2018年12月30日

『日日是好日』:茶の道のこころよさ

データ
『日日是好日』

評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2018年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。
監督:大森立嗣
原作:森下典子『「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』
音響効果:伊藤進一
俳優:黒木華(典子) 樹木希林(武田先生) 多部未華子(美智子) 
   鶴田真由 鶴見辰吾 山下美月
製作国:日本
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写真はすべて予告編から


コメント

快作『セトウツミ』、『まほろ駅前多田便利軒』の大森監督が、今度は佳作『日日是好日』を製作しました。(私は監督の映画はこの三作しか観ていません。)それぞれ、ずいぶん違うジャンルの映画のように思えます。けれど三作ともとよくまとまった作品に感じました。腕のいい職人がほどよい力で握ったおむすびみたい。


生まじめで「理屈っぽい女だ」と見られそうな大学生典子(黒木華さん)が、ちょっとしたきっかけでいとこの美智子(多部未華子さん)とともに茶道を習うことになりました。その先生が武田先生。樹木希林さんのほぼ遺作と言える映画です。

黒木さんも多部さんも、若手の中では相当に存在感を出せる俳優だと思っていますが、役柄もあって、樹木希林さんを頂点にした正三角形のような図柄。
美智子は結婚を機に茶道から離れますが、典子は(やめたいと思ったことはあるものの)その後も茶道を続けていきます。
茶の湯の作法ひとつ知らなかった典子、作法の決まりに理由を知りたがる若い典子が、いつの間にか茶道を身につけ大人の女性に変化していく、そのプロセスが断続的に描かれるのですが、その成長ぶりを黒木華さんが見事に(しかしとても地味に)表現し切りました。ついには先に述べた正三角形の図柄ではなく、武田先生と典子とが茶ともだちになっているかの如しでした。

初めは典子と美智子がセット。
そのうち、典子と武田先生がセット。
あ、そうか、大森監督はバディものが得意なのか、とまだ上記三作の比較にこだわっています(笑)


四季の移ろいの映像はもちろん美しいのですが、湯の湧く音や鳥の鳴き声など音響面の素晴らしさが特筆ものです。






批評

私の妻はお茶をたしなみます。つまり茶道の心得があります。
私は心得はありませんが、抹茶がとても美味しいと思っています。

心得の無い私は、かつては自分でお茶を自己流でたてていました。
今は妻が心を込めてたててくれた茶をいただきます。
どちらが豊かな気分になれるかは言うまでもありません。

茶を伝えた栄西を始め、村田珠光や武野紹鴎、とりわけ千利休など、茶や侘び茶に関わる古人は、一方で歴史上の人物に過ぎないのですが、その精神はいまも抹茶を飲むすべての人々の臓腑にわずかずつ沁み込んでいます。
家元制度、あるいは師匠と弟子という関係には様々なデメリットが考えられますが、しかし利休とその後継者たちの茶道のコンストラクションはみごとというほかはありません。
直接臓腑に流し込むものを「道」として樹立したのですから、これ以上強力な「永遠」は無いでしょう。

というわけで、珠光・紹鴎から利休へ、利休から弟子へ、そしてその弟子へと「茶」という飲料に含ませた茶道の精神は伝わり、たとえば私の家では妻から私へとそのエッセンスが具体的に味覚など官能的なルートで伝わっているのです。

さて、映画の話。
本作の主人公は現代における茶道、茶の湯そのもの、あるいは茶の世界といっても過言ではありますまい。
画面からは何よりも茶道の心地よさが伝わるからです。
そういう意味で、単なるドリンクとしての抹茶の味覚は重視されません。

とすれば、茶道の心得のない私が自分でたてていた頃の茶とはまるで異次元の世界が本作では表現されているわけです。当たり前ですが。

日本の文化だけが美しいのではなく、世界に美はあふれています。茶道でなければ到達できない境地などあるはずがないとも考えています。
けれど、茶道が一番の近道である境地はあるかもしれないなと思えるのです。
そのある種の境地とは何か、それは茶道に身を置いた人にしかわからないでしょうから、少し残念ではあります。


最後に、映画から再び話題が逸れます。
私は日本史の教員でしたので、侘び茶の精神を高校生にどうすれば伝えられるのか、考え抜いた経験があります。
ここを伝えないと、例えば安土桃山文化を理解してもらえないからです。信長や秀吉が千利休を重用した理由がわからないからです。もしかすると、秀吉による朝鮮侵攻という悪行も読み解けないかもしれないからです。
(適切な視聴覚教材は見つかりませんでした。利休の愛した茶碗の本物を授業で使えればいいのですが。)
上記のように、茶道の世界に身を置いたことのない人間が大それた授業をするわけですから、せめて想像力のかぎりを尽くして当時の「歴史」に近づいておきたいのです。
そんな私がたどりついたのは、武野紹鴎や千利休が侘び茶の精神を集約したものだ考えていた有名なあの和歌でした。

見渡せば 花も紅葉もなかりけり
浦のとまやの秋の夕暮れ
       藤原 定家(ふじわら ていか)


紹鴎らの真意はわかりません。わかりませんが、この和歌を私なりに解釈しないかぎり、満足な授業はできません。

場所は海岸、恐らくは漁村。
ならば、少しは波浪を防げる入り江になっているかもしれない。
浜に漁具をしまうためなのかみすぼらしい小屋が建っている。
時期は秋。晩秋の気配がする。
時間は夕暮れ。

潮の匂いがわずかに漂い、おそらく波もたたず静かな海岸に私たちは立っています。
夕暮れ時ですから、あたり一面モノトーンに変わりつつある物寂しい風景です。

しかしこれがわび・さびのすべてなら、現代の「わびしい」「さびしい」と同義語となり、ある時は雄渾な、またある時は華麗な陶芸や障壁画、城郭建築を産んだ桃山文化との矛盾が大きすぎるでしょう。

実はこの和歌の色彩は完全なモノトーンではないのです。
一つ目に、定家はあえて、「見渡せば 花も紅葉もなかりけり」と色あざやかな風景を私たちに想起させておいたのち否定しています。つまり私たちにはその桜や紅葉の色の残照が残る仕掛けになっています。
二つ目に、今は夕暮れ時ですが、その直前には空を朱色の夕焼けが染め上げていたのではないかと想像できます。(これも「花」や「紅葉」の残照効果といえます。)それどころか、本当に夕焼けの残照が西の空にまだ残っているのが見えないでしょうか。

モノトーンになリつつあるさびしい風景の背景に、残照という形で美しい色彩が見えるのです。
これだ、と思いましたので高校生にはそう伝えました。
わび・さびには(空想にしろ現実にしろ)一点の色彩があるのだよ、と。

武野紹鴎や千利休の本当の心は、茶道に入り込まなかった私にはわかりません。
しかし、歴史の解釈、特に文化の理解とははこういうものです。


本作でも、淡々と描かれていく茶道のシーンに、典子の嫉妬や失恋の反映、武田先生の一瞬の苛立ちが見えました。
茶道の静かな世界にも人の心理が泡のように浮き上がります。
私はこれを残照(と同位のもの)と考え、本作を観ておりました。
なにぶん、私が茶の世界に切り込むには、味覚と残照という視点しかないものですから。





  


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2018年12月30日

『カメラを止めるな』:37分間ノーカット

データ
『カメラを止めるな』

評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2018年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。
監督:上田慎一郎
俳優:濱津隆之 真魚 しゅはまはるみ 長屋和彰 細井学 市原洋 山崎俊太郎 大沢真一郎 竹原芳子 
   吉田美紀 合田純奈 浅森咲希奈 秋山ゆずき 山口友和 藤村拓矢 イワゴウサトシ 高橋恭子 生見司織
製作国:日本
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写真は予告編より


コメント

星は5つですが、わたくしパンフレット買いました。
とてもマニアックで台本のページもあります。
ま、他にページを埋める内容が見つからなかったのでしょうが
(好意的な笑い)

楽しい映画が好きなすべての方にお勧めします。
37分間ノーカット映像だけでも価値十分。
さらにその後のどんでん返し的種明かし。
一度はご覧ください。
ほとばしる映画愛に共感してください。
そして忘れてください。
このアイデアは一度しか使えませんから。
  


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2018年12月26日

『白昼堂々』:ハイレベルな演技の調和

データ
『白昼堂々』

評価:☆☆☆☆☆☆☆☆・・
年度:1968年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:野村芳太郎
原作:結城昌治
音楽:林光
俳優:渥美清(ワタカツ)倍賞千恵子(ヨシコ) 藤岡琢也(富田銀三) 有島一郎(森沢刑事) 
   高橋とよ(森沢タツ子) 大貫泰子(富田桃江) 三原葉子(富田春子)
   新克利 生田悦子 江幡高志 田中邦衛 佐藤蛾次郎 フランキー堺 穂積隆信 山本幸栄
   坂上二郎(コント55号) 萩本欣一(コント55号)
製作国:日本
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写真はすべて予告編から


コメント、批評

野村芳太郎監督の手になるコメディの傑作です。

原作は結城昌治(1927 - 1996)さん。
十代の私が愛読した作家の一人でした。『ゴメスの名はゴメス』や『軍旗はためく下に』、『風変わりな夜』など、少しクールで軽めの文体で、ある時はシリアスにまたある時はユーモラスに物語を紡いでくれました。
本作の原作『白昼堂々』もまた、達者な筆致で書かれた軽快な犯罪小説だったと記憶しています。

福岡県の某郡某町の「通称泥棒村」の実話をベースにフィクション化したこの小説を、さらに喜劇色を強めて映像化した作品です。
石炭不況、炭鉱閉鎖が続く筑豊エリアは、初期高度成長期の活況に沸く日本の都会の「発展」から急激に取り残されていったため、炭鉱に依存していた人々は皆、別の生業を求めて四苦八苦していました。
そんな筑豊と都会とを舞台にした万引き集団の物語です。

この万引き集団は、家族ではないのにまるで仲の良い家族のように助け合い、協同して働いていました。(犯罪ですが)
そう、ことし秀作『万引き家族』を公開した是枝裕和監督は、きっとこの作品を見たに違いないと思います。

万引き集団の親分、ワタカツを演じる渥美清さんが、流麗で水のように美しい演技で魅了します。
新たに集団に加わったヨシコ役の倍賞千恵子さんの、都会の匂いのする新しい女性像表現がこの喜劇の質を浄化します。
それにしてもこの二人が寅次郎とさくらという固定的な役柄に長年縛り付けられていく(私にはそう見える)のは、日本映画界の悲劇だったと思うのです。
『男はつらいよ』シリーズが始まったのは、本作公開の翌年でした。

藤岡琢也さんも出色です。スリ稼業から足を洗ってデパートの保安係になった銀三役です。カタギになった彼は、苦境にある炭鉱町の仲間を束ね生きていく道を探すワタカツとの友情に引きずられ、結局は犯罪に加担していきます。その間の苦悩が誠にみごとに表現されています。台詞回しの巧みさも相まって、
事実上の主役と言っても良いでしょう。

喜劇役者有島一郎さんの芝居には、子供の私は何度もTVで涙を流した記憶が残っています。気骨と正義感、そして庶民的な風情を体全体から漂わした刑事役はまさにはまり役です。

それ以外にも、フランキー堺さん(←必見)や田中邦衛、三原葉子さんなどの芸達者が揃い、文句なしの演技の競演となりました。
人気絶頂期のコント55号の姿が見られるのも嬉しいですね。

それにつけても思うのです。これらアクの強い役者・タレント陣が思う存分表現し、しかも誰一人として映画作品にある見えない天井を突き破らず、みごとな調和を実現していることは稀有なことである、と。
真の喜劇はペーソスに裏打ちされていなければならないと私は信じているのですが、生活感に根ざしたペーソスがすべての役者から感じられます。
キャスティング・演出の両面で、野村芳太郎監督の手腕を大いに褒めなければなりますまい。

寂れた筑豊の風景、そして華やかな東京の風景を懐かしく見ることができるのも、旧作をいま観る喜びの一つであることは言うまでもありません。そうそう、百貨店はここから全盛期を迎えました。東京湾に水上バスが走っていたのですね。









批評

この時代の炭鉱事情を知るためには、
一つには上で少し触れた石炭不況、つまり(日本における)エネルギー源が石炭から石油へ移行したいわゆる「エネルギー革命」の経緯と目的、そして問題点について基礎的な学びを行なって欲しい。

次に、戦後になっても三池三川炭鉱粉塵爆発(wikipediaによると、1963年11月9日には三井三池三川炭鉱炭じん爆発が発生し、戦後最悪となる458人の犠牲者と839人の一酸化炭素中毒患者を出した。)など多くの事故が起きたことと、そのような危険な仕事に就いていたのはどのような階層の人々であったかという日本社会の構成上の問題について学んで欲しい。

さらに、三井三池争議(1959~60年にかけて発生した労働争議。)の学びを通じて、財閥と労働者という視点から日本社会の構造を見抜いて欲しい。
ちなみに、私が<社会>に強い関心を持ち始めたきっかけは、TVを通じて見たこの争議と蜂の巣城事件でした。


このブログで詳しく説明はしませんが、近代日本とは何であったか、炭鉱の学習から見えてくるものはすこぶる多いと考えています。



筑豊(川崎町)出身の芸者歌手赤坂小梅さんが歌う「正調炭礦節」。この民謡の発祥地は、三井三池炭鉱。いわゆる筑豊炭田とは鉱脈が異なるが、やはり九州北部の炭鉱だ。
yarukyo893さんのYoutubeから。
  


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2018年12月24日

『シェイプ・オブ・ウォーター』:クリスマスにいかが

データ
『シェイプ・オブ・ウォーター』
The Shape of Water
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2017年(製作)、2018年(日本公開)
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:ギレルモ・デル・トロ
音楽:アレクサンドル・デスプラ
俳優:サリー・ホーキンス マイケル・シャノン リチャード・ジェンキンス ダグ・ジョーンズ 
   マイケル・スタールバーグ オクタヴィア・スペンサー デヴィッド・ヒューレット ニック・サーシー
製作国:アメリカ
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公式サイトより


コメント

ギレルモ・デル・トロさんの監督としての最新作です。
アカデミー作品賞をはじめ、数々の賞を受けました。
彼はアメリカ映画界、観客層にもすっかりメジャーな存在として受け入れられたということですね。

もちろん、デル・トロ監督がアメリカ資本で映画を製作したのは本作が初めてではないのですが、
デル・トロ作品がハリウッドで薄められたと言えば良いのか、
ハリウッドにデル・トロ的世界が加わったと言うべきなのか、迷っています、、、
という感想が一番ぴったりな気がしています。

私が受けた率直な印象は、『パンズ・ラビリンス』には及ばない、といったところ。
ストーリーがあまりにディズニー的で、人間の心理の深奥やこの世界の闇に手が届いていないから。
マイノリティーには目配りできましたが、社会的な「悪」を東西冷戦に集約したのは、さて?

しかし、主役の魅力的な好演と素敵な音楽、美しい映像・素晴らしい美術はとても印象に残ります。
デル・トロ監督の映画愛も随所に感じられます。
多少のグロにビクともしないカップルならクリスマスに鑑賞することをお勧めします。
  


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2018年12月22日

『告白』:・・・「ドッカン!」

データ
『告白』

評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2010年
鑑賞:封切り数年後にレンタルDVDで視聴。2018年BS/CSで再視聴。
監督:中島哲也
原作:湊かなえ
俳優:松たか子(森口悠子) 西井幸人(渡辺修哉) 藤原薫(下村直樹) 橋本愛(北原美月)
   木村佳乃 岡田将生 芦田愛菜 能年玲奈 伊藤優衣 井之脇海
   新井浩文 山口馬木也 黒田育世 山田キヌヲ
製作国:日本
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コメント

充実したホラー調復讐サスペンスでした。
人物像の掘り下げは弱いものの、総体として退屈しません。
後味が悪いと言う作品レビューも多いようですが、私にはそれは理解できません。
感動を伴う名作ではありませんが、面白いです。

松たか子さんはすこぶる好演でした。
序盤の無機質な小声と、終盤の「ドッカン!」との落差がカタルシス。
特に終盤のデモーニッシュな表情変化が全力投球の趣でした。
未見の方は、ぜひ。

木村佳乃さん、岡田将生さんも類型的な役どころを丁寧にきっちり。
それにしても岡田将生さんはダメ男役がよく似合います。

中学生役の皆さんの懸命な演技も良かったです。
西井幸人さん、母親に捨てられ、自分はすごいぞと母親にアピールしたい学力の高い中学生役です。妻によると、そう言う雰囲気がよく出ていました。あとは滑舌の訓練ですね。
藤原薫さん、うまくいけば将来は名脇役になるとみました。過保護すぎる母親に育てられてスポイルされたまま育ちきれていない中学生を演じています。
二人の役柄設定はとてもステレオタイプです。けれど彼らの本気度に好感が持てます。

教室全体に、この年代特有の、生きている実感の無さが漂っていて、そこに由来する野放図さ、アホウきわまる空虚さがまずまず伝わりました。この感じはきっと都会周辺部の中学校ですよね。もっと地方だとこの感じにはならない気がします。
なお、能年玲奈さんも判別できます。TV『あまちゃん』より前に橋本愛さんと共演していることがわかりました。こう言うところが二度目の醍醐味ですね。

芦田愛菜さん、観客の視線を独り占めできます。
芦田愛菜さんでなくても務まる役ですが、やはり彼女が出演すると画面の温度が変わります。

でもどうしても、やはり本作の華は橋本愛さん。
まだ幼さが残る橋本愛さんの美しい死に顔が、本作を思い出す私の記憶の最上位に来てしまいます。
橋本愛さん、死に顔が美しい、と言う私に
彼女は血が似合うのよ、と妻。
TV『ツイン・ピークス』のローラパーマー並みだと言う私に、
『キル・ビル』の栗山千明さんの死に方も加えて、と妻。
なるほど、美しかったね。




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2018年12月10日

『勝手にふるえてろ』:異常巻きアンモナイトだって生きている

データ
『勝手にふるえてろ』

評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2017年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:大九明子
原作:綿矢りさ
俳優:松岡茉優(江藤良香/ヨシカ) 渡辺大知(ニ) 北村匠海(イチ) 
   石橋杏奈 趣里 前野朋哉 古舘寛治 片桐はいり
製作国:日本
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写真はすべて公式HPより


コメント

松岡茉優さんの初主演映画です。
ラブコメですが、全力投球で演じています。
松岡さんは1995年2月生まれということなので、本作の公開時点では22歳でした。
映画自体も快作です。

松岡さん演じるヨシカは、脳内恋愛の達人女性です。
愛するものは絶滅した生き物。たとえばアンモナイトの化石を部屋に飾っています。
アンモナイトの中でも珍しい<異常巻きアンモナイト>について会話ができます。すごいです(笑)
ま、多数派からは「勝手にふるえてろ」と見放されかねないタイプですね。
ところが実社会ではキチンと経理の仕事をこなしているものですから、そう簡単には正体を見破られません。



異常巻きの一種、ニッポニテス・ミラビリスの復元図:wikipediaより


彼女ヨシカは、日常生活において他人とうまくコミュニケーションができているような描写が続きます。その時の<明>の松岡さん、笑顔がチャーミングです。
しかし、店員・駅員・公園の釣り人などとヨシカが話すシーンでは、その人たちが話したいことにヨシカが耳を傾けている描写はありません。
いつもヨシカの話を聴いてもらっているだけ。
こいつあ変だぞ、、、あ、そういうことか、とすぐに気がつくのですが、とりあえず映画に騙されているフリをしておきます。
すると、脳内彼氏のイチとリアルに会うチャンスがあったのはいいのですが、イチは元同級生のヨシカの名前すら知らないことがわかります。
脳内空想の最上位に位置するイチに「裏切られた」とたん、ヨシカの空想全てが音を立てて崩れていきます。
その時のヨシカの切なさを、松岡茉優さんはダメを押すように丁寧に演じていますので、観客の胸にもその心情が届くのです。
<暗>の演技も渾身でした。


途中突然ミュージカル仕立てになって歌い出す松岡さん必見です。


住むアパートでボヤを出してしまったため、近所の和菓子屋で菓子折りを買ってご近所に頭を下げまわるシーンがとてもリアルでした。


オカリナを吹く不思議な隣人を片桐はいりさんがいつも通り圧倒的な空気感・存在感で怪演。けれどはいりさんと対等に渡り合う松岡さんの気力はたいしたものです。


<イチ>に比してダサダサでウザイ<ニ>を演じた渡辺大知さんも印象に残りました。
また、カフェの店員役の趣里さんに存在感がありました。軽やかな動きはなるほど昔バレエを志していたのだなとわかります。ぺ・ドゥナさんの好演が光った『空気人形』をいま製作するなら、趣里さんを主役にしては?と思いました。






批評

ここでは本作から離れて雑談に近い批評を行います。

現在日本の若手女優陣は逸材がひしめき合っています。
私が実力・存在感ともに一級と考えている女優陣を敬称略、(各項)年齢順で挙げさせてもらいます。

まずは1980年代生まれですが、
尾野真千子、池脇千鶴、真木よう子、蒼井優、宮崎あおい、満島ひかり、安藤サクラ、井上真央。
主演映画であれば兎にも角にも観てみたい方たちがずらり並びます。(特に蒼井〜安藤の四人は同学年!)
ここに、
小池栄子、綾瀬はるか、貫地谷しほり、沢尻エリカ、長澤まさみ、上野樹里、新垣結衣、吉高由里子、多部未華子、、と加えると、まさに現代の映画・演劇・TVを支える女優たちで百花繚乱の趣。

次に1990年代生まれになりますと、
黒木華、高畑充希、有村架純、二階堂ふみ、松岡茉優、広瀬すず。
先と同様にもう少し増やしてみると、
波瑠、夏帆、前田敦子、門脇麦、のん、大後寿々花、広瀬アリス、森川葵、橋本愛、、、
1980年代生まれに比べるとスケールダウンしますが、これはまだ仕方がないところ。
今の所引き出しの多さで高畑充希さんと二階堂ふみさんが頭一つ抜けている気はしますが、この皆さんが30歳代になった頃がものすごく楽しみな多士済々ぶりではありませんか。
うかうかはできないのですよ、その次の世代に清原果耶、蒔田彩珠、芦田愛菜たちが控えていますから。

ちなみに、この中でwikiなどで血液型がわかった人が28人。その内11人がA型。9人がO型。4人がAB型。同じく4人がB型です。日本人の平均と比べるには母数が少なすぎますが、B型が少ない印象があります。そのB型女優は、綾瀬さん、黒木さん、有村さん、そして松岡さんです。

さてさて寄り道をしてしまいましたが、本作の主役はこの女優陣の中では最若手の一人である松岡茉優さんです。
私たちの松岡さんとの最初の出会いは、傑作『桐島、部活やめるってよ』でした。
俳優名で書きますが、彼女は東出昌大さんと付き合っている女子高校生役でした。東出さんを秘かに慕っていていつも遠くから見つめている大後寿々花さんの存在に気が付いているため、大後さんが見ているのを承知で東出さんに校内キスをせがみます。その時の松岡さんが大後さんを見やる意地悪な強い目は、この俳優だれ?と私たちに思わせました。
そしてTVドラマ『あまちゃん』、『問題のあるレストラン』(←傑作でした)、大河『真田丸』を経て『ちはやふる -下の句-』で松岡さんと出会っています。(私が見た順です)
多くはコミカルな役でしたが、『問題のあるレストラン』ではコミュ障で料理の天才の女子を演じて特に好印象でした。
また、『ちはやふる』で他の若手俳優とは「次元が違う」(妻)場の支配力を見せてくれました。
ただし、まだまだ(年齢的に当たり前ではあるものの)人間の幅や奥行きに乏しいことが感じられました。
ところが本年の『万引き家族』、そして昨年の本作『勝手にふるえてろ』では、俄然人物像が膨らんできました。
ガッツのある努力家なんでしょうね。
もう大丈夫、これからも順調に育っていかれることでしょう。
  


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2018年12月06日

『静寂の森の凍えた姉妹』:アイスランドのペドフィリア事件

データ
『静寂の森の凍えた姉妹』
GRIMMD(アイスランド語で残酷さ)(CRUELTY)
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2016年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:アントン・シーグルドソン
音楽:クリスチャン・ストゥルラ・ビャルナソン
俳優:マルグレット・ヴィルヒャムスドッティルMargrét Vilhjálmsdóttir(エッダ:主役の女性刑事)
   スヴェイン・オーラフル・グンナルソンSveinn Ólafur Gunnarsson(ヨイ:相棒の男性刑事)
   Júlíana Sara Gunnarsdóttir(Karítas:エッダと共同捜査にあたる女性刑事)
   ピエトゥル・オスカル・シーグルドソンPetur Oskar Sigurdsson(アンドリ:エッダの弟)
   ハンネス・オーリ・アウグストソンHannes Óli Ágústsson(マグニ)
   Salóme Gunnarsdóttir(Fanney:被害者の母親)
   Guðrún María Bjarnadóttir(Hildur:アンドリの恋人)
製作国:アイスランド


https://www.berlinale-talents.de/bt/project/profile/190138


コメント1

観客の想像力や推理力に依存するタイプの作品ですから、
たくさんの映画を観ている方にはお勧めしたい佳作です。


アイスランドの雪積もる森の中で幼い姉妹の惨殺死体が発見されました。
死因は絞殺や撲殺なのですが、妹には以前から虐待を受けていた痕跡が残っています。
警察は、性犯罪者(ペドフィリア=幼児性愛者を含む)リストから容疑者を絞ろうとします。
ところがその候補はたくさんいます。
捜査の対象になったその男たちの(警察は知らない)日常の怪しい断片が次々と映像になるものですから、観客は集中力を維持しなければなりません。
また、その対象者たちは、警察から(日常的に)監視されているし疑われることもしばしばある様子や、
周囲、例えば職場の同僚たちから激しい疎外や暴力行為を受けることもあることが描かれます。
比較的公正な警官に見える主役のエッダすら、二度の裁判で無実となった男性をいまだに被疑者扱いし、ついに自殺に追い込んでしまうのですから。
世界一安全な国とも言われるアイスランドですら、性犯罪や虐待。そしてイジメから無縁ではないことがまざまざと示されます。

そうです、場面転換こそ多いのですが、とても静かでとても陰鬱な映画です。
真犯人は最後の最後に示されますが、伏線がすべて回収されたかどうか一度見ただけではわからない作品です。
肝心な場面の映像がクローズアップにならなかったりしますし、説明はほぼありませんから、観客は想像力を駆使しなければなりません。
この辺りが私にはツボでした。面白いですよ。

面白さを満喫できた理由は、映画のツクリだけではありません。
いえそれ以上に、主要な俳優たちの演技の確かさが最大の魅力かもしれません。
人口わずか33万人強のアイスランドの映画界、侮ることなかれ、だと思いました。



マルグレット・ヴィルヒャムスドッティルさん(本作の写真ではありません)


コメント2

観客の想像力や推理力に依存している、と最初に申しました。
その一例を挙げておきます。
本筋には関係ありませんが、完全なネタバレです。


殺害された姉妹のうち妹の身体には虐待の跡があった。
殺害された時の傷だと誤解したら、この後ミスリードされっぱなし

姉の日記帳を発見した母親は、その一部を破り、警察に通報する。
破る手つきをアップしたりする親切心はないから、ぼんやり観ていると見落とす。母親が殺人犯でないことを示すと共に、隠したいことがあることがわかる。おそらく虐待だろうが。

刑事は破れたページに心当たりはないか母親に尋ねる。
母親の目が一瞬泳ぐ。その後刑事の目つきが鋭くなる。
観客はここで虐待は母親の仕業だなと確信する。刑事も確信したことがわかる。しかしそれらの説明は一切ない。

刑事のケータイに電話がかかり、刑事は酔った母親を酒場から自宅に運ぶ。母親のベッド脇のテーブルに紙切れが二枚置いてある。
刑事はそれを読むのだが、クローズアップしないし何の説明もない。しかし観客は破りとった日記のページだろうと推理する。また、酒場の主人から直接ケータイに電話がかかる可能性は低い。母親が直接迎えにきてくれと連絡したのだろう。後者の場合、母親は破りとったこと、虐待を隠していたことに耐えられなかったのだな、だからわざとテーブルに置いておいたのだなと想像できる。

ここに至って、それまでに描かれたいくつかのシーンが思い出される。
例えば、父親がこの家族を見捨てた、という捜査結果。
夫に捨てられたことが虐待の主原因であったのだろうと推理できる。
例えば、母親が自殺を図るが死に切れなかった描写。
娘二人を失ったことだけが自殺願望の原因ではなかったのだな。虐待への自責もあったのだろう。などと観客は思うのだ。

こんな調子で進んでいく映画なのです。
けっこう濃いでしょ?
  


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2018年12月02日

『ガントレット』:アメリカ版小栗判官と照手姫の物語

データ
『ガントレット』

評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:1977年
鑑賞:かつて民放TVで視聴。2018年BS/CSで再視聴。
監督:クリント・イーストウッド
音楽:ジェリー・フィールディング
俳優:クリント・イーストウッド(ベン・ショックリー) ソンドラ・ロック(ガス・マリー)
パット・ヒングル ウィリアム・プリンス
製作国:アメリカ
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批評

米国の都市ラスベガスとフェニックス(フィーニクス)とは約400㎞の距離があります。
(その途中の砂漠地帯にはあの『バグダッド・カフェ』の舞台となったバグダッドの町があります。)
主人公ベン・ショックリーはフェニックスの刑事。
華々しい業績のない、酒飲みの冴えない中年警官です。
ベンは警察長官直々の命令で、ラスベガスから裁判の証人をフェニックスまで一人で護送することになります。
その証人がガス(オーガスタ)という名の大卒の娼婦。
その護送中に不可解で危険な妨害が入り、それをすり抜ける危機を通じて、ベンと護送されるガスとの間に恋が芽生えます。
妨害はマフィアと警官によって行われます。その銃撃戦の結果、ベンは警官を殺害したというデマが広まります。
ベンはあくまでガスの護送にこだわり、フェニックスを目指します。
改造バスでフェニックスに乗り付ける有名なシーンでは、無数の(仲間であるはずの)警官による無数の射撃を浴びます。
最後にベンは任務を果たし、妨害の黒幕は死にます。
ま、それが物語のほぼ全てです。

フェニックスもラスベガスも砂漠に誕生した都市ですから、夏の日中は酷暑(フェニックスの7月の日平均気温が35度近い)ですが、夜間は冷えます。
銃撃から逃れた二人が砂漠の洞窟の中で焚き火を起こし暖をとるシーンがあります。
映像がとても美しく印象に残ります。
ここは二人の関係が質的に変化する、互いに敬意または恋慕が生まれる重要な場所です。
その場所がまるで子宮のような洞窟であるところが、イーストウッド監督の意図的な選択だったと思います。
冴えない男ベンが、ガスの知性という刺激によってこの場所でようやく事態を把握し、決断力溢れる人物に変化します。

そして終盤の有名なガントレット(意味は下記に)の試練を迎えます。
仲間である警官たちの列の間をあえてゆっくりと走行するバスに乗った二人は、まるで産道という窮屈な場所をくぐり抜ける胎児のように見えます。
バスは警官たちによる容赦ない銃撃を受けます。
しかしついにバスはシティーホールに到着します。
これはベンにとって新たな自分の誕生という意味なのでしょう。

自らの悪業のため病魔に侵されたが、照手姫の励ましでひきぐるまに乗っての辛苦に満ちた熊野詣を成し遂げ、ついに再生した小栗判官の物語を思い起こすのは私だけでしょうか。


<ガントレットgauntletとは?>
wikipediaから引用します。(画像も)
仲間の兵に殺させるという刑罰は、ローマ以後のヨーロッパの軍隊にも見られる。これがガントレットであった。罰を受ける兵士は軍装を脱がされ、二列に並んだ兵士の間(「die Gasse」、「小道」とも呼ばれる)を通らされ、棍棒や鞭やほこや槍を持った仲間たちに殴られた。その間、剣を持った下級士官が罰を受ける兵士の前を歩き、罰を受ける兵士が殴られる間走り抜けられないようにした。罰を受ける兵士が手首を縛られて列の間を引きずられる場合もあれば、殴られる代わりに突かれる場合もあった。
・・・
軍隊によっては、ガントレットの間を走りぬけて反対側へとたどり着けた場合には、過ちは償われたとみなされて部隊に戻ることを許される場合もあった。しかし反対側にたどり着いてもまた列の間に戻され、ガントレットの間を死ぬまで歩かされる場合もあった。






コメント

クリント・イーストウッドさんの監督作品には、覚醒や再生というモティーフがしばしば扱われます。
(最も分かりやすい例が『グラン・トリノ』でしょうか)
本作もそれがそのままテーマになっています。
『ダーティ・ハリー』(1971)のキャラハン刑事ようなやや超人的なヒーローから抜け出したくて作り演じた本作なのでしょう。
我々視聴者にはキャラハンのイメージがやはり残っているので、監督が意図したようなダメ刑事を100とすれば、70くらいのダメさしか伝わらないのが惜しいところ。
でもこれは仕方ありません。彼は演技派俳優ではありませんので。

それに対し、ソンドラ・ロックさんの演技力には感心しました。
高級娼婦に見えるかというとそうとも言い切れませんが、ベンを叱り、励まし、真実に目覚めさせる全力演技はたいしたものだと思いました。
彼女は当時クリントさんの愛人だったというエピソードがあり、そのことがこの好演に影響したのかもしれませんが、そういう俳優の私生活に目を向けるつもりはありません。
作品としてやや生煮えで出汁がわずかに薄い印象は残りますが、やはり興味深い一作です。
  


Posted by gadogadojp at 10:00Comments(0)映画