2018年08月28日
『ディア・ドクター』
データ
『ディア・ドクター』
評価:☆☆☆☆☆☆☆☆・・
年度:2009年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。
監督:西川美和
原作:西川美和
俳優:笑福亭鶴瓶(伊野治) 八千草薫(鳥飼かづ子) 瑛太(相馬啓介) 余貴美子(大竹朱美)
井川遥(鳥飼りつ子) 香川照之(斎門正芳) 松重豊 岩松了 笹野高史 水島涼太 冷泉公裕
キムラ緑子 滝沢涼子 石川真希 安藤玉恵 新屋英子 田中隆三 河原さぶ 高橋昌也 中村勘三郎
製作国:日本
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コメント
「この嘘は、罪ですか。」フライヤー
「人は誰もがなりすましていきている」予告編
上記二種類のキャッチコピーはどうにも浅薄です。
本作のテーマの一側面だけを切り取ることで、作品の質を矮小にしてしまいました。
広告代理店的、あるいは糸井重里的と申しましょうか、このような上から目線のテーマの押し付けは、今日の日本を覆う反知性の状況作りに大いに責任があると私は考えています。
このコピーの水準よりうんと上を行く作品です、本作は。
たとえば、頼りない医者(笑福亭鶴瓶さん)の正体にうすうす気づきながら、懸命に勇気づけ、フォローする看護師余貴美子さんの目の表情一つ取り上げても、観客の心を震わすレベルです。
このように達者な演技者たちが、一人の監督が描こうとした一つの作品に、熱意をもって取り組んだ様子がビンビン伝わる演技をぜひご覧ください。
その結果、おそらくは企画よりも世界が膨らんだ作品になりました。
私も、医療とは何か、その根本的な問いに考えを及ぼさざるを得なくなりました。

予告編より
批評
はじめに、私と妻にとって大切な記憶を語る所から始めます。
先年に癌で亡くなった私の母が、 大病院からいよいよホスピスに転院する直前の夜、 車椅子に乗ったままじっと、病院の大きな窓ごしに、神戸のきらめく夜景を眺めていた情景を、 私たちは声を失ったままただ見つめていました。
今夜が見納めだ、という思いだったにちがいありません。
神戸は母が生まれ育った街ですから、80年を超える人生の思い出のほとんどがこの街に詰まっていたのですから。
本作の後半、八千草薫さん演じる鳥飼かづ子の入院前夜のシーンでこの記憶が蘇ったのです。
鳥飼かづ子は胃癌で、おそらくはもう手遅れ。
医師である娘の勤める都会の病院に入院します。
だから明日にはこの故郷を離れ、
もう戻ることはありません。
かづ子が見慣れた山の暗い稜線を、 カメラはゆっくりとパンしていくのですが、 私の母の場合とは違う要素が一つ、この映画にはあります。
それは、 夜ごとに訪ねてくれる村の医師がいたこと。
笑福亭鶴瓶さん演じる伊野治です。
鳥飼かづ子には、長い闘病生活を送った末亡くなった夫がいて、その介護の厳しさを娘たちに味合わせたくないと願い、伊野医師に、病気を内密にするよう頼んでいたのでした。
しかしその嘘もついに娘に気づかれ、都会の病院に行くことになります。
鳥飼かづ子は、 その最後の夜の景色を眺める気持ちの中で、 親身に往診してくれた伊野医師を、毎晩、玄関先まで見送って手を振った思い出までも、 かみしめていたにちがいありません。
映画のラストシーンは、 意外なものでしたが、監督が、二人の情愛抜きにかづ子を幸せに「死なせる」ことはできないと考えたからと思えば,納得がいきます。
西川監督の前作「ゆれる」は、 観客をある一点を凝視させて鑑賞することを要求した映画でしたが、 本作はそれに比べればテーマが山盛りです。
医療の本質を問う観点はもとより、都会と地方、共同幻想、嘘、保身、家族、などなど、映画のどの場面からでも問題が抽出出来そうです。
でも、どのテーマもとことん追求されることはなく、ゆるやかに映画は進行し、終了します。
考えてみれば、 それは私たちの日常生活そのものです。
私たちの人生は、 無数の課題やテーマを内包しながら、 何一つ解決しないまま終焉を迎えるからです。
まだ若い西川監督が、 こんな境地の映画を作ってしまったら、 次回作はどうモチベーションをたかめていくのだろうと、 むしろ心配はそこにあります。
(スクリーンで鑑賞した年度の感想です。)
あ、 何一つ解決しないまま、ではありませんでした。 西川監督は、 情愛を人生の最期にどうですか、と提案したのでしたから。
以下は蛇足です。
でも私は願わずにはいられません。
皆様の中に昔気質の親を持つ方は、その性質をよくお考えの上、隠している病気はないか、本当は苦しくてたまらないのではないか、と、想像力をめぐらせていただきたいと、自分の体験から切にお願いしておいて、この記事をしめくくらせていただきます。

予告編より
『ディア・ドクター』
評価:☆☆☆☆☆☆☆☆・・
年度:2009年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。
監督:西川美和
原作:西川美和
俳優:笑福亭鶴瓶(伊野治) 八千草薫(鳥飼かづ子) 瑛太(相馬啓介) 余貴美子(大竹朱美)
井川遥(鳥飼りつ子) 香川照之(斎門正芳) 松重豊 岩松了 笹野高史 水島涼太 冷泉公裕
キムラ緑子 滝沢涼子 石川真希 安藤玉恵 新屋英子 田中隆三 河原さぶ 高橋昌也 中村勘三郎
製作国:日本
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「この嘘は、罪ですか。」フライヤー
「人は誰もがなりすましていきている」予告編
上記二種類のキャッチコピーはどうにも浅薄です。
本作のテーマの一側面だけを切り取ることで、作品の質を矮小にしてしまいました。
広告代理店的、あるいは糸井重里的と申しましょうか、このような上から目線のテーマの押し付けは、今日の日本を覆う反知性の状況作りに大いに責任があると私は考えています。
このコピーの水準よりうんと上を行く作品です、本作は。
たとえば、頼りない医者(笑福亭鶴瓶さん)の正体にうすうす気づきながら、懸命に勇気づけ、フォローする看護師余貴美子さんの目の表情一つ取り上げても、観客の心を震わすレベルです。
このように達者な演技者たちが、一人の監督が描こうとした一つの作品に、熱意をもって取り組んだ様子がビンビン伝わる演技をぜひご覧ください。
その結果、おそらくは企画よりも世界が膨らんだ作品になりました。
私も、医療とは何か、その根本的な問いに考えを及ぼさざるを得なくなりました。

予告編より
批評
はじめに、私と妻にとって大切な記憶を語る所から始めます。
先年に癌で亡くなった私の母が、 大病院からいよいよホスピスに転院する直前の夜、 車椅子に乗ったままじっと、病院の大きな窓ごしに、神戸のきらめく夜景を眺めていた情景を、 私たちは声を失ったままただ見つめていました。
今夜が見納めだ、という思いだったにちがいありません。
神戸は母が生まれ育った街ですから、80年を超える人生の思い出のほとんどがこの街に詰まっていたのですから。
本作の後半、八千草薫さん演じる鳥飼かづ子の入院前夜のシーンでこの記憶が蘇ったのです。
鳥飼かづ子は胃癌で、おそらくはもう手遅れ。
医師である娘の勤める都会の病院に入院します。
だから明日にはこの故郷を離れ、
もう戻ることはありません。
かづ子が見慣れた山の暗い稜線を、 カメラはゆっくりとパンしていくのですが、 私の母の場合とは違う要素が一つ、この映画にはあります。
それは、 夜ごとに訪ねてくれる村の医師がいたこと。
笑福亭鶴瓶さん演じる伊野治です。
鳥飼かづ子には、長い闘病生活を送った末亡くなった夫がいて、その介護の厳しさを娘たちに味合わせたくないと願い、伊野医師に、病気を内密にするよう頼んでいたのでした。
しかしその嘘もついに娘に気づかれ、都会の病院に行くことになります。
鳥飼かづ子は、 その最後の夜の景色を眺める気持ちの中で、 親身に往診してくれた伊野医師を、毎晩、玄関先まで見送って手を振った思い出までも、 かみしめていたにちがいありません。
映画のラストシーンは、 意外なものでしたが、監督が、二人の情愛抜きにかづ子を幸せに「死なせる」ことはできないと考えたからと思えば,納得がいきます。
西川監督の前作「ゆれる」は、 観客をある一点を凝視させて鑑賞することを要求した映画でしたが、 本作はそれに比べればテーマが山盛りです。
医療の本質を問う観点はもとより、都会と地方、共同幻想、嘘、保身、家族、などなど、映画のどの場面からでも問題が抽出出来そうです。
でも、どのテーマもとことん追求されることはなく、ゆるやかに映画は進行し、終了します。
考えてみれば、 それは私たちの日常生活そのものです。
私たちの人生は、 無数の課題やテーマを内包しながら、 何一つ解決しないまま終焉を迎えるからです。
まだ若い西川監督が、 こんな境地の映画を作ってしまったら、 次回作はどうモチベーションをたかめていくのだろうと、 むしろ心配はそこにあります。
(スクリーンで鑑賞した年度の感想です。)
あ、 何一つ解決しないまま、ではありませんでした。 西川監督は、 情愛を人生の最期にどうですか、と提案したのでしたから。
以下は蛇足です。
でも私は願わずにはいられません。
皆様の中に昔気質の親を持つ方は、その性質をよくお考えの上、隠している病気はないか、本当は苦しくてたまらないのではないか、と、想像力をめぐらせていただきたいと、自分の体験から切にお願いしておいて、この記事をしめくくらせていただきます。

予告編より
Posted by gadogadojp at 10:00│Comments(0)
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