2020年02月24日

『地上より永遠に』叶わぬ恋を表す題名ではなかった

データ
『地上より永遠に』
ここより永遠に、 From Here to Eternity
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:1953年
鑑賞:ビデオ、DVDで鑑賞。2020年BS/CSで再視聴。
監督:フレッド・ジンネマン
原作:ジェームズ・ジョーンズ
俳優:バート・ランカスター モンゴメリー・クリフト デボラ・カー フランク・シナトラ ドナ・リード アーネスト・ボーグナイン フィリップ・オーバー
製作国:アメリカ
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コメント、批評

二度目の鑑賞で私の評価はずいぶん上がりました。

男性俳優は好演しています。
けれど女性俳優の演技や輝きはもう一歩というところ。
デボラ・カーさんの独特の表情は魅力的ですが、真珠湾攻撃によってなすすべもなく客船に乗ってハワイに別れを告げるラストは、哀切ですが無力すぎる印象です。


原作者はジェームズ・ジョーンズさん。真珠湾攻撃を目撃し、のちに本作や『シン・レッド・ライン』(1998、テレンス・マリック監督、佳作)の原作となる作品を書いた小説家です。そして本作の題名は、英国のラドヤード・キップリングさんという小説家・詩人の詩から採られています。邦訳では”ここよりとわに”と読ませます。一部をwikipediaから引用しますと、

上流出身の兵士は浮かれ騒ぐ、
 地上より永遠に呪われたる、
 われらごとき兵士に憐れみをたれたまえ、

(新庄哲夫訳『地上より永遠に』角川文庫より)


最初の鑑賞時、本作のテーマは若い私にはわかり難いものでした。というのも、ウォーデン曹長(バート・ランカスターさん)とカレン(デボラ・カーさん)の有名なハワイの砂浜での不倫ラブシーン、プルーイット(モンゴメリー・クリフトさん)とロリーン(ドナ・リードさん)の兵卒と慰安婦との恋、という二組のカップルの恋愛模様に少し辟易としたからです。私はただの恋愛映画に関心がありません。

けれど今回機会があってもう一度観ようと考えた理由は、先日ジンネマン監督の『日曜日には鼠を殺せ』に感じ入ったことがきっかけで、若い私には本作を理解できる力がなかったのではないかと考えたことが一つです。もう一つは、傑作『ゴッドファーザー』(1972 コッポラ監督)のあのエピソードの元になった本作のフランク・シナトラさんの演技を見直したくなったからです。あのエピソードとは、ヴィトー・コルレオーネがゴッドサンのジョニーを映画に出演させるために、それを拒んでいた映画会社の社長?の愛馬の首を切り落とさせた事件のことです。その脅しが効いて、ジョニーは念願の役にありつきました。本作のフランク・シナトラさんも、首尾よくアカデミー助演男優賞に輝き、スランプを脱したのでした。

脇道に逸れましたので話を戻します。
今回あらためて本作を鑑賞しますと、恋愛映画の要素も色濃く持ちながら、その底にキップリングの詩に明白に窺える下積み兵士にかけられた呪い、いや階層差別がドンと居座っていることにようやく気がついたのでした。その悲哀に満ちた下層兵士を演じるのが超二枚目モンゴメリー・クリフトさんとイケボイスのフランク・シナトラさんだということが、ジンネマン監督や製作陣の策略なんですね。

少し持って回ったこの手法ゆえに、私にとって大好きな映画にはなりませんが、映画史の中で一定の位置を占めることになった作品であることには疑う余地がなさそうです、と私も持って回った文を書いて、本稿を終えます。

  


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2020年02月22日

『ほえる犬は噛まない』:ポン・ジュノさん初の劇場映画

データ
『ほえる犬は噛まない』
Barking dogs never bite、플란다스의 개(フランダースの犬)
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2000年
鑑賞:2020年BS/CSで視聴。
監督:ポン・ジュノ=奉俊昊
俳優:ぺ・ドゥナ=裵斗娜=배두나(パク・ヒョンナム) イ・ソンジェ(コ・ユンジュ) 
   コ・スヒ(ユン・チャンミ、チャンミの友人) ピョン・ヒボン(ピョン警備員) キム・レハ(ホームレス)
   キム・ホジョン(ユンジュの妻) キム・ジング(犬を飼う婆さん) 
製作国:韓国
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コメント

Barking dogs never bite.吠えるだけで何もできないやつ。って感じの英語の言い回し。そうか、じゃあそういう登場人物が出てくるのかと思いきや、そうでもなく、はて?と原題を見ると플란다스의 개。フランダースの犬。なんやそれ、ますますわからへん、と楽しくなる映画です。はい、楽しいのです。

とある団地で犬が連続失踪するのです。その団地に住む、教授になりたいが何もできない冴えない院生?がコ・ユンジュ(イ・ソンジェさん)。その団地の管理事務所で働く少しお間抜けだが正義感と有名人になりたい欲の強い女性がパク・ヒョンナム(ぺ・ドゥナさん)。二人主演の映画です。

人間にとって犬とはなんでしょう。ペット?パートナー?ガードマン?労働力?それとも食べ物?
〜全部正解ですよね、現代では。
そのあたりの人によるズレがおもしろいコメディーと考えて良いのでしょう。あちこちに皮肉・アイロニーが散りばめられていて、『パラサイト』を思い出しました。

ポン・ジュノさん初の劇場映画という期待を持って観ましたが、なかなか意外な展開もあり、これまた『パラサイト』を思わせる社会的シーンもあり、でとても楽しめました。監督は最初からアイデアとセンスがあったのですね。特に動物愛護にセンシティブな方以外にはおすすめできます。

個人的には、ピョン・ヒボンさんの素晴らしい芸を堪能しました。彼はあの傑作『グエムル』でお父さん役で重要な役どころを演じていました。いや、作品製作順では本作が先ですが。そして、ぺ・ドゥナさんファンの私としては、二十歳そこそこの彼女が軽快に主役をこなしていたのでそれも嬉しい映画でした。






批評

犬食文化はもともと世界中に広がっていた習慣でした。ヒトが狩られるイキモノから狩るイキモノへと変身した頃から始まったと考えられます。狼をとらえて飼育し、イヌへと変化させていく目的は、狩猟や牧畜の”仲間”やソリを牽く労働力としてだけではなかったでしょう。まして”ペット”にして可愛がるために危険を犯して捕らえた狼に餌をあげていたわけはありますまい。日頃はとても役に立つ家畜であったし、慰められることも多かったでしょうが、老犬になったりケガをしたり不意の客人が訪れたりすれば、ためらいなく撲殺されて喰われていたはずです。少なくとも予備食料として。

その後の人類の文化は多様化し、犬食に関しても濃淡さまざまな発展を遂げました。現代では英国とイスラム圏を中心に嫌犬食文化が広がっていますが、今なお世界では年間二千万頭以上の犬が食べられているとされます。日本列島でも縄文時代には「愛され且つ食べられ」たと考えられる事例がいくつも見つかっていますし、古代・中世・近世、そして近代まで食料としての需要は連綿と続いていました。私たち個人が犬を食べることに嫌悪するのは勝手ですが、犬を食べる他人や文化を下劣と見るのは一種の差別であり、反知性のあらわれに他なりません。

私自身は積極的に犬を食べませんし、入手も困難な現代日本に暮らしています。ですが、ベトナムや中国、韓国では何の躊躇いもなくありがたくいただきました。特にベトナムでの犬の鍋はとても美味で、体を芯から温めてくれました。日本においてブタをペットとして飼う人もいるし食べる人もいることと同じでしょう。こういう考え方に納得がいかない方は、wikipediaの「犬食文化」の項目を一読ください。詳しい事情が書かれてあります。ただし、掲載された写真は見る人によっては耐えられないグロテスクなものと思えるでしょうからご注意ください。
  


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2020年02月20日

『永い言い訳』:西川美和さんが描くダメダメな奴

データ
『永い言い訳』

評価:☆☆☆☆☆☆☆・・・
年度:2016年
鑑賞:ビデオ、DVDで鑑賞。2020年BS/CSで再視聴。
監督:西川美和
原作:西川美和
撮影:山崎裕
音楽:中西俊博 加藤みちあき
俳優:本木雅弘 深津絵里  竹原ピストル 堀内敬子 藤田健心 白鳥玉季
   池松壮亮 黒木華  山田真歩  松岡依都美 康すおん 岩井秀人
   戸次重幸 淵上泰史 ジジ・ぶぅ 小林勝也
製作国:日本
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予告編より


コメント

扱われた題材は私にとって好きでも得意でもありません。それだけに、観賞後に解釈を巡って自分の中で迷路に嵌ってしまい、少し困っています。そこでまず、題材・主題・本筋とは少し離れたことを書くことで頭を整理したいと思います。
ここでは配役名ではなくあえて俳優名で書きます。


私が鑑賞した西川美和監督の作品は『ディア・ドクター』など五作目になります。いずれも傑作・佳作ぞろいです。(あ、印象に残っていない『ユメ十夜 第九夜』を除いてはですが。)本作だけはTV画面で観ることになったのがいささか残念でしたが、スクリーンでなくても真価がわかるきめ細かい映画です。

本木雅弘さんが出演する映画は『シコふんじゃった。』と『おくりびと』だけしか知りませんでした。そこで彼はたいへん几帳面で徹底的な役作りをする役者だという印象でした。本作でもそう感じました。彼が演ずる作家は、自己完結型の閉ざされた人格だと看ました。案外ご本人もそういうお人柄かもしれません。妻は、本木さんの義父母があのような方たちだから、本木さんも相当な人だと考えているようです。私もそう思います。相当にヘンコだから、樹木希林さんにも内田裕也さんにも領空侵犯さえさせなかったのでしょう。本作においても素晴らしいなりきり演技で、書かれた言葉の世界でしか他者や世界と関わることができないインテリ作家役を好演しました。

深津絵里さんに関する記憶を辿っています。初主演映画『(ハル)』(1996 森田芳光監督)のポスターだったかに見入った記憶が蘇りました。この映画は今思うと見ておくべきでした。相手役が内野聖陽さんですし。その後『踊る大捜査線』でひいきの女優さんになりました。ですが決して演技に惹かれたわけではなく、私には珍しく単なるタレントファンになったのです。けれどその後役者として急速に成長されたのは皆様ご存知の通り。数えてみると(シリーズものも含め)14,5作品ほど見ています。どれだけ好きやねん、と改めて思いました。本作ではとてもきめ細かい演技と晴れやかな笑顔で少ない出番ながら影の主役を務めました。いかにも美容師らしく手際よく夫の髪を切る場面で、夫からの雑言を受け流す場面の表情や、ドアを開けて一瞬戻ったとき、揺れるケータイストラップを見たときの目など、すごい女優だなと改めて感じました。


『(ハル)』の深津さん

竹原ピストルさん。配役の妙です。世界が閉じている本木さんと線対称の位置にいる心に垣根のない長距離トラック運転手を演じています。二人とも社交性に乏しく几帳面で劣等感を持っているなど共通点が多いのですが、心の窓口の広さがまったく違うのです。これはインテリかインテリでないかという違いに他なりません。もっと言えば、傷つくのを予め恐れるか恐れないかの違いです。つまり心の防衛力の違いです。あるいは書かれた言葉で関係を結ぶ人間と行動で関係を結ぶ人間の違いです。その対比がよくわかる出色の演技です。

山田真歩さんの吃音がもう迫真。これまで私の吃音演技NO.1は『カッコーの巣の上で』(1975)にてビリー役を演じたブラッド・ドゥーリフさんでしたが、山田さんは彼を超えました。いい役者です。山田さん以外にも黒木華さん、池松壮亮さん、松岡依都美さん、康すおんさんなどを脇に配した西川美和さんはほんとに贅沢な監督です。

子役の二人もとてもナチュラルでした。本木さんがしだいに心の窓口を開いていくためには、竹原ピストルさんだけでは難しく、母親をなくしたばかりの子供たちがそばにいてくれる(いてほしい)存在として本木さんを認知する必要があったのです。その子供たちに少しでもアンナチュラルな雰囲気があればストーリーに説得力がなくなっていたはずですから。




予告編より


批評

冒頭に書いたように、私の頭の中は迷路を彷徨っています。「言い訳」とは誰の誰に対するどんな言葉・行為なのかさえ確信が持てずにいます。ですから批評などしてはいけないのですが、少しは書くべきだとも思っています。なぜなら本木さん、いや衣笠幸夫は私だからです。

誰にだって、災害や事故で、思いがけない別れを経験することがあります。日本列島の近年に限っても、1995年の阪神淡路大震災(死者6434人)や2019年の東日本大震災(死者・行方不明者18428人)などの地震で親しい人を失った方は十万や二十万人ではきかないでしょう。他にも地震・水害・事故は数知れず起こりました。そのつど、家族や友人との絆を突然断たれる人が犠牲者の何倍も出現することになります。

故人の生前に心底からの愛や友情を育んでおられた方の哀惜の深さは想像を絶します。自分の中にまだ生きている故人とどうお別れをすればいいのか、途方に暮れて何年も過ごすことになります。

一方、故人と深い関わりがあったはずなのに、実は自分のせいで心が通じ合っていなかったとしたら、そして、その災害や事故が起きるまでそのことに気付いていなかったらどうでしょう。本作で言えば、衣笠幸夫(本木さん)と衣笠夏子(深津さん)は夫婦だったのですが、幸夫は夏子と夫婦としての、心の交流ができていなかったのです。それはつまり愛だとか友情だとかいう以前の、人と人との心の通い合いができていなかったのです。その最大の原因は幸夫側にあったことは一目瞭然。夏子は美容院の同僚とも客とも友人とも人間関係を築いていたのですが、幸夫には誰一人そういう他者がいなかったのですから。

幸夫は自己完結型の人間で、自分の外に向かって表現するのは=関係を結べるのは文章でしかできない人物なのでした。つまり心の窓はとても狭小で、しかもその窓すらなかなか開かないのです。開けないのです。悪いことに、作家のくせにそのことに無自覚で、自分のそういう性癖・未熟さをいつか改善すべきだとも考えていなかった人物なのです。夏子の死後、幸夫にあてた下書きメールに「愛してない。ひとかけらも。」と書かれていて、そのショックのあまりケータイを壊すまでは。不倫相手福永智尋(黒木華さん)から「あなたは本当は誰も抱いていない」と言われるまでは。出版社の編集者から近作を批判されるまでは。

いや、そのような批判の数々だけではおそらく幸夫の殻は破れなかったでしょう。殻の中で自信を失い萎縮し小さくいじけただけだったでしょう。こういう人物が心を開くためには何か別の、自分が役に立つ、自分しか役に立てないと思える温かい何か出会いが必要なはずだ、と西川美和さんは考えたに違いありません。本作ではそのきっかけとして、夏子と共にバス旅行に行き、同じように死んでしまった友人の遺族との出会いを設定したのです。

子供との出会いを心開くきっかけにするという設定はとても納得できるとも思いますし、かなり無理筋だとも思います。私にはどちらかというと少々強引ではないかなという印象が残りました。しかし西川さんはそれを選びました。それで良いのです。そして、少々強引だと私が感じた理由は、私の中の衣笠幸夫的な殻がまだ十分にはほどけていないからでしょう。(西川美和さんも同じじゃないかな、と私は勝手にそう考えています。)そういう私は実は、、という打ち明け話は誰にも興味がないし誰の役にも立たないからうやめておきますね(笑)ただ、幸夫がもう大丈夫だろう以上に私はもう大丈夫です、と言うに留めておきます。西川監督も本作を制作したのだからきっともう大丈夫なはずです。

  


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2020年02月18日

『Undo』:ちゃんと縛ってよ

データ
『Undo』
アンドゥー
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:1994年
鑑賞:2020年BS/CSで視聴。
監督:岩井俊二
脚本:岩井俊二
撮影:篠田昇
俳優:山口智子 豊川悦司 田口トモロヲ
製作国:日本
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コメント、批評

公開時、監督が31歳、山口智子さんが30歳、豊川悦司さんが32歳という、同世代で作り上げた自己陶酔中編映画。
それでも「岩井俊二だあ」と妻は言います。
『着信アリ!』や『死国』より怖いとも言いました。
ほんとうにその通り、この美意識と怖さはただものではない感。

山口さんと豊川さんが迫真の演技で共に超絶綺麗。
この作品好きですよ、私。
『Love Letter』などではわかりにくい岩井監督の隠し持つカラタチの棘に刺されて血が滲む。井上陽水か。

「待ってるを縛ってる」・・・うん、愛の姿の一つだから。

市川崑監督リスペクトの岩井監督だけれど、なんだか今日は篠田正浩監督作品を思い出してしまいました。といいますか、『心中天網島』(1969)からの連想ですな。つまりは文楽を思い出したということかもしれません。なぜかはわかりません。


縛るという行為は、結界を張って閉じ込めるのだろうか、それとも永遠を願う呪なのだろうか。それともほどけるために縛るのだろうか。団鬼六さん原作の映画ではシンプルにMの世界だったと思うのだけれど。

1994年の時点で私は岩井俊二監督も本作も知りませんでした。けれど若い人たちの間には熱狂的ファンが生まれたと聞きました。その方たちの間でなんでも縛ってみよう遊びが流行らなかったのだろうか。本作では「泡を縛る」「二人の愛を縛る」の場面がホラーでしたが、「親の小言を縛る」「漢字を縛り平仮名をほどく」なんて遊んだ方がいるように思うなあ。
  


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2020年02月16日

『キングダム』:イケメンを揃えた割に面白い

データ
『キングダム』

評価:☆☆☆☆・・・・・・
年度:2019年
鑑賞:2020年BS/CSで視聴。
監督:佐藤信介
原作:原泰久
俳優:山﨑賢人 吉沢亮 長澤まさみ 橋本環奈 本郷奏多 満島真之介 髙嶋政宏 大沢たかお 要潤 
   橋本じゅん 石橋蓮司 宇梶剛士 加藤雅也  坂口拓 阿部進之介  深水元基  六平直政    
製作国:日本
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公式サイトより


コメント

イケメンを揃えた割に面白い力作に出来上がった。退屈する場所が少ない。最後の決戦シーンは冗漫だが。

ストーリーに依存。日本のコミックの実力発揮。しかし映画界はコミックに頼り過ぎだと思う。西川美和さんを見習って。

主要人物の殺陣に不満。訓練不足か。

山崎賢人さん、吉沢亮さんをこの種の映画に起用した企画の時点で結果は見える。頑張ってるけれど、もともと無理でしょう。山崎さんなどどう見てもバカ力の持ち主にも剣の達人にも見えない。可愛いが。吉沢亮さん、二役を演じ分けようと努めていることはわかるが演じ分け切れていない。

長澤まさみさん、満島真之介さんがかっこいい。

中国の大地と歴史の雰囲気が垣間見えた。あくまで垣間だけど。

山の民や橋本環奈さんの衣装はおそらく原作通りでしょうが、おどろおどろしくて惹かれます。

大沢たかおさん、喋ると怪しくてとてもいい。

六平直政さん、もっとも中国人になり切っていた。

橋本じゅんさん、ワイヤーアクションで腰を痛めませんでしたか。どうせなら轟天役(劇団新感線)で出演して欲しかった、とは轟天ファンの私の冗談です。

坂口拓さんはすごい体技の持ち主らしい。ということはイケメン達にめちゃめちゃ遠慮して演じてるんだなあ。さほど凶悪で強そうに見えないから。

もう少し予算があれば”引き”の映像も作れたのに、と妻。

他に言うことはなさそうだ。

  


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2020年02月14日

『レ・ミゼラブル』(2012):最後まで見届けたミュージカル

データ
『レ・ミゼラブル』
Les Misérables
評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2012年
鑑賞:2020年BS/CSで視聴。
監督:トム・フーパー
原作:ヴィクトル・ユーゴー
音楽:クロード・ミシェル・シェーンベルク
俳優:ヒュー・ジャックマン ラッセル・クロウ アン・ハサウェイ アマンダ・セイフライド
   エディ・レッドメイン サマンサ・バークス ヘレナ・ボナム=カーター  サシャ・バロン・コーエン  
   アーロン・トゥヴェイト ダニエル・ハトルストーン
製作国:イギリス映画
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ヘレナ・ボナム・カーターさん:出典: https://www.cinemacafe.net


コメント

19世紀のフランスの場末感あふれるリアルっぽい画面(good)を背景に、クローズアップを多用した歌唱シーンが印象に残るミュージカル映画。舞台の佳曲を使っています。

まったく個人的な好みで恐縮ですが、私がこれまできちんと最後まで見届けたミュージカル実写映画は、『ウエスト・サイド物語』と『シェルブールの雨傘』、 『サウンド・オブ・ミュージック』だけかもしれません。すべて1960年代の映画ですね。音楽の素晴らしい映画たちでした。
(補足:あ、忘れていました。『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』は好きです。)
『マイ・フェア・レディ』など他にもいくつか見ましたが、どうも頭に入らなかったり楽しくなかったり・・・もともとオペラが苦手で、演劇やアニメでもミュージカルになると腰が引けてしまいます。ミュージカルが悪いのではなく、自分が頭が固く打ち解けない人柄であることが原因かなと思っていました。
とはいえ、大人計画の演劇ミュージカル『キレイ』はかなり好きなのです。とすると、やはりハードルを上げているのでしょう。ストーリーそのものが好みで、加えて音楽(踊り)が好みにならないと気に入らないということなのでしょう。

そういう私でしたが、本作『レ・ミゼラブル』は最後まで見届けてしまいました。しかもスクリーンでなくTV画面で。自分でも驚いています。その理由を少し考えました。

最初の歌「囚人の歌(Work Song)」と映像がつかみOK!でした。『ベン・ハー』へのオマージュ?と妻は言いました。
また、私が、ヴィクトル・ユーゴーの原作を少年少女読本『あゝ無情』や翻訳小説『臆無情』で読んで馴染んでいた世代だったせいかもしれません。これでもかと主役たちが難儀を受ける『おしん』のような物語だから目が離せなくなったのかもしれません。(もちろん本作は原作をうんと簡略に脚色しています。例えば主人公バルジャンは映画中では一回しか投獄されていません。)

それに加えて、役者たちが歌唱するときの非常に真剣な表情に引き込まれた面もあります。ですから途中で挫折したくてもできなかったという消極的な側面もあったかもしれませんが、良い映画の条件の一つは満たしているということでもあります。

そんなことを考えながら鑑賞していると、妻が大切なことを思い出させてくれました。それは、本作では役者がアフレコではなく演技と同時に歌っているということです。そのことは公開中に評判になっていましたよね。この真剣さが私に伝わったのかもしれません。本作の最大の意義はそこかもしれません。


演技陣は演技と歌唱を真剣かつソツもなくこなしていました。
「こなしている」とは私の場合、褒め言葉ではありません。
そんな中、指摘したいことが四点あります。これを書いて本稿を終えます。
1)ラッセル・クロウ さん、傑作『L.A.コンフィデンシャル』の時のハングリー感が少しだけ戻りました。嬉しい。歌も良かった。しかしなぜ自殺させる?ストーリーに説得力がない。
2)コゼットとマリウスはもう少し魅力的に描いて欲しかった。特にマリウス。革命に燃える若者はもう少し知的でしょう。
3)エポニーヌ役のサマンサ・バークスさん、歌声も芝居もとても良かった。心情が響いてきました。
4)贔屓役者のヘレナ・ボナム=カーターさん、軽妙なのにリアル。いつもながらほんとうにお見事です。





2012 UNIVERSAL STUDIOS. All Rights Reserved.


補足

どなたか、こういう歌をご存知ないですか。(歌詞は間違いがあると思います。)
おそらく昭和三十年代のラジオ番組(TVで言うと「みんなのうた」的な)で流れた曲ですが、とても印象に残っていますから、題名など教えてくだされば幸いです。

風吹く夜更けに一人とぼとぼ光を求めジャンバルジャンはどこへ行く ミリエル牧師に諭されて、、、

  


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2020年02月10日

『未知との遭遇』:どこが友好的やねん

データ
『未知との遭遇』
Close Encounters of the Third Kind
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:1977年
鑑賞:公開時スクリーンで、その後ビデオで鑑賞。2020年BS/CSで「ファイナルカット版」を初視聴。
監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:スティーヴン・スピルバーグ
音楽:ジョン・ウィリアムズ
俳優:リチャード・ドレイファス、テリー・ガー、メリンダ・ディロン、ケイリー・ガフィー、
   フランソワ・トリュフォー
製作国:アメリカ
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コメント、批評


雑然と書かせていただきます。

大作です。同年(1977)に公開された『スター・ウォーズ』とともに、「こんなものが見たかった」感が満載で、人類が抱くSF的宇宙の映像を確定させたエポック・メイキングな作品です。本作における異星人の船の光と音の洪水のシーンを超える「接触」は以降もありません。その部分だけを取り上げれば、☆は文句なしに10ケです。

けれど、本作には『スター・ウォーズ』のような爽快感は乏しく、結論が曖昧で、少々後味の悪さが残る”奇妙な味”小説(ロアルド・ダール,サキなど)を読んだ後のような割り切れなさが残ります。これを監督の意図したものと考えるのか否か、あるいは長所と見るか短所と見るかで本作への評価は大きく変わるでしょう。

重要な登場人物は五人。他の登場人物は付け足しに過ぎない扱いになっています。
ロイ・ニアリー(リチャード・ドレイファスさん)とその妻ロニー・ニアリー(テリー・ガーさん)。
ジリアン・ガイラー(メリンダ・ディロンさん)とその息子バリー・ガイラー(ケイリー・ガフィーさん)。
そしてクロード・ラコーム(フランソワ・トリュフォーさん)。
中でもリチャード・ドレイファスさんのさすがの演技は、取り憑かれ半ば狂っていく男の姿を熱演し、大型画面に負けない存在感を放っています。ただしすこぶるオタクっぽく、まったく爽快感がない役どころです。(爽快感が欲しいわけではありませんよ)

物語の後半で、デビルズタワー(岩山)に登ったのはロイとジリアンだけでなく、もう一人男性がいました。役名を忘れてしまうほど存在は希薄で、足を痛めて置き去りになります。彼がどういう人物なのか、UFOとどういう接触をしたのか、その描写はなく唐突に登場して消えていきます。

ニアリー家は周囲に家がない寂しい場所の一軒家ですし、母子家庭ガイラー家も孤絶した環境です。ファイナルカット版ではロイが電気技師らしいことはわかりますが、ジリアンの収入源は示さないままです。ご近所付き合いも困ったときの相談相手もなく、両家にはどうもリアリティが感じられません。

要するに本作の主役は結局のところUFOなのです。スピルバーグ監督は本作でも人間の生活や人格を描くことに興味はなく、UFOに取り憑かれた人間を描きたいだけなのです。ですからおざなりに扱われた人間たちはジオラマに刺された人形に過ぎません。最初に書いた読後感の悪さや割り切れなさは結局ここに起因しているのではありませんか。


『激突!』に驚いて以来、スティーヴン・スピルバーグさんは間違いなく才能のある映画人だと私は看ていました。そういう期待を込めて12,3作品を鑑賞しましたが、のめり込んでしまったのは初期の『激突!』と『ジョーズ』だけにとどまります。『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』や『E.T.』以降の作品はめちゃめちゃおもしろいだけの大作作品か、『シンドラーのリスト』のように使命感に燃えて製作した割に底の浅い作品としか出会えていません。そのリストの中で本作『未知との遭遇』は過渡期の性格を持っているように思います。

『激突!』と『ジョーズ』は、正体の知れない敵役と戦う物語でした。当時としてはまことに斬新な主人公の追い込まれ方を設定し、虚構の中の現実感を追求しました。ハリウッド大作的な綺麗な映像の整理整頓感はなく、荒々しい場末感が漂う佳品でした。代表的な登場人物は『ジョーズ』のクイント船長(ロバート・ショウさん)で、彼のリアルな恐怖の汗の匂いは観客に深く届きました。

本作『未知との遭遇』では、正体の知れない存在は宇宙人です。宇宙人は善でも悪でもなく、彼らの思いだけで行動しているように見えます。悪ではありませんから、主人公たちはその悪に苦しめられたあげく対決を決意し、そして勝利するなどという定型ヒーローものにはなりようがありません。そして前述のように人間はまったく描かれていません。

米軍や米政府がUFOの存在を隠匿し、その情報を独占しようとしている描写は、当時としては斬新で納得したものです。とはいえこれをしっかり批判的に描いているわけではありません。『E.T.』でもそうでしたね。


本作に関して、「初めて描かれた宇宙人との友好接触映画」という評価がよくありますが、本当に友好関係なんですか、これ。

本作において宇宙人はかつて人類を多数誘拐しました。今回”無事に”返還したようですが、その人々は浦島太郎です。とはいえ彼らはUFOという竜宮城で幸せだったのでしょうか、これから幸せは訪れるのでしょうか。あの腑抜けたような帰還・上陸シーンはどういう意図で演出されたのでしょう。

宇宙人の子供たちに選ばれたロイは満ち足りた思いだったでしょう。ですが宇宙船に乗り込んだ後、ロイは充実した人生を送れるのでしょうか。取り憑かれ洗脳されているからハッピーは続くのでしょうか。
  


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2020年02月08日

『半世界』:稲垣吾郎さんが炭を焼く

データ
『半世界』

評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2018年(製作) 2019(公開)
鑑賞:公開時にスクリーンで鑑賞。
監督:阪本順治
脚本:阪本順治
撮影:儀間眞悟
俳優:稲垣吾郎(高村紘) 長谷川博己 (沖山瑛介) 渋川清彦 (岩井光彦) 池脇千鶴 (高村初乃)
竹内都子  杉田雷麟  石橋蓮司  小野武彦
製作国:日本
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予告編より


コメント、批評

映画館で観た時には、正直なところ強い感銘は受けなかったのです。(舞台である)三重県南部の言葉遣いじゃなかったし。
ところがそれからざっと一年経って、本作の情景が時々ふっと蘇ります。その七割は稲垣吾郎さんが炭を焼いている時の表情、あとの三割は電車の中の池脇千鶴さんの表情です。ストーリーもおおむね記憶に残っています。思いの外染み込んでいるのです。というわけで、鑑賞直後に☆4〜5だった作品が今や☆6に(私の中で)格上げになりました。

鑑賞中にも思ったのですが、炭焼作業中の稲垣さんの表情が、「私が焼いてもこんな表情で作業するだろうな」と思わせました。私は木炭には全く素人ですが、ウバメガシを材料にした備長炭の本場近くに今住んでいます。炭焼きの現場も訪問しました。炭焼き作業にとても惹かれました。アマチュアの気分で炭を焼いている自分を想像しました。その想像上の自分と稲垣さんとがなんだか重なるのです。イケメン度は随分違いますが。



和歌山県田辺市にある備長炭記念公園にて


そうです、稲垣さんもアマチュアなのです。いえ、稲垣さん扮する高村紘がアマチュアなのです。父親とソリが合わなかった紘ですが、父の死後、父親への一種の意地があって炭焼きの職を継いでいます。しかし腕はまだまだで、得意先からじわじわと仕入れを断られています。アマチュアというよりまだ未熟なのです。ですがたった一人で懸命に炭と格闘しています。家事や子育ては妻に任せっきりで、息子は父親に不満がいっぱい。きっと紘と紘の父親との関係もそうだったのでしょうね。
稲垣さんはそんな紘の人間像をピタリと演じているのです。懸命だがまだ青い。。。

その妻を演じた池脇千鶴さんの現実感の表現は、いつものことですが超絶レベルです。稲垣さんも高村紘もどこか現実世界に根がおろし切れていない人柄ですが、その相棒に池脇さんを起用した阪本順治監督はさすがです。高村紘の旧友で重要人物の一人を演じた長谷川博己さんも糸の切れた凧のような空気をまとっていますから、池脇さんがいなければ、この作品自体がふわふわと虚空を漂う結果に終わっていたでしょう。池脇さんが演じた初乃は、子供や自分に心をこめてくれない夫に常に不満を抱いています。夫を求め、ようやくという夜に酔った友人が戸を叩きます(田舎あるある)。貧しくて忙しい生活に疲れ気味です。けれど不器用な(これ大抵言い訳ね)夫を助け、営業活動までします。リアルです。



予告編より


長谷川博己さんは大好きな役者ですが、稲垣さん同様器用ではありません。どんな作品に出演しても長谷川さんは長谷川さんですから。彼の演じた沖山瑛介は自衛官として中東に派遣され、過酷な現場での体験でPTSDになって帰国し、故郷の家で引きこもってしまっていました。そういう難しい役を現実感たっぷりにこなせる俳優ではありません。もう一人の旧友岩井光彦役の渋川清彦さんの好演により、二人の糸切れ凧に紐がついてはいますが。(岩井がトライアングルの要です。)

鑑賞時にはこの三人の空気感の違いがチグハグに感じて、どうも物語に引き込まれなかったのです。映画作りに時間をかけられなかったのだろうな、と思わせましたから。方言指導する暇もなく。でも今はチグハグで良かったのかと思うようになりました。それが当たり前なのだと。
池脇さんのおかげで本作をちょっぴりひいきしているのでしょうね、私。


それにしても、旧友の男三人の知性の不足にはがゆい思いが禁じ得ません。「半世界」、おまえは世界の半分しか知らないと互いを責めたり言い訳する気持ちもわからないではありません。誰だってすべてを経験できませんから。けれど、自分の日常と世界の現状とを結びつける考え方、生き方、想像力くらい、手探りでもしておいて欲しかったな。アラフォーなら。自分の力で生きているなら。自衛隊のエリートなら。
あなたは”自分側の世界”に流されているだけでしょ、と叱りたいです。そういう男たちを描いた映画ですから、この映画に映像以上の深さと広がりはないのです。高村紘さん、半世界の住人のまま死んだらあかんよ、病院くらい行っておきなさいよ、と医者嫌いの私が言うのもなんですが。
  


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2020年02月02日

『コミック雑誌なんかいらない!』 I Can't Speak Fucking Japanese.

データ
『コミック雑誌なんかいらない!』

評価:☆☆☆☆☆☆☆・・・
年度:1986年
鑑賞:2019年BS/CSで視聴。
監督:滝田洋二郎
脚本:内田裕也 高木功
音楽:大野克夫
俳優:内田裕也(キナメリ) 渡辺えり子(その妻) 麻生祐未(少女)原田芳雄 小松方正 殿山泰司 
   常田富士男 ビートたけし スティービー原田 郷ひろみ 片岡鶴太郎 港雄一 久保新二 桑名正博
  安岡力也 篠原勝之 村上里佳子 小田かおる 志水季里子 片桐はいり 橘雪子 趙方豪 三浦和義
  逸見政孝 横澤彪 下元史朗 伏見直樹とジゴロ特攻隊 螢雪次朗 ルパン鈴木 池島ゆたか 藤井智憲
  真堂ありさ しのざきさとみ 清水宏 長友啓典 川村光生 叶岡正胤 斉藤博 新井義春 桃井かおり
  おニャン子クラブ
製作国:日本
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予告編より


コメント

データを読むと、本作の上映時間は124分。そんなにあったかな、と思う。それほど面白い。
梨元勝さんをモデルにした芸能レポーターキナメリ(木滑、内田裕也さん)の取材活動を通じて”マス・メディア”の愚劣さを暴き出す。
若い時からどことなく丸みを帯びた印象だった実在の梨元さん(故人)と比べ、オルファカッターの刃のような風貌のキナメリが有名人に取材を挑む姿にはどことなく血の匂いがする。内田裕也さんが企画し、脚本も手がけたという本作に込められた熱意がその匂いを後押しして私たち観客も前のめりになっていく。裕也さんの無神経・無遠慮な気合いは本気だから、ロス疑惑の三浦和義さん(本人)もメディア批判に熱が入る。

三浦さんや桃井かおりさん、おニャン子クラブは本人役で登場し、取材を受ける。郷ひろみさんが売れっ子ホストに、片岡鶴太郎さんが二流ホストに扮する。桑名正博さんや安岡力也さんはロックミュージシャンとして出演し、彼らに激しい薬物批判をしたキナメリ(内田裕也さん)に脅しをかける。・・・詳しくは書きませんが、実に皮肉の効いた配役たちで、芸能ゴシップに弱い私でも興味がつきません。


取材する側だったキナメリが取材される側になった事件は、豊田商事社長殺害事件がモデル。ご存知ない方はぜひ調べてください。

庶民から1千億以上だまし取ったこの社長、殺害された時点の持ち金は数百円だったとか。とするなら巨額のカネがどこかに流れていたと考えるのが妥当。社長がいよいよ逮捕かというその日、なぜか警察より前にメディアと男二人が社長宅前に押し寄せていた。男二人は窓を破壊して部屋に乱入し。メディア陣の目と鼻の先で社長を殺害し、そのあと俺が刺したと誇らしげにテレビカメラに映った。これは実話。もう一度常識的に考えれば、巨額のカネの流出先の人物(たち)がこの男二人を雇ったと考えるべき。社長が逮捕されて事情を自白することを恐れたのだろう。

本作で殺害犯の男二人を演じたのはビートたけしさんとスティービー原田さん。
たけしさんのなりきりは凄まじい。血塗られた銃剣を持ち、メディアのカメラに向かって誇って見せたあの表情はちょっとやそっとの役者には真似ができまい。

キナメリも刺されてしまった。傍観するメディアを尻目に、犯行現場に入ったからだ。
血塗れで外に出た彼は取材に合う。人が殺される、殺されたというリアルこの上ない現場で、それを無視して彼に対して執拗に発言を促す報道陣に彼はこういう。「 I Can't Speak Fucking Japanese. 」意訳すれば、このクソ日本人!だよね。

ブラウン管、いや液晶の外のあなたはクソ日本人ですか?
一言お願いします。恐縮です。



予告編より


  


Posted by gadogadojp at 10:00Comments(0)映画

2020年01月30日

『ゴーン・ガール』:Just don’t piss her off.

データ
『ゴーン・ガール』

評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2014年
鑑賞:ビデオ、DVDで鑑賞。2020年BS/CSで再視聴。
監督:デヴィッド・フィンチャー
原作・脚本:ギリアン・フリン
俳優:ベン・アフレック(ニック)ロザムンド・パイク(アミー)キャリー・クーン(マーゴ、ニックの妹)
   ニール・パトリック・ハリス(デジー) タイラー・ペリー(ボルト弁護士) ローラ・カーク(グレタ)
   キム・ディケンス(ボニー刑事)ケイシー・ウィルソン(ノエル・ホーソーン、近所の母親)
   エミリー・ラタコウスキー(アンディ、ニックの浮気相手)
製作国:アメリカ
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予告編より



予告編より


コメント

詳しいストーリーは省略しますが、要するにクズ男とタフ女夫婦のお話、と言い切ってしまうと身も蓋もなくなりますか。
タフ女の方は対応力抜群(by 妻)で、計画がうまくいかなくなっても臨機応変乗り切っていきます。たとえ人を殺しても。
Just don’t piss her off.彼女を怒らすとヤバイぞ。

次のシーンがどうなるかがとても気になる映画です。おまけに観客の感情移入の相手が二転三転する”揺れる”感覚を楽しむことができます。
そんなんありか?という突っ込みどころもあるのですが、総じて作品にのめり込むことができる娯楽作品です。

タフ女を演じるロザムンド・パイクさんの体当たり感がいいですし、ニックの双子の妹役のキャリー・クーンさん、ボニー刑事役のキム・ディケンスさんたち女性陣の存在感が重しとなっていました。

ただ、なんと言いますか、アメリカの連続TVドラマを見ているようなどこかチープなまとまりを感じ、私の中に傷を残す爪が見当たりません。どこか観光地の土産物屋で、目新しい図柄に惹かれて買ったものの、家に持ち帰ってみるともう一つで、食器棚の奥にしまって使わなくなってしまう湯呑みのような印象でした。

その原因は、ストーリー、演出、演技、映像などすべてに少しずつあるように思います。切実さがないのです。
結末がもっとももの足りません。「これが結婚よ」という一種の妥協で幕を閉じるのです。
家族とはそれぞれが役割を演じているだけだとするクール?な分析に、今更ながらゾッとするようなナイーブさを持つ人はどのくらいいるのでしょう。仮に結婚に夢や理想を詰め込んでいる人が多いのだとしても、本作を製作したアメリカやフランスなど欧州、そして日本でも、そのような分析で描いた映画はすでに数限りなくあったのではありませんか?一例を挙げればスタンリー・キューブリック監督は1999年に『アイズ ワイド シャット』 で夫婦という関係の空虚さに大鉈をふるっています。フィンチャー監督がいま本作を世に問う意義はありません。本作は先が読めない娯楽作品として楽しめば良いので、そういう娯楽作品としての出来栄えは中程度かな、と思っているのです。


  


Posted by gadogadojp at 10:00Comments(0)映画