2019年12月30日
『飢餓海峡』:これこそが戦後のリアル
データ
『飢餓海峡』
評価:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
年度:1965年公開
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。その後数回スクリーン、ビデオで、2019年DVDで再視聴。
監督:内田吐夢
原作:水上勉
脚本:鈴木尚之
音楽:富田勲
俳優:三國連太郎 左幸子 伴淳三郎
風見章子 加藤嘉 沢村貞子 藤田進 高倉健 進藤幸 遠藤慎子 室田日出男
製作国:日本
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コメント
人間存在のリアルだけでなく、敗戦後の日本列島に生きた人間たちのリアルが匂う傑作です。
若い頃「越前竹人形」「飢餓海峡」など水上勉さんの著作をたくさん読んでいた時代がありました。
”みなかみつとむ”と呼ばれていた頃です。
そんなわたしに飛び込んできたのが本作『飢餓海峡』の映画化のニュース。高校生でしたが、一人で映画館に行きましたとも。その結果生涯忘れられない作品になりましたし、同時に三國連太郎さんの大ファンになりました。今に至っても三國連太郎さんという俳優は、日本映画界で私が最も評価する男優です。
好きな名男優は他にたくさんいます。主演・助演格に限っても志村喬さん、加藤嘉さん、渥美清さん、滝沢修さん、佐藤慶さん、笠智衆さん、それぞれ圧倒的な人間性のリアリティーで登場し、きめ細かい心理を表現してくれました。現役では仲代達矢さん、西田敏行さん、役所広司さんがその域でしょうか。助演陣ではまだまだ多くの名男優が勢ぞろいします。
一方、好きな花形男優もいます。三船敏郎さん、市川雷蔵さん、中村(萬屋)錦之助さん、丹波哲郎さん、勝新太郎さん、高倉健さん、菅原文太さん、緒形拳さん、、それぞれスクリーンに登場するだけで暗い観客席まで照らすようなスターオーラがありました。現役ではちょっと思いつかないのが残念です。スターへの需要のない時代になったのが不運ですが、佐藤浩市さん、妻夫木聡さん、岡田准一さん頑張れ。
そしてその両方を兼ね備えた、つまりリアリティーとスター性を高度に両立させた唯一無二の男優が三國さんなのです。
彼の数ある名演技の中で、いま真っ先に思い出すのは『復讐するは我にあり』での犯人の父親役、『神々の深き欲望』の根吉役、そして本作での犬飼多吉(樽見京一郎)役。その三役とも人類の原罪を背負ったかのような複雑な人格でした。
その三國さんの養父は群馬県の電気工事職人で被差別民(公表済)。本人も中国への密航や徴兵忌避の経歴がある。
原作者水上勉さんの生家は福井の谷あいの棺桶屋。極貧だったので少年時代に寺に奉公に出された。
監督の内田吐夢さんは岡山生まれで尋常小学校を中退し、横浜の不良だった。
・・・この三人総がかりで香ばしい作品が出来上がらないはずはありません。

批評
本作の制作当時、三國さんと太地喜和子さんはそれぞれ生涯を賭けたような大恋愛の真只中でした。太地さんは三國さんを追いかけてロケ現場に行き、そこでヒロイン杉戸八重(左幸子さん)に猛烈に嫉妬したそうです。今でも嫉妬している、と彼女は後年語ったと伝わります。あの猛者太地喜和子さんが胸をかきむしられるほどの八重の「慕情」がこの映画にはどっかりと存在しています。その慕情の強さは、冷酷で罪深くも親切という複雑な樽見京一郎(三国連太郎さん)の「人物像」とみごとに拮抗しているのです。この二つのリアル感溢れる人間存在はそれぞれ別の場所で生き抜いているのですが、生涯でたった二度だけあいまみえます。交差し、火花を散らします。最初は慕情の芽生え、最後は慕情の摘み取りという形で。なぜ二人は出会ったのか。この物語が悲劇なら、なぜ悲劇が起きたのか。。。
それは昭和、いや敗戦後というあの時代でしかあり得ないような悲劇でした。それゆえの二人の生き方、それだからこその二人の存在や慕情の重みでした。
ですからこの映画評を真摯に行う人は、必ずあの戦争、あの敗戦、あの戦後の飢えや渇きと向き合い、我がものとした上で批評しなくてはなりません。しかしそれができる人は今はほとんど生き残っていません。ならば、これからの本作の批評はもはやあり得ないことになります。
ついでながら、本作のリメイクも困難です。三國さんの後継がいないからです。左幸子さんの役には二階堂ふみさんという逸材がいますが、男優は、、二階堂さんの杉戸八重の圧に拮抗する若手男優はと考えると森山未来さんくらいでしょうか。彼なら後述の飢えを表現できるかもしれません。しかし森山さんにはあの色気が出せません。杉戸八重がそこまで慕情を貫く相手となると、、難しいです。
批評というタイトルで私はもう少しだけ本作について、戦後について書きますが、上記の理由でそれは批評の名に値しないことを自覚しています。私は敗戦五年後の生まれですが、自分の頭で考えられる年齢になると「もはや戦後ではない」時代に突入してしまいましたから。
ただし、敗戦の匂いの片鱗の記憶は確かにあります。脱脂粉乳で育ちました。傷痍軍人や乞食、子供の靴磨きはまだいました。ゼネストや松川事件は知りませんが60年安保、蜂の巣城、三井三池闘争、、、人々の反乱が連日ニュースになっていました。戦争と戦後の混乱の中で焼け太った笹川良一、小佐野賢治、岸信介などという連中がのさばっていました。時に町に漂う催涙ガスの匂いは、機動隊というよりもむしろアメリカ軍を思い出させました。どの都市にも焼け跡市・闇市の名残があり、神戸のヤクザにはまだ飢えた獣の目が残っていました。学校の裏庭の土は時折血を吸って赤黒くなっていましたし、階段に血痕が散っていた日も一回二回ではありません。一回は私の血で中学生の私の歯も何本か飛びました。しかしもうそんな記憶を残す人間は少数派になっています。
犬飼多吉(のちの樽見京一郎)は北海道の列車で知り合った仲間とある町(モデルは北海道岩内)で強盗事件を起こします。仲間たちは殺人を犯し、大金を奪った上で風吹き荒れる町に火を放ち、多くの犠牲者を出しました。
岩内では実際に戦後14年経った1954年に大火が起こっています。罹災者は16622人にのぼりました。これは放火ではなかったのですが、水上勉さんはこの大火に着想を得、時代を少し昔に戻して小説を書いたのでした。
彼らは漁船を盗み、津軽海峡を渡ろうとします。おりしも台風襲来前の大嵐でしたから、そこに紛れようとしたのです。その途中犬飼多吉は仲間を殺害し、金を奪い、死体を海に投げ捨て、漁船を下北半島の崖で焼いて証拠を消したのち、町に逃れていくのでした。青函連絡船が大事故を起こしたため津軽海峡には死体が多数浮かんでいることを知り、自分が殺害した死体がその中に紛れることを期待したのです。
史実では、上記の岩内大火があったその時、台風15号が襲来して青函連絡船洞爺丸が沈没しています。死者は1155人に及び、日本史上最悪の海難事故とされています。天気予報の精度もまだ低く、台風の現在位置を見誤っていたため、大丈夫と踏んでの出航だったのですが、今では考えられないミスと言えます。大火と連絡船事故が同日に起きたことが水上勉さんの作家意欲を刺激したわけです。飛び抜けてドラマティックな設定です。しかしミスによる連絡船の沈没や放火による大火などは今日では起こり得ないかもしれません。
陸に上がった犬飼多吉は町に逃れる際に森林鉄道(森林軌道)を利用しました。森林鉄道とは、モータリゼーションの到来前に日本の各地の山林に張り巡らされていた鉄道、いえトロッコ列車のようなものです。主として木材を運ぶための手段でしたが、場所によっては乗客を乗せることもありました。戦後に道路が整備されトラックの性能が上がると急激に廃止されて行ったので、今日では(観光用のわずかな路線を除いて)一本も残っていません。そのトロッコのように屋根も座席もない車両で、多吉は下北半島仏ヶ浦からむつ市の大湊まで移動したのです。(ただし原作の描写。映画ではあまり具体的な地名はなかったように思います。)その森林軌道そのものがいかにも戦後を思わせるのですが、本作で重要なのは、多吉がこの車両で杉戸八重と出会ったことです。空腹の多吉は八重の握り飯をわけてもらったのでした。三國連太郎さんの飢えの表現は実にみごと。この飢えが次の展開に説得力を持たせます。
なお八重の故郷はこの鉄道の路線の奥にある寒村で、貧しさから身を売った先が大湊の遊郭でした。

原作で太吉が乗った森林鉄道のルートを青い線で示しました。ただし軌道そのものではなく、今日の道路で示しています。
軍人のための従軍慰安婦だけでなく、国内において公娼制度(国家など行政が売春を認めること)を長く維持してきた大日本帝国でしたが、敗戦後は米国GHQの指揮によって名目上は廃止されました。けれど実際に赤線・遊郭は相変わらず残っていました。売春が社会の表面から消えるには1957年4月1日に施行された売春防止法を待たなければなりませんでした。女性参政権(婦人参政権)に遅れること約11年になります。本作の原作での青函連絡船沈没や北海道の大火は1947年(昭和22年)という設定になっていますから、まだまだ赤線・遊郭を拠点とし、貧しい女性が雇われて売春する制度は大変活発だった時代です。杉戸八重はそういう生業についていました。とうぜん多額の借金を抱えています。その借金を帳消しにしてなお余る大金を贈ったのが犬飼多吉だったのです。一晩の遊興としてはべらぼうな金額だったわけですが、多吉からすれば、森林鉄道での飢えを癒した握り飯や遊郭での八重の親切に報いたのでしょう。もちろん北海道で強盗殺人を働きさらに仲間を殺して得た金です。
八重にとって多吉は大恩人です。同時に生涯忘れ得ない恋慕の対象です。おそらく八重にとっても恋慕ゆえか大恩ゆえかわからなくなったまま、いつか多吉に会って礼を言いたいと、それが一生の目標になったはずです。そこから悲劇が始まります。(左幸子さん渾身の演技)
・・この調子で書くと超長文になりますのでこのあたりで筆を置きます。
私の未熟な筆が、少しでも戦後の空気をお伝えできていればと思うのですが、繰り返しになりますが私自身その匂い程度しか体内にありません。まして本作のテーマ、敗戦後の日本の「飢餓」については、原作を読み、本作を鑑賞されることで感じ取っていただきたいと願います。水上さん、三國さん、左さん、内田さん、伴淳三郎さん(好演)たちはその飢餓をよくご存じなのですから。

津軽の或る森林鉄道(林野町HPより)
『飢餓海峡』
評価:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
年度:1965年公開
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。その後数回スクリーン、ビデオで、2019年DVDで再視聴。
監督:内田吐夢
原作:水上勉
脚本:鈴木尚之
音楽:富田勲
俳優:三國連太郎 左幸子 伴淳三郎
風見章子 加藤嘉 沢村貞子 藤田進 高倉健 進藤幸 遠藤慎子 室田日出男
製作国:日本
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コメント
人間存在のリアルだけでなく、敗戦後の日本列島に生きた人間たちのリアルが匂う傑作です。
若い頃「越前竹人形」「飢餓海峡」など水上勉さんの著作をたくさん読んでいた時代がありました。
”みなかみつとむ”と呼ばれていた頃です。
そんなわたしに飛び込んできたのが本作『飢餓海峡』の映画化のニュース。高校生でしたが、一人で映画館に行きましたとも。その結果生涯忘れられない作品になりましたし、同時に三國連太郎さんの大ファンになりました。今に至っても三國連太郎さんという俳優は、日本映画界で私が最も評価する男優です。
好きな名男優は他にたくさんいます。主演・助演格に限っても志村喬さん、加藤嘉さん、渥美清さん、滝沢修さん、佐藤慶さん、笠智衆さん、それぞれ圧倒的な人間性のリアリティーで登場し、きめ細かい心理を表現してくれました。現役では仲代達矢さん、西田敏行さん、役所広司さんがその域でしょうか。助演陣ではまだまだ多くの名男優が勢ぞろいします。
一方、好きな花形男優もいます。三船敏郎さん、市川雷蔵さん、中村(萬屋)錦之助さん、丹波哲郎さん、勝新太郎さん、高倉健さん、菅原文太さん、緒形拳さん、、それぞれスクリーンに登場するだけで暗い観客席まで照らすようなスターオーラがありました。現役ではちょっと思いつかないのが残念です。スターへの需要のない時代になったのが不運ですが、佐藤浩市さん、妻夫木聡さん、岡田准一さん頑張れ。
そしてその両方を兼ね備えた、つまりリアリティーとスター性を高度に両立させた唯一無二の男優が三國さんなのです。
彼の数ある名演技の中で、いま真っ先に思い出すのは『復讐するは我にあり』での犯人の父親役、『神々の深き欲望』の根吉役、そして本作での犬飼多吉(樽見京一郎)役。その三役とも人類の原罪を背負ったかのような複雑な人格でした。
その三國さんの養父は群馬県の電気工事職人で被差別民(公表済)。本人も中国への密航や徴兵忌避の経歴がある。
原作者水上勉さんの生家は福井の谷あいの棺桶屋。極貧だったので少年時代に寺に奉公に出された。
監督の内田吐夢さんは岡山生まれで尋常小学校を中退し、横浜の不良だった。
・・・この三人総がかりで香ばしい作品が出来上がらないはずはありません。

批評
本作の制作当時、三國さんと太地喜和子さんはそれぞれ生涯を賭けたような大恋愛の真只中でした。太地さんは三國さんを追いかけてロケ現場に行き、そこでヒロイン杉戸八重(左幸子さん)に猛烈に嫉妬したそうです。今でも嫉妬している、と彼女は後年語ったと伝わります。あの猛者太地喜和子さんが胸をかきむしられるほどの八重の「慕情」がこの映画にはどっかりと存在しています。その慕情の強さは、冷酷で罪深くも親切という複雑な樽見京一郎(三国連太郎さん)の「人物像」とみごとに拮抗しているのです。この二つのリアル感溢れる人間存在はそれぞれ別の場所で生き抜いているのですが、生涯でたった二度だけあいまみえます。交差し、火花を散らします。最初は慕情の芽生え、最後は慕情の摘み取りという形で。なぜ二人は出会ったのか。この物語が悲劇なら、なぜ悲劇が起きたのか。。。
それは昭和、いや敗戦後というあの時代でしかあり得ないような悲劇でした。それゆえの二人の生き方、それだからこその二人の存在や慕情の重みでした。
ですからこの映画評を真摯に行う人は、必ずあの戦争、あの敗戦、あの戦後の飢えや渇きと向き合い、我がものとした上で批評しなくてはなりません。しかしそれができる人は今はほとんど生き残っていません。ならば、これからの本作の批評はもはやあり得ないことになります。
ついでながら、本作のリメイクも困難です。三國さんの後継がいないからです。左幸子さんの役には二階堂ふみさんという逸材がいますが、男優は、、二階堂さんの杉戸八重の圧に拮抗する若手男優はと考えると森山未来さんくらいでしょうか。彼なら後述の飢えを表現できるかもしれません。しかし森山さんにはあの色気が出せません。杉戸八重がそこまで慕情を貫く相手となると、、難しいです。
批評というタイトルで私はもう少しだけ本作について、戦後について書きますが、上記の理由でそれは批評の名に値しないことを自覚しています。私は敗戦五年後の生まれですが、自分の頭で考えられる年齢になると「もはや戦後ではない」時代に突入してしまいましたから。
ただし、敗戦の匂いの片鱗の記憶は確かにあります。脱脂粉乳で育ちました。傷痍軍人や乞食、子供の靴磨きはまだいました。ゼネストや松川事件は知りませんが60年安保、蜂の巣城、三井三池闘争、、、人々の反乱が連日ニュースになっていました。戦争と戦後の混乱の中で焼け太った笹川良一、小佐野賢治、岸信介などという連中がのさばっていました。時に町に漂う催涙ガスの匂いは、機動隊というよりもむしろアメリカ軍を思い出させました。どの都市にも焼け跡市・闇市の名残があり、神戸のヤクザにはまだ飢えた獣の目が残っていました。学校の裏庭の土は時折血を吸って赤黒くなっていましたし、階段に血痕が散っていた日も一回二回ではありません。一回は私の血で中学生の私の歯も何本か飛びました。しかしもうそんな記憶を残す人間は少数派になっています。
犬飼多吉(のちの樽見京一郎)は北海道の列車で知り合った仲間とある町(モデルは北海道岩内)で強盗事件を起こします。仲間たちは殺人を犯し、大金を奪った上で風吹き荒れる町に火を放ち、多くの犠牲者を出しました。
岩内では実際に戦後14年経った1954年に大火が起こっています。罹災者は16622人にのぼりました。これは放火ではなかったのですが、水上勉さんはこの大火に着想を得、時代を少し昔に戻して小説を書いたのでした。
彼らは漁船を盗み、津軽海峡を渡ろうとします。おりしも台風襲来前の大嵐でしたから、そこに紛れようとしたのです。その途中犬飼多吉は仲間を殺害し、金を奪い、死体を海に投げ捨て、漁船を下北半島の崖で焼いて証拠を消したのち、町に逃れていくのでした。青函連絡船が大事故を起こしたため津軽海峡には死体が多数浮かんでいることを知り、自分が殺害した死体がその中に紛れることを期待したのです。
史実では、上記の岩内大火があったその時、台風15号が襲来して青函連絡船洞爺丸が沈没しています。死者は1155人に及び、日本史上最悪の海難事故とされています。天気予報の精度もまだ低く、台風の現在位置を見誤っていたため、大丈夫と踏んでの出航だったのですが、今では考えられないミスと言えます。大火と連絡船事故が同日に起きたことが水上勉さんの作家意欲を刺激したわけです。飛び抜けてドラマティックな設定です。しかしミスによる連絡船の沈没や放火による大火などは今日では起こり得ないかもしれません。
陸に上がった犬飼多吉は町に逃れる際に森林鉄道(森林軌道)を利用しました。森林鉄道とは、モータリゼーションの到来前に日本の各地の山林に張り巡らされていた鉄道、いえトロッコ列車のようなものです。主として木材を運ぶための手段でしたが、場所によっては乗客を乗せることもありました。戦後に道路が整備されトラックの性能が上がると急激に廃止されて行ったので、今日では(観光用のわずかな路線を除いて)一本も残っていません。そのトロッコのように屋根も座席もない車両で、多吉は下北半島仏ヶ浦からむつ市の大湊まで移動したのです。(ただし原作の描写。映画ではあまり具体的な地名はなかったように思います。)その森林軌道そのものがいかにも戦後を思わせるのですが、本作で重要なのは、多吉がこの車両で杉戸八重と出会ったことです。空腹の多吉は八重の握り飯をわけてもらったのでした。三國連太郎さんの飢えの表現は実にみごと。この飢えが次の展開に説得力を持たせます。
なお八重の故郷はこの鉄道の路線の奥にある寒村で、貧しさから身を売った先が大湊の遊郭でした。

原作で太吉が乗った森林鉄道のルートを青い線で示しました。ただし軌道そのものではなく、今日の道路で示しています。
軍人のための従軍慰安婦だけでなく、国内において公娼制度(国家など行政が売春を認めること)を長く維持してきた大日本帝国でしたが、敗戦後は米国GHQの指揮によって名目上は廃止されました。けれど実際に赤線・遊郭は相変わらず残っていました。売春が社会の表面から消えるには1957年4月1日に施行された売春防止法を待たなければなりませんでした。女性参政権(婦人参政権)に遅れること約11年になります。本作の原作での青函連絡船沈没や北海道の大火は1947年(昭和22年)という設定になっていますから、まだまだ赤線・遊郭を拠点とし、貧しい女性が雇われて売春する制度は大変活発だった時代です。杉戸八重はそういう生業についていました。とうぜん多額の借金を抱えています。その借金を帳消しにしてなお余る大金を贈ったのが犬飼多吉だったのです。一晩の遊興としてはべらぼうな金額だったわけですが、多吉からすれば、森林鉄道での飢えを癒した握り飯や遊郭での八重の親切に報いたのでしょう。もちろん北海道で強盗殺人を働きさらに仲間を殺して得た金です。
八重にとって多吉は大恩人です。同時に生涯忘れ得ない恋慕の対象です。おそらく八重にとっても恋慕ゆえか大恩ゆえかわからなくなったまま、いつか多吉に会って礼を言いたいと、それが一生の目標になったはずです。そこから悲劇が始まります。(左幸子さん渾身の演技)
・・この調子で書くと超長文になりますのでこのあたりで筆を置きます。
私の未熟な筆が、少しでも戦後の空気をお伝えできていればと思うのですが、繰り返しになりますが私自身その匂い程度しか体内にありません。まして本作のテーマ、敗戦後の日本の「飢餓」については、原作を読み、本作を鑑賞されることで感じ取っていただきたいと願います。水上さん、三國さん、左さん、内田さん、伴淳三郎さん(好演)たちはその飢餓をよくご存じなのですから。

津軽の或る森林鉄道(林野町HPより)
Posted by gadogadojp at 10:00│Comments(0)
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