。
つまり、「あ、後ろ見ろよ、なんで気がつけへんねんっ!」と同じで。

なにはともあれ、ホラー映画のスタンダードを作った本作の成功の秘訣を列挙しておきます。
1)グレゴリー・ペックさん、リー・レミックさんというスター性のある実力派俳優をオカルト映画に起用したこと。
2)英国舞台女優ビリー・ホワイトローさんの起用。怖い。
3)殺し方などのアイデアの勝利。(特にダミアンの三輪車:のちにキューブリック監督が『シャイニング』でオマージュしましたね。)
4)ギルバート・テイラーさんによるみごとなカメラワーク。彼が『反撥』を撮影したのは約12年前。『スター・ウォーズ』撮影は本作の翌年です。
5)ジェリー・ゴールドスミスさんによる不安感をあおる音学。彼の手になる映画音楽は枚挙にいとまがありません。真のプロです。


『エクソシスト』と並んで、今後もオカルト・ホラーの基礎的作品として語り継がれていきますように。


なお、妻には持論があります。
キリスト教信仰に起因する西欧のホラーよりも、湿気を帯びた日本の風土から発するような日本のホラーの方が怖い、と。
『エクソシスト』よりも『リング』の貞子の方が怖いということです。
その意見のすべてを一回で考察するのは難しいので、今回はその意見の半分だけを熟考してみました。
成果はまだ中途半端ですが、批評欄で少々書きます。




https://youtu.be/t_29UtmWj6Iより



https://youtu.be/t_29UtmWj6Iより


批評 キリスト教徒はなぜ『オーメン』を製作するのか

私は宗教に関心がありますが、信仰心はありません。でも、

厳密に書くと、
ずっと無宗教で生きてきた私は、なんらかの宗教・宗派教義の本格的な研究をしていませんし、今後もする気はありません。
けれど、共同幻想として人類を支えてきた(歪めてきた)宗教の機能と意義については考え続けています。


新約聖書で見つけたこの部分は、ずっと気になっていました。

「サタンもしサタンを逐ひ出さば、自ら分れ爭ふなり。」

以下はマタイによる福音書12章22〜28節

ここに惡鬼に憑かれたる盲目の唖者を御許に連れ來りたれば、之を醫して、唖者の物言ひ見ゆるやうに爲し給ひぬ。
(そのとき、人々が悪霊につかれた盲人のおしを連れてきたので、イエスは彼をいやして、物を言い、また目が見えるようにされた。)
群衆みな驚きて言ふ『これはダビデの子にあらぬか』
(すると群衆はみな驚いて言った、「この人が、あるいはダビデの子ではあるまいか」。)
然るにパリサイ人ききて言ふ『この人、惡鬼の首ベルゼブルによらでは、惡鬼を逐ひ出すことなし』
(しかし、パリサイ人たちは、これを聞いて言った、「この人が悪霊を追い出しているのは、まったく悪霊のかしらベルゼブルによるのだ」。)
イエス彼らの思を知りて言ひ給ふ『すべて分れ爭ふ國はほろび、分れ爭ふ町また家はたたず。
(イエスは彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ、内部で分れ争う国は自滅し、内わで分れ争う町や家は立ち行かない。)
サタンもしサタンを逐ひ出さば、自ら分れ爭ふなり。さらばその國いかで立つべき。
(もしサタンがサタンを追い出すならば、それは内わで分れ争うことになる。それでは、その国はどうして立ち行けよう。)
我もしベルゼブルによりて惡鬼を逐ひ出さば、汝らの子は誰によりて之を逐ひ出すか。この故に彼らは汝らの審判人となるべし。
(もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。)
されど我もし神の靈によりて惡鬼を逐ひ出さば、神の國は既に汝らに到れるなり。
(しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。)

要約すれば、
イエスが盲聾者(めくら・おし)の体内から悪霊を追い出して目が見え口が聞けるようにした。
その奇跡を見たパリサイ人(厳格なユダヤ教徒)は、イエスは悪魔の手先であると非難した。
これに対してイエスは、悪魔が悪魔(悪霊)を追い出すなどということがあろうか。内輪での争いは国や家族を滅ぼす、と言った。
というエピソードが新約聖書に書かれています。



上記引用から判然とすることは、キリスト教においては
1)悪魔・悪霊の存在を明確に認めているということ。
2)悪魔・悪霊は人間を手先にして使うことがあること。
3)「神」は「悪魔・悪霊」と敵対する関係であること。
4)「神の国」には「悪魔・悪霊」は存在し得ないこと。

乱暴に敷衍すると、キリスト教にとって悪魔は相容れない敵であり、キリスト教の教義体系には悪魔は含まれておらず、理想の社会では悪魔は存在できない、ということになりそうです。
つまり、キリスト教とは、古来の中東の人々が信じていた悪魔を排除して、あるいは排除しようとして成り立たせた信仰であるということになります。


上記下線部のテーゼからは、多くの仮説が導かれることになります。
たとえばこういうことです。

中東の人々は多神教を信仰していました。(論考は省略)
善なる神も悪なる神も。
その混沌とした信仰から、唯一絶対神だけをすくい上げて産まれた信仰がユダヤ教であり、キリスト教でした。
捨てられた神々、特に悪なる神は、しかし人々の心から容易には消え去りません。
神を捨てた負い目が、ユダヤ教徒やキリスト教徒(おそらくはイスラム教徒も)の心を歪みむしばみ、その結果生まれたものが過激な悪魔信仰であったり、オカルトホラー映画であったりするのでしょう。
逆に言えば、異端が成立したのは正統のせいなのです。
それなのに、正統は異端を非難し攻撃することで正統を守ろうとします。


あ〜スッキリした〜

バリ・ヒンドゥーなど世界各地の多神教世界では、たいていは教義・信仰の中に「善なる神」と「悪なる神」が組み込まれています。
世界は善悪のバランスで成り立っていると考えるわけです。
その均衡が大きく崩れるとその世界は滅びます。
いいですか、
滅びに至るもとは悪魔の排除にあるのです。
排除することでかえって悪魔に取り憑かれてしまっている、ということです。

世界の一神教は、悪魔の復権を真剣に考えるべき時がきたのではないでしょうか。

(と、私も少々教祖様っぽくなってますね)

  


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2018年09月02日

『オマールの壁』

データ
『オマールの壁』

評価:☆☆☆☆☆☆☆・・・
年度:2016年(日本公開)
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。
監督:ハニ・アブ・アサド
俳優:アダム・バクリ(オマール) リーム・リューバニ(ナディア) サメール・ビシャラット
   エヤド・ホーラーニ ワリード・ズエイター
製作国:パレスティナ
allcinemaの情報ページは詳しくないので、公式HPをどうぞ



パンフレットより

コメント

資本、スタッフ、撮影場所がすべてパレスチナ。

直接的な政治的メッセージなど一切なく、
パレスチナの若者が生きていくということ、
パレスチナで恋するということがどういうことか、
映像だけで示してくれました。

信頼と裏切りの境目がはてしなくグレーなこのエリアでは、
自分自身だけはせめて確固としておかねば、
生きていくことも難しいこともよくわかりました。


また、現時点で500Kmもの長さの分離壁がヨルダン川西岸地区(パレスチナ難民が多く住むが、事実上イスラエルの制圧下にある)とイスラエルとの間にそびえている異常さが、映像でよくわかります。
主人公のイケメンパレスチナ青年は、ベルリンの壁の二倍の高さがあるこの分離壁を
毎日登って越えるのです。彼女や仲間と会うために。

場面の転換が早く、説明は最小限。
観客に考えさせる仕掛けもいろいろ。
パレスチナに関心がある人でなくても、映画として楽しめることと思います。




パンフレットより


予告編より


批評

パレスティナ国歌

いわゆるパレスチナ(パレスティナ)問題については、書きたいことがありすぎます。
ここでもなんどか書いては消し書いては消しを繰り返しました。
埒があきませんので、一旦これで上梓することにします。

ただ、説明を書かないまま一言だけ言わせてください。
イスラエルという国家によるパレスチナ人民への暴虐は許せません。
日本国政府は、イスラエルと協調して人権蹂躙・虐殺を正当化する姿勢を直ちに改めなさい。
異端を攻撃することで正統を守ろうとするのはユダヤ教・キリスト教共通の欠陥です。
(詳しくは『オーメン』を参照してください)


嗚呼ユダヤ。
世界でもっとも長く迫害を受けた民族。
優れたメロディーの国歌を持つ国家イスラエル。
それだけに、他民族との共生を放棄した現状は残念極まります。

ナタリー・ポートマンさんが誇りに思えるイスラエルに再生を!


イスラエル国歌  


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2018年08月30日

『ポップ・アイ』

データ
『ポップ・アイ』
Pop Aye
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2017年製作、2018年日本公開
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。
監督:カーステン・タン
俳優:タネート・ワラークンヌクロ(タナー) ボン(ポパイ:象)
   ペンパック・シリクン(ポー:妻) チャイワット・カムディ(ディー) 
   ユコントーン・スックキッジャー(ジェニー) ナロン・ポンパープ(ピーク) 
製作国:シンガポール/タイ
映画com.のページはこちら
映画の公式サイトはこちら



写真はすべて梅田シネ・リーブル内の掲示より


コメント

タイを舞台に象と一緒の旅を描くロードムービー、と聞くだけで心ときめくあなたにはぜひにとお勧めできる良作です。

象に乗った体験がある方は多いと思いますが、私もタイで二回乗りました。
その内一回は、象の首に直接乗って、耳をつかみ、人間用の道のない山の斜面を登り、とある集落までたどりつくという観光用にしては少々ハードな体験でした。
下り道はもう落馬、いえ落象の覚悟をしましたよ。
でも今思い出すと、綿パンに穴があくほどのあの象さんの剛毛の奥の奥の、その体温が懐かしく感じられます。

そしてもう一つの魅力は、あの視界の高さ・広さ。






もしもですよ、もしも私にバンコクからイサーン地方のルーイまで600㎞を超える道のりを象さんと進むチャンスが訪れたら、、と思いましたねこの映画を観て。


赤く塗られたエリアがルーイです。


女性監督のカーステン・タンさんはシンガポール人。
若い頃にタイにしばらく住んでいたことがあったそうです。
その際に様々なタイの魅力に目覚たそうですが、何よりも「野良象」の印象が強かったといいます。
そこで初の長編映画の題材がこれになったと。
本作の映画の一方の主役、象のボンに出会うまで、100頭ほどの象と面会したそうです。

なかなか出会えなかったといえば、人間の主役タナー役のタネート・ワラークンヌクロさんと出会うまでも人選は難航していたそうです。

ルーイ出身のタナーは著名な建築家ですが、所属する企業では2代目社長とソリが合わず、冷遇されています。彼の代表的建築も取り壊しが決定しました。
また、夫婦もすっかり倦怠期で、妻は「臭い」と彼を遠ざけます。

そんな落魄の日々、タナーは、ルーイでの少年時代に可愛がっていた象のポパイとバンコクの街で再会します。
ポパイはかつてバンコクに出る資金を得るためにタナーが売り払った象でした。
幸せから遠ざかっているタナーは、やはりあまり幸せそうではないポパイを即座に買い受け、故郷のルーイで放し、幸せに暮らせるようにしてやろうと決めたのです。

そういうわけでバンコクから600kmかなたのルーイまで、タナーとポパイの旅が始まるのです。
その間に出会った人々(これがなかなか魅力的)との交流やそこで起こった事件が本作の内容になります。






そんなタナーを演じるためには、かなり奥深い人生が表現できて、なおかつ今は冴えないおっさんになり切らなければなりません。
難役だと思いますが、タネート・ワラークンヌクロさんはその役を飄々と鮮やかに演じ切りました。
サンダンス映画祭で受賞(脚本賞)して、彼と抱き合って喜ぶタン監督の笑顔が弾けんばかりでした。
きっと監督の期待以上の活躍だったのでしょう。


作品中では、変わりゆくタイランドの現状が隠れテーマになって描写されます。
少年タナーが暮らしていた村も今では近代的な住宅が立ち並んでいます。
そもそも、タイの人々にとって象という生き物がもはや珍しい存在になりつつあるのです。
それを思うと、よそ者の私ではありますが、胸が詰まりそうです。

ことし鑑賞したキルギス映画の佳作『馬を放つ』では、変貌する故郷そのものが表のテーマになっていました。
キルギスでは馬、タイでは象が喪われていく文化の象徴になります。
振り返ってここ日本では?
象徴するに足る(みんなが共通して郷愁を感じる)生き物が何かすらわからなくなってしまったことに寂しい思いをしている私です。


なお、映画の本筋とは違う話題ですが、
厳しい環境だったシンガポールの映画作りに光明が見えてきたようです。
その現状について、本作のカーステン・タン監督とエリック・クー監督の対談記事が掲載されたASIA centerの記事はこちらになります。
映画製作に関心のあるかたは一度読まれたらどうかと思います。







さて象のポパイは無事に故郷の山に戻れたのでしょうか。
そう言う解釈も可能かと思いますが、
私はバンコクのタナーの家で、再び心が通うようになった妻とタナーの世話を受け、幸せに暮らしているのだと思います。
ポパイ、実は「ポパイ」ではなかったポパイが、終盤近く峠道で見た幻影は、バンコクの街並みでしたから。
タナーが自宅の庭で掃除していたのはきっとポパイの糞のはずですから。





  


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2018年08月30日

『クロノス』

データ
『クロノス』

評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:1998年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:ギレルモ・デル・トロ
音楽:ハビエル・アルバレス
俳優:フェデリコ・ルッピ(ヘスス・グリス) タマラ・サナス(アウロラ) ロン・パールマン(アンヘル) 
   クラウディオ・ブルック(デ・ラ・グァルディア) マルガリータ・イサベル(メルセデス) 
   ダニエル・ヒメネス・カチョ(ティト)
製作国:メキシコ
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出典不明


コメント :御伽草子作家デル・トロ監督

やや生硬で頭でっかちの作品だと感じます。
そこが欠点ですが、しかしピュアな美しさのある佳作です。

本作の監督は著名なギレルモ・デル・トロさんですが、私は彼の作品は『パンズ・ラビリンス』(2006)に続いてまだ二作目という超初心者です。
ですから、監督論を述べることはできません。

ただ、『パンズ・ラビリンス』で強く感じた「これは絵本かお伽話や」という印象は本作でも同じでした。
本作は監督の長編デビュー作ということですから、きっと以後の作品で表現されるはずの様々な萌芽が含まれているはず。
とすれば、ギレルモ・デル・トロ監督は現代の御伽草子(おとぎぞうし:室町時代〜の短編小説)作家である、と言い切っても大外れはないように思います。

現実と非現実が同居し同時進行するこれらの作品の不思議でグロテスクな映像は、しかしなんとか少年少女の鑑賞にも耐えられる品の良さを保っています。
最後に明るい光が差すところも二作に共通しています。

日本では、アニメ界で優れた現代のお伽話が製作されています。
例を挙げれば、宮崎駿監督の『となりのトトロ』、高畑勲監督の『平成狸合戦ぽんぽこ』。
実写ではどうでしょう。
『大魔神』シリーズ、あるいは『シン・ゴジラ』などの怪獣映画が適切な例になるのでしょうか。

しかし日本では、
クローネンバーグ監督やギレルモ・デル・トロ監督の作品に顕著なホラー感・グロテスク感は希薄なように思います。
(本作では「黄金虫」内のとても有機感溢れる生物が美しくかつ生々しかったですね)
ファンタジー、いやひらかなで<ふぁんたじい>と言いたくなるような毒のない映像が多いように思います。
私が知らないだけかな?

本当はグロいカチカチ山などのお伽話を、どなたか実写(CG可)でしっかり描いてくれないでしょうか。
美しく、かつグロく。

あ、『東京喰種トーキョーグール』は該当するかもしれませんねえ。




出典不明


批評

本作は、主人公が亡くなることでハッピーエンドとなるのです。
一時は不死の命を得て若返った自分に喜んだのですが、
床に落ちた血を舐めるだけでも相当エグいのに、果ては可愛い孫が流す血にまで己が舌を近づけようとするおぞましさ。
自分でそのことに気が付いたちょうどその時、
両親を亡くしたショックからでしょうか、それまで一切口をきかなかった孫娘が「おじいちゃん」」と。(しわがれごえがリアルです。)
そこで主人公は完全に思いとどまり、黄金虫を踏みにじり、自らの死を、いや尊厳を選び取ったのでした。
臨終の床の絵画的美しさは必見です。
と、同時に、実はこの映画のウラ主人公は孫娘であったことがわかります。
祖父のどのような醜態にも変貌にもひるむことなく信頼と愛情を寄せていたアウロラの健気さこそ、この映画の芯なのです。
お伽話にふさわしいではありませんか。
  


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2018年08月28日

『ヤッターマン』

データ
『ヤッターマン』

評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2008年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。
監督:三池崇史
原作:竜の子プロダクション
俳優:櫻井翔(ヤッターマン1号) 福田沙紀(ヤッターマン2号)
   生瀬勝久(ボヤッキー) ケンドーコバヤシ(トンズラー) 深田恭子(ドロンジョ) 
   岡本杏理(海江田翔子)  阿部サダヲ(海江田博士)
   小原乃梨子 たてかべ和也 滝口順平 山寺宏一 たかはし智秋
製作国:日本
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コメント

おおおっ
無国籍な背景に純日本風な笑い。
タツノコギャグにはまったことのある方にはお薦めです。損はさせません。







原作アニメでの「主役」はやはりドロンジョ/トンズラ/ボヤッキーの悪役たち。
この三人の魅力を役者が表現できるかどうかが映画化の最大のポイントになるでしょう。
さて気になる結果は?

・・・
OKです!
生瀬勝久さんのボヤッキーなりきりぶりは素晴らしい。
それを観るだけでも映画館に足を運ぶ値打ちがあると思うなあ。
とんがった鼻が妙に生々しい。
ほぼ脇役に徹している生瀬勝久さんという俳優の変幻自在ぶりは、もっと高く評価されていいと思っています。

深田恭子さんは彼女独特のキャラクターが旧来のドロンジョ様に乗り移りました。
はじめ土屋アンナさんにドロンジョ役のオファーがあったが、胸が小さいので断り、親友の深田恭子さんを推薦した、というアンナさんの受け答えをどこかで読みました。
「やっておしまい」という小原乃梨子さんの(アニメでの)号令は、アンナさんの方がふさわしいのでしょうが、どこか気が抜けたような優しい深田さんのドロンジョ像は、タツノコプロ作品のファン層拡大に貢献したかもしれません。
それにしても、実像はサッパリした気性と伝えられる深田恭子さん、役者としては男性の女神として首尾一貫しています。
得難い存在ですね。

ケンドーコバヤシさんもトンズラーを好演です。
吉本のピン芸人の彼です。さすがの関西弁、さすがの流暢な滑舌ですが、とても楽しそうに見えるところがいいですね。
ご本人は漫画やアニメが大好きと伝わっています。きっとタイムボカンシリーズにも思い入れがあったのではないでしょうか。


次に「脇役・引き立て役」のお二人。

櫻井翔さん、この頃は爽やか少年の雰囲気が充満していました。
なんの演技も必要がなく、マスク姿がカッコよければそれで1号そのものに見えました。

次に福田沙紀さん。
やはり演技力は必要ない役柄でしたので、2号はそれで良かったと思います。
マスク姿がよく似合っていました。

二人とも、以後の精進があれば良い俳優になれたのかもしれませんが、悪役三人と比べ、十年経過した今日の現状は残念です。



繰り返しますが、原作アニメにはまったことのある方限定のオススメ実写映画です。
映画の開始から集中が必要です。じゃないと、小ネタ小ワザを見逃します。
手始めに、渋谷駅にハチ公像はありませんから(笑)最初から気合を入れてくださいませ。







アニメをご存じない方への参考までに↓
TatsunokoChannel
  


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2018年08月28日

『ディア・ドクター』

データ
『ディア・ドクター』

評価:☆☆☆☆☆☆☆☆・・
年度:2009年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。
監督:西川美和
原作:西川美和
俳優:笑福亭鶴瓶(伊野治) 八千草薫(鳥飼かづ子) 瑛太(相馬啓介) 余貴美子(大竹朱美) 
   井川遥(鳥飼りつ子) 香川照之(斎門正芳) 松重豊 岩松了 笹野高史 水島涼太 冷泉公裕 
   キムラ緑子 滝沢涼子 石川真希 安藤玉恵 新屋英子 田中隆三 河原さぶ 高橋昌也 中村勘三郎
製作国:日本
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コメント

「この嘘は、罪ですか。」フライヤー
「人は誰もがなりすましていきている」予告編

上記二種類のキャッチコピーはどうにも浅薄です。
本作のテーマの一側面だけを切り取ることで、作品の質を矮小にしてしまいました。
広告代理店的、あるいは糸井重里的と申しましょうか、このような上から目線のテーマの押し付けは、今日の日本を覆う反知性の状況作りに大いに責任があると私は考えています。
このコピーの水準よりうんと上を行く作品です、本作は。

たとえば、頼りない医者(笑福亭鶴瓶さん)の正体にうすうす気づきながら、懸命に勇気づけ、フォローする看護師余貴美子さんの目の表情一つ取り上げても、観客の心を震わすレベルです。
このように達者な演技者たちが、一人の監督が描こうとした一つの作品に、熱意をもって取り組んだ様子がビンビン伝わる演技をぜひご覧ください。
その結果、おそらくは企画よりも世界が膨らんだ作品になりました。

私も、医療とは何か、その根本的な問いに考えを及ぼさざるを得なくなりました。




予告編より



批評

はじめに、私と妻にとって大切な記憶を語る所から始めます。

先年に癌で亡くなった私の母が、 大病院からいよいよホスピスに転院する直前の夜、 車椅子に乗ったままじっと、病院の大きな窓ごしに、神戸のきらめく夜景を眺めていた情景を、 私たちは声を失ったままただ見つめていました。

今夜が見納めだ、という思いだったにちがいありません。
神戸は母が生まれ育った街ですから、80年を超える人生の思い出のほとんどがこの街に詰まっていたのですから。

本作の後半、八千草薫さん演じる鳥飼かづ子の入院前夜のシーンでこの記憶が蘇ったのです。

鳥飼かづ子は胃癌で、おそらくはもう手遅れ。
医師である娘の勤める都会の病院に入院します。
だから明日にはこの故郷を離れ、
もう戻ることはありません。

かづ子が見慣れた山の暗い稜線を、 カメラはゆっくりとパンしていくのですが、 私の母の場合とは違う要素が一つ、この映画にはあります。
それは、 夜ごとに訪ねてくれる村の医師がいたこと。
笑福亭鶴瓶さん演じる伊野治です。

鳥飼かづ子には、長い闘病生活を送った末亡くなった夫がいて、その介護の厳しさを娘たちに味合わせたくないと願い、伊野医師に、病気を内密にするよう頼んでいたのでした。

しかしその嘘もついに娘に気づかれ、都会の病院に行くことになります。

鳥飼かづ子は、 その最後の夜の景色を眺める気持ちの中で、 親身に往診してくれた伊野医師を、毎晩、玄関先まで見送って手を振った思い出までも、 かみしめていたにちがいありません。


映画のラストシーンは、 意外なものでしたが、監督が、二人の情愛抜きにかづ子を幸せに「死なせる」ことはできないと考えたからと思えば,納得がいきます。


西川監督の前作「ゆれる」は、 観客をある一点を凝視させて鑑賞することを要求した映画でしたが、 本作はそれに比べればテーマが山盛りです。

医療の本質を問う観点はもとより、都会と地方、共同幻想、嘘、保身、家族、などなど、映画のどの場面からでも問題が抽出出来そうです。
でも、どのテーマもとことん追求されることはなく、ゆるやかに映画は進行し、終了します。

考えてみれば、 それは私たちの日常生活そのものです。
私たちの人生は、 無数の課題やテーマを内包しながら、 何一つ解決しないまま終焉を迎えるからです。

まだ若い西川監督が、 こんな境地の映画を作ってしまったら、 次回作はどうモチベーションをたかめていくのだろうと、 むしろ心配はそこにあります。
(スクリーンで鑑賞した年度の感想です。)

あ、 何一つ解決しないまま、ではありませんでした。 西川監督は、 情愛を人生の最期にどうですか、と提案したのでしたから。


以下は蛇足です。
でも私は願わずにはいられません。

皆様の中に昔気質の親を持つ方は、その性質をよくお考えの上、隠している病気はないか、本当は苦しくてたまらないのではないか、と、想像力をめぐらせていただきたいと、自分の体験から切にお願いしておいて、この記事をしめくくらせていただきます。




予告編より  


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2018年08月26日

『バーフバリ 王の凱旋』

データ
『バーフバリ 王の凱旋』

評価:☆☆☆☆☆☆☆☆・・
年度:2017年
鑑賞:2018年BS/CSで再視聴。
監督:S・S・ラージャマウリ
音楽:M・M・キーラヴァーニ
俳優:プラバース(シヴドゥ/マヘンドラ・バーフバリ。父のアマレンドラ・バーフバリ役でも登場。 )
   ラーナー・ダッグバーティ(バラーラデーヴァ=マヒシュマティ国の現王。アマレンドラ・バーフバリ の従兄弟)
   アヌシュカ・シェッティ(デーヴァセーナ王女= マヘンドラ・バーフバリの母。囚われている)
   タマンナー(アヴァンティカ =クンタラ王国の潜伏者グループの女戦士。デーヴァセーナ妃救出を願う)
   ラムヤ・クリシュナ(シヴァガミ国母=マヘンドラ・バーフバリの義叔母。バラーラデーヴァ現国王の実母。マヘンドラ・バーフバリを連れて逃げた)
   ナーサル(ビッジャラデーヴァ=バラーラデーヴァ現国王の父 。手が不自由)
   サティヤラージ(カッタッパ=マヒシュマティの武器工場長。親衛隊?隊長。奴隷身分)
製作国:インド
allcinemaの情報は少ないので、詳しくは映画com.にて






コメント

 オープニングで、コンパクトに第一部を思い出させる仕掛けがお見事。
 息子の王位奪還の話がほとんどかと思いきや、父王の活躍と恋と追放のエピソードがじっくりと。
 前作でどうなるのかな、なぜかなと知りたかったことに全て答えが用意されている。
 とんでもなくハイテンションな映像が連続する。
 VFXはさらに進化。私の中では『ライフオブパイ』を超えました。
 映像がリズミカル。アマレンドラとデーヴァセーナの弓矢の射出シーンにはうっとり。
 音楽や音響と映像がマッチ。
 女性の地位に配慮されている。セクハラを許さないシーンは秀逸。
 ラーマーヤナ伝説を想起させる。
 今回の女性陣ではデーヴァセーナがかっこいい。なるほどその気魄なら長い虜囚に耐えるだろう。
 アヴァンティカの出番の少なさが残念。

妻の意見二連発
1)(主役を演じるプラバースは、父と息子との性格・人物の違いだけでなく)王族オーラの出し方まで演じ分けている。父は王族として育ってきたので、庶民と共に居ても王族オーラが出ている。
2)王族は身体能力が優れている(笑)



冒険・復讐・心服と裏切り・母子の愛・勧善懲悪・男女の愛・・・
奇想天外な映像の中に、古典的な娯楽の要因が全て網羅されている娯楽映画の世界的な金字塔です。
どなたにもお勧めできます。


第一部『バーフバリ 伝説誕生』にはストーリーなど少しだけ詳しく書いています。第一部をご覧になって後半をまだ観ていない方は、ぜひ映画館へ。いえ、TVモニターでも十分楽しめます。




https://tokushu.eiga-log.com/new/3381.html  


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2018年08月26日

『パレード』:たっちゃんを起用しなければ成り立たないが・・・

データ
『パレード』
評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2010年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:行定勲
原作:吉田修一
俳優:藤原竜也 貫地谷しほり 香里奈 林遣都 小出恵介 中村ゆり キムラ緑子 石橋蓮司
製作国:日本
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出典不詳


コメント

『パレード』という単語は私にとって、以前からなぜか少しの不穏さを含んで響きます。
ベルイマン監督の『第七の封印』で、死神が主人公その他の登場人物と手を繋いで去っていく場面は死のパレードそのものでした。
観客はその恐ろしくもユーモラスなパレードを見物しているしか術がないのです。



また、吉田美和さんの歌『パレードは行ってしまった』(作詞作曲共に吉田美和)の寂しい調子はとても納得できます。
(この場合、「行ってしまった」から当たり前なんですけどね)

Poo HiroさんのYouTubeで、吉田美和さんの『パレードは行ってしまった』


その語感のせいでしょうか、行定監督の手になるこの作品は、一度観てみたい映画リストに入っていました。
観終えると、私の中に不協和音が鳴り響いていますので、やはり『パレード』は不穏なのです(笑)
思惑通り不穏でしたので、観てよかった作品になりました。

引きこもりがちな貫地谷しおりさんがアンカー役をよく果たし、
香里奈さんと林遣都さんが不穏さを醸し出します。
藤原竜也さんはシュッとした頼れる男性感がよく出ていました。

筋立ては書きません。
登場人物どうしの付き合いが表面的で、一緒に暮らしていても関心の在りどころはてんでバラバラな感じは良く表現されていたと思います。
ただしそれはルームシェアメンバーだから一目瞭然なだけで、
家族、ご近所さん、あるいは日本列島人の相互関係に敷衍できるかどうか、考えどころですが。
そこが映画の狙いであるなら、うまく撮れていたとまでは思えません。


この映画の最大の難点は、ビッグネーム藤原竜也さんをキャスティングしたことです。
最初の頃に流れたTVニュースと、
藤原竜也さんがシェアメイトの一員として登場したことで、
この先の展開が丸分かりになってしまいます。
藤原竜也さんがかっこいいのでそれでも良いのですが、
やはり映画をワクワクハラハラ観たい観客としてはいささか残念でした。






なお、この作品に『パレード』というタイトルをつけた原作者吉田修一さんの想いは私には理解できません。

一体誰がパレードしているのでしょうか。
(登場人物は一緒に暮らしていても気持ちはバラバラ。)
一体登場人物たちは何を目的にパレードしているのでしょう。
(一定の目的を持って行う行進表現だと思うのです。)
一体誰が見物しているのでしょうか。
(見てもらうためのものです。映画館の観客のことではないでしょう。)

パレードという語の定義の仕方が原作者・監督と私とが異なっているのでしょうね。
  


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2018年08月24日

『闇金ウシジマくん ザ・ファイナル』

データ
『闇金ウシジマくん ザ・ファイナル』

評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2016年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:山口雅俊
原作:真鍋昌平
俳優:山田孝之 やべきょうすけ 崎本大海 綾野剛 最上もが
   永山絢斗(竹本) 太賀 高橋メアリージュン 玉城ティナ
   モロ師岡 八嶋智人 安藤政信 間宮祥太朗 YOUNG DAIS 真飛聖 マキタスポーツ 狩野見恭兵
製作国:日本
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写真は全て公式HPより


コメント

『闇金ウシジマくん Part3』も観ましたが、あまり印象に残っていません。
二、三の簡単な指摘だけをしておきます。
1)☆で表せば4つ程度の退屈な作品でした。その最大の原因は、本郷奏多さんと白石麻衣さんの表現不足です。
2)マルチ商法のカリスマ天生翔を演じる浜野謙太さんは胡散臭さ満載の熱演でした。
3)シリーズ最大の魅力である丑島馨と犀原茜の目力表現が少なくて残念でした。

これ以降は『闇金ウシジマくん ザ・ファイナル』について書くことにします。

「最も切ないラスト」という製作者の思惑通りに乗せられているのですが、やはり終盤のウシジマくん(山田孝之さん)の表情に見入ってしまいました。
ウシジマは幼馴染で善人の竹本(永山絢斗さん)を、命が一年持てばいい方という危険な労働※① に追いやるのですが、無表情な中にわずかな逡巡が見える演技が圧巻です。しかもその表情をダメ押しのようにもう一回見せられ、映画は終わります。ずるいくらいに山田孝之さんに頼り切った一作でした。

レギュラー陣相互の過去の因縁、そして鰐戸三兄弟とのしがらみが明らかにされます。
回想シーンの若手たちがなかなか秀逸でした。
中でも若い丑島を演じる狩野見恭兵さんの「再現率が高い by妻」なりきりぶりと、犀原茜の中学生時代を演じた玉城ティナさんの熱演が光りました。


※①真っ先に思い浮かぶのは、福島原発関連の仕事でしょう。






批評

冒頭、人の善意を信じて無一文になってしまった善人竹本は、鰐戸三兄弟が営む建設会社のタコ部屋(わずかな賃金で強制労働をさせる場所)に入所します。三兄弟、中でも鰐戸三蔵(間宮祥太朗さん:好演)の悪辣ぶりはデフォルメされているものの、タコ部屋の本質をよく表現しています。タコ部屋は昔もいまも実在するのですよ、ご存知ないみなさん。近年では外国人男女の犠牲者が増えています。

本作で徹底的な善人としての竹本を設定することで、
鰐戸三兄弟や悪徳弁護士(八嶋智人さん)のような、生活や人生に行き詰まった労働者から不当に搾取する側の「悪人」と、闇金融カウカウファイナンスを運営するウシジマとは同じ穴のムジナであることを明確に示しました。
良心的な終わり方だったと思います。
三兄弟もウシジマもそういう人々を同じ「クズ」と呼んでいましたものね。



DVDジャケット  


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2018年08月24日

『ヘルタースケルター』

データ
『ヘルタースケルター』

評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2012年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。
監督:蜷川実花
原作:岡崎京子
主題歌:浜崎あゆみ『evolution』
俳優:沢尻エリカ(りりこ) 大森南朋(麻田誠) 寺島しのぶ(羽田美知子) 綾野剛(奥村伸一) 
   水原希子(吉川こずえ) 新井浩文(沢鍋錦二) 鈴木杏 寺島進 哀川翔 窪塚洋介 
   原田美枝子 桃井かおり
製作国:日本
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コメント

蜷川実花監督の作品を観たのは『さくらん』に続いて二作目でした。
前作の百花繚乱の色彩感は、江戸の遊郭を描いた映画にぴったりはまっていました。
さて今作はどうかな。
確かに色彩は美しいのですが、あの岡崎京子さん作品を原作とする映画の内容にそぐうかどうかが問題です。

沢尻エリカさんは、とてもマジメで不器用で、でもひたむきな熱意を持った女優なんでしょうね。
意外性はないのですが、ここではこういう表情をしてほしい、という私の期待にぴったりの演技をそのつどしていました。

水原希子さんとは本作が最初の出会いになりました。
私が本作で一番印象に残った配役が、彼女が演じる吉川こずえです。
現在の活躍ぶりはどなたもご存知です。
なお、『リバーズ・エッジ』(2017)で吉川こずえさんの高校生時代と出会うことができます。
演じたSUMIREさんもまた出色の雰囲気を持っています。




(C)2012映画「ヘルタースケルター」製作委員会


批評

私の文よりも、妻の適確なレビュー(青字)でまず紹介します。
私は妻の意見に納得しています。


原作は岡崎京子の漫画。
主人公は「骨格が完璧」なためにモデル事務所の社長に見出され、全身整形を経てトップモデルとなった「りりこ」。
その頂点からスタートし、次第に壊れていくさまを描くヒリヒリと痛い作品。

私は蜷川実花の写真が好き。
だから、彼女が撮り下ろしただろう「りりこ」の写真の数々にわくわくした。
だけど映画としては、どうだろう。
痛い映画には仕上がってたけど、原作の持つヒリヒリ感はなかった。


地味に好きな新井浩文くん、オネエもいけるのね。
モデル出身の水原希子、さすがに撮影シーンがばしっと決まる。
桃井かおり、ルブタンのヒールをさらっと履いてかっこいい。

謎は、寺島しのぶの起用。
原作では23歳の「羽田ちゃん」を、なぜ35歳に変えてまで彼女に演じさせたんだろう。
確かに重要かつ難しい役で、20代で実力派と言われる女優さんを挙げてみてもそぐわない気はするのだけれど。
りりことは違う意味で「痛い女」を、寺島さんはもちろん見事にこなしてたけど。

肝心の沢尻は、頑張ったなー、という印象。
最優秀女優賞とは言えないけれど、敢闘賞をあげたくなった。




東京の女子高生達のキャピキャピな美への憧れを随所に挟む手法は、原作通り。
彼女たちの軽薄に見えるが本源的にも思える憧れ・上昇志向の上限に位置するのがこの主人公なのです。

しかし本作では、その両者の連携/関係性と、人工的なピラミッドの頂点に立つ不安定な感覚を描き損ねた気がします。
もっとわかりやすく言えば、女子高校生がなぜ主人公りりこに憧れているのか見当がつきません。
本作のりりこの造形映像にそう思わせる場面が無いのです。

もしかして、
編集の際のわずかなズレがその原因なのかもしれませんが、
そうでなければ、、、
蜷川さん自身、上昇志向や憧れ、
ヒリリとする美への憧れを持っていなかったのでしょうか。
  


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2018年08月22日

『ワンダフルライフ』

データ
『ワンダフルライフ』

評価:☆☆☆☆☆☆☆・・・
年度:1999年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:是枝裕和
俳優:ARATA 小田エリカ 寺島進 内藤剛志 谷啓 由利徹 伊勢谷友介 白川和子 内藤武敏 
   香川京子 山口美也子 木村多江 阿部サダヲ
製作国:日本
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写真はすべて予告編より


コメント

ドキュメンタリータッチで撮影された死後の世界の入口の物語。

ARATA(現在の井浦新さん)と小田エリカさんを中心にした群像劇とも言えます。
谷啓さんや由利徹さん、内藤武敏さんなど懐かしい顔ぶれと会うこともできますし、
若々しい木村多江さんや阿部サダヲさんをチラ見できます。
伊勢谷友介さんなど、初め市川染五郎さんと見間違うほどとんがってます。

俳優でなく一般の方も多数出演しておられる効果もあって、
ファンタジーなのにどこかリアル感が漂う佳作です。

是枝監督の才能やアイデアもギラギラしていますから、静かな映画のわりに楽しいですよ。






批評

「あなたの人生の中から大切な思い出をひとつだけ選んでください。」
作品と同期してしまったら、その瞬間にこの問いを自分に投げかけることになります。
スルーするには重要すぎる問いかけですよね。
なぜなら、あの世では永遠にその思い出の中で暮らして行くのですから。

観客が自分の人生を振り返ってさあ、どうしようか、何を選ぼうか、と考えずにおれない仕掛けになっています。
ずるい人です是枝監督は(笑)

その問いかけをするあの世への入り口の役場のような施設は、まるで映画づくりの現場。
つまり撮影所。
人間愛とともに映画愛にも溢れた作品に仕上がっています。

第二次大戦で戦死した望月(ARATAさん)はここで働いています。
一番大切な思い出を決められないため、まだあの世にいけていないからです。
その望月がついに選んだ思い出は、ある意味反則でした。
というのも、選んだ思い出は、この撮影所で働いた仲間との日々でしたから。
つまり、生前ではなく死後の思い出を抱いてあの世に行くことにしたのです。

それも有りであるならば、
自分の人生を肯定できない人も、まだまだ絶望しなくて良さそうですね。

  


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2018年08月22日

『スパイダーマン』

データ
『スパイダーマン』

評価:☆☆・・・・・・・・
年度:2002年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:サム・ライミ
俳優:トビー・マグワイア ウィレム・デフォー キルステン・ダンスト ジェームズ・フランコ
製作国:アメリカ
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https://www.flickr.com/photos/83212555@N00/377020898/


コメント

なるほど、こういう経緯でスパイダーマンは誕生したのでしたか。
以上。
  


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2018年08月20日

『思秋期』

データ
『思秋期』
「TYRANNOSAUR」
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2012年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。
監督:パディ・コンシダイン
俳優:ピーター・ミュラン オリヴィア・コールマン エディ・マーサン
製作国:イギリス
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パンフレットより


コメント

『思秋期』を観たのは梅田ガーデンシネマでした。
映画館から出て旧梅田貨物駅を眺めた時の一種清々しい思いを記憶しています。

私には珍しいラブストーリー。
とはいえ中年男女のイタいイタい人生が背景にドンと横たわっています。
ですから邦題は『思秋期』。
悪くないセンスですが、私はやはり岩崎宏美さんの同名の歌唱を思い出してちょっと心がちぐはぐになりました。


暴力に荒れる男と暴力を受ける女のPG12物語。
正面から向き合わず逃げるだけ、の人生から二人とも一歩踏み出します。
ただし、代償を払って、ですもちろん。

丁寧に作り込んでいるので、かえってわかりやすくなりすぎたところが不満です。
想像力の必要があまりない…となれば、こちら側の一番深い所には届きませんものね。
いまさら言うまでもなく、観客ひとりひとりは異なる歴史を持つ違う人間ですから。

でも、主要人物三人の造形/演技がすばらしいのです。
ピーター・ミュラン、オリヴィア・コールマン、エディ・マーサン。
特にピーター・ミュランは、トミー・リー・ジョーンズとブルース・ウィルスとクリント・イーストウッドを三人合わせて演技力をアップさせたような魅力があります。
なかなか出演作を観る縁がないのが残念です。


よくあると言えばよくある話。でも、
人生はやり直せる、人間は変われるという監督の確信に、ここは素直に従っておきましょう。
  


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2018年08月20日

『ロボコップ2』

データ
『ロボコップ2』

評価:☆☆・・・・・・・・
年度:1990年
鑑賞:封切り後にビデオで鑑賞。2018年BS/CSで再視聴。
監督:アーヴィン・カーシュナー
特撮:フィル・ティペット
俳優:ピーター・ウェラー(ロボコップ/マーフィ) ナンシー・アレン(アン・ルイス) 
   ダニエル・オハーリヒー(オムニ社長) ベリンダ・バウアー(ジュリエット・ファックス博士) 
   トム・ヌーナン(ケイン) ガブリエル・ダモン フェルトン・ペリー ロバート・ドクィ 
   パトリシア・シャーボノー ジョン・グローヴァー
製作国:アメリカ
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(C) 1990 ORION PICTURES, CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.


コメント

前作の特徴であった湿気をたっぷり含んだ場末感が、本作では影をひそめました。
マーフィーの悲劇の哀切さが薄れ、タフさが強調されたように思います。

また、せっかくのナンシー・アレンさんの役どころアン・ルイスに添え物感があり、マーフィーとの間の友情またはそこはかとない思慕を感じとることができません。
つまりは人間臭さが減ったのです。

悪役も、前作の下っ端感、チンピラ感がなくなり、本作では麻薬製造で多額の収入を得ている人物。
暴力的ではあるのですがキレどころがわかりやすく、観客はあまり怯えないでしょう。

オムニ社の陰謀も今回はややビジネスライク。
というか、B級映画でよくある予想通りの進行になってしまいました。
一般企業が大都市を所有する?
おぞましいけど、前作でも実質そんな感じだったよね?

前作での新型ロボットの暴走その他の展開の意外性もありませんし、ロニー・コックス(ディック・ジョーンズ)さんの悪辣とミゲル・ファーラー(ボブ・モートン)さんの権力争いのような面白さもありません。
ダニエル・オハーリヒー(オムニ社長)さんがオムニの悪事を仕切ってしまうと、ちょっと違いますね。

グロテスクなシーンのインパクトはむしろ増したのですが、少年役の使い方も含めただ不愉快に感じられます。
ストライキやスト破りの設定もきわめて雑に扱われています。

とにもかくにもこの作品はどなたにもおすすめできません。
必死にロボットを演じているピーター・ウェラーさんに敬意を払って☆二つにしておきますが。



批評

前作『ロボコップ』との決定的な違いは、脚本や演出の致命的なもろさを別にすると、(別にはできませんが)何より肉体性の喪失のように思います。

ロボットに肉体性とはおかしな表現かもしれませんが、前作ではマーフィー(人間時代の名前)の意識が戻る瞬間や、人間によって虐待される場面などを筆頭に、全編を通じてマーフィーの肉体性を感じたものです。
ロボットにされてしまったからこそ、逆に生前の、血が通う人間の肉体性が見えたのです。

しかし本作では、人対ロボコップ、ロボコップ2対ロボコップのいずれの場合も射撃戦が主で、これならこれまで百万回も見たお子様アニメでおなじみです。
いえむしろお子様アニメの方が真に迫っています。

先日のこと、妻が好きな『機動戦士ガンダム』を少しだけ覗き見した時に、モビルスーツどうしの射撃戦ではなく、白兵戦に持ち込まれる場面がありました。
独立軍側の将校が「その方が兵が喜びます」と返答したのが印象に残っています。
娯楽として戦争・戦闘もの映画を制作する場合、フィクションの中での真実が描かれていなければなりません。
今作の場合に当てはめるなら、例えば肉体性という真実です。
それを感じさせてもらいたいものだと思いました。

もちろん今作は宿命の二匹目のドジョウ映画。
前作に比べて新味を出したいという欲求はよく理解できます。
しかしロボコップ映画の魅力はどこにあったか、その点を見誤りましたね。
これはちょうど『エイリアン』と『エイリアン2』の関係と同じです。
一時は観客を増やすことに成功することもありますが、シリーズとしての生命力を縮めることになります。

合わせて前作の監督ポール・ヴァーホーヴェンさんの映画作りのセンスの良さを改めて思い出させる結果となりました。
  


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2018年08月18日

『プレデター』

データ
『プレデター』

評価:☆☆☆☆☆☆☆・・・
年度:1987年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。その後数回ビデオやBS/CSで視聴。
監督:ジョン・マクティアナン
特撮:スタン・ウィンストン
音楽:アラン・シルヴェストリ
俳優:アーノルド・シュワルツェネッガー カール・ウェザース ビル・デューク シェーン・ブラック
   ソニー・ランダム(ビリー・ソール) ジェシー・ヴェンチュラ リチャード・チェイヴス 
   エルピディア・カリーロ(アンナ) R・G・アームストロング 
   ケヴィン・ピーター・ホール(プレデター:身長218㎝)
製作国:アメリカ
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http://wccftech.com/director-confirms-rrating-the-predator/


コメント

最初観た時の印象が良かったので、映画で息抜きしたい時など何度も見返しています。
本作は眠くなるシーンのないよく締まった作りになっていますし、predator(捕食者)、というよりfobby hunter (趣味の狩人)な風情の宇宙人の設定が、日本の武士道(実はそんなものは虚妄ですが※①)を貫く落武者のようで、切迫感がないところが気楽です。

もう一つ気楽な点は、映画中で狩人に狩られる人々に民間人がいない点。獲物はいかにもタフそうな米国軍人たちなので、アーミーには申し訳ないけれど、やはりあくまで他人事です。※②

本作はよくできたB級娯楽映画なのです。

何度観ても私にとっての主役は、ネイティブアメリカンのビリー・ソール(ソニー・ランダムさん)です。
彼が、宇宙人の気配を感じるところ、怯えるところ、そして一人で立ち向かうところにもっとも肩の力が入ります。
ソニーさんは惜しくも2017年夏に亡くなりました。ご冥福をお祈りします。



左がソニー・ランダムさん:Everett Collection/アフロ


今回、いくつかの映画サイトで本作の観客レビューをじっくり読んでみました。
特徴的な点についてコメントします。

一つ目は、本作の評価が低い人は若い世代に多そうだということ。
(レビューに年齢は書かれていませんので、他の映画へのレビューや書かれている内容からの推測です)
二つ目は、評価が高い人に『エイリアン』より劣るが面白かった、と書く人が多かったということ。

私は『エイリアン』『プレデター』二作品ともに封切り時にスクリーンで鑑賞しました。
前者の場合、上映が終わっても十秒くらいはシートから尻を浮かして立ち上がることができませんでした。
後者の場合は、ああおもしろかったとすぐに立ち上がりました。
二作にはこういう作品の底の深さの違いがあります。

『エイリアン』には、生物にとって根源的な恐怖を感じさせる様々な仕掛けがありましたが、
『プレデター』には、シュワちゃん頑張れと応援していれば済む気楽さ、そう気楽さがあります。
また、プレデターの造形は当時としてはかなり斬新でグロいからこそ大ヒット作になったのですが、最近ではもはやかわいいレベルなのかもしれません。
レビューの意味はこういうことではないかな、と考えました。



※①日本の本来の武士の間に、各自や各武士団独特の美意識はあったにせよ、後世に言われる「武士道」なる概念はありませんでした。「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」という有名な藤堂家の家訓はそのわかりやすい例です。「君に忠義」的な「君」に都合のいい倫理観は、戦が消え、武士が武士でなくなった江戸時代に強制された朱子学の発想ですし、「武士道」という語句そのものも江戸時代の造語です。ですからプレデターの堂々たる?戦いぶりは、近代の「封建国家日本」の映画の影響と言えましょう。でもこういう虚構の世界でならば「武士道」を貫く人、いえ宇宙人は嫌いじゃないですよ、私。エイリアンに比べれば友達になってあげられます(笑)

※②米国軍人に駆逐された南米の軍人(ゲリラ)の生き残りの女性アンナの話によると、「暑い年には何十年かごとに悪魔がやってくる」そうですから、その時は民間人が狩られ、頭蓋骨がトロフィーになったのでしょうか。せめて当時の兵士が狩られた、と思いたいです。
などと、娯楽の中で(成員が殺されて)消費されるアーミーという存在は、楽しんでいる私が言うのもいけないのですが、やはり人類社会から消し去って行くべき機能ではないでしょうか。少なくとも禁煙を叫ぶ人は同時に軍隊の廃絶を訴えて頂かないと首尾一貫していないことになります。
虚構の中でヒトが殺されるのを見て楽しむ私たちヒトと言う生き物については、いつかきっちり論考したいと思っています。  


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2018年08月18日

『ジェイソンⅩ 13日の金曜日』

データ
『ジェイソンⅩ 13日の金曜日』

評価:☆☆☆・・・・・・・
年度:2002年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:ジェームズ・アイザック
俳優:レクサ・ドイグ(ローワン)  ケイン・ホッダー(ジェイソン)  リサ・ライダー(KM) 
   ピーター・メンサー(ブロッドスキー軍曹)
製作国:アメリカ
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コメント

シリーズ初作品『13日の金曜日』は封切り後1、2年のうちに観ました。これは面白かった。
その後ジェイソンが麻袋被ったりホッケーマスク被ったりする続編は多少。でもつまらないのでどの作品も最後までは見ていません。
『フレディ対ジェイソン』は劇場で見ました。イマイチでした。
なのに今回なぜ本作『ジェイソンⅩ』を見る気になったのか、自分でもわかりません。
録画しておいて、近頃のジェイソンくんはどんな姿になっているのかな、とだけ確認してすぐ消去するつもりでした。
でも、結局なんとなく最後まで見届けてしまいました。
そういう作品です。

基本は『エイリアン』のパクリオマージュです。
それ以外の閉鎖空間パニック映画からもパクリオマージュしています。
しかし、過去の良作をこれだけオマージュしたら、ある程度見ていられる作品が出来上がります。
そういう作品です。

「安心させておいてこれかよ!」登場人物ジャネッサが宇宙空間に放り出される時のセリフです。
自虐というか、開き直りのセリフですね。
それを否定したら、パニック映画は作れませんから。
悪漢が一回で死んだら世話ないですよね。
笑いました。他にも数カ所笑いました。
そういう作品です。

趣味か娯楽か本能かに導かれるまま、
いつものように手当たり次第に人間を殺していくジェイソンくん。
ただし本作品の舞台は未来社会の宇宙船の中。
ジェイソンくんにとって初めての体験です。
何か変化があるでしょうか。
ありません。
アンドロイドKMに殺されましたが、未来の技術で蘇生しました。
幻想?の全裸美女の誘惑には一瞬戸惑っていました。
ま、そんなこともありましたが、
やはり手当たり次第に人間を殺していきます。
そういう作品です。

あ、そうそう、445年だか先の未来人の服装は、
なぜあんなに
センスがないのでしょうか。
でもエロいので良いことにしますか。
でもやっぱり、そんなに長生きしたくなくなりました(笑)

  


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