2020年02月24日

『地上より永遠に』叶わぬ恋を表す題名ではなかった

データ
『地上より永遠に』
ここより永遠に、 From Here to Eternity
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:1953年
鑑賞:ビデオ、DVDで鑑賞。2020年BS/CSで再視聴。
監督:フレッド・ジンネマン
原作:ジェームズ・ジョーンズ
俳優:バート・ランカスター モンゴメリー・クリフト デボラ・カー フランク・シナトラ ドナ・リード アーネスト・ボーグナイン フィリップ・オーバー
製作国:アメリカ
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コメント、批評

二度目の鑑賞で私の評価はずいぶん上がりました。

男性俳優は好演しています。
けれど女性俳優の演技や輝きはもう一歩というところ。
デボラ・カーさんの独特の表情は魅力的ですが、真珠湾攻撃によってなすすべもなく客船に乗ってハワイに別れを告げるラストは、哀切ですが無力すぎる印象です。


原作者はジェームズ・ジョーンズさん。真珠湾攻撃を目撃し、のちに本作や『シン・レッド・ライン』(1998、テレンス・マリック監督、佳作)の原作となる作品を書いた小説家です。そして本作の題名は、英国のラドヤード・キップリングさんという小説家・詩人の詩から採られています。邦訳では”ここよりとわに”と読ませます。一部をwikipediaから引用しますと、

上流出身の兵士は浮かれ騒ぐ、
 地上より永遠に呪われたる、
 われらごとき兵士に憐れみをたれたまえ、

(新庄哲夫訳『地上より永遠に』角川文庫より)


最初の鑑賞時、本作のテーマは若い私にはわかり難いものでした。というのも、ウォーデン曹長(バート・ランカスターさん)とカレン(デボラ・カーさん)の有名なハワイの砂浜での不倫ラブシーン、プルーイット(モンゴメリー・クリフトさん)とロリーン(ドナ・リードさん)の兵卒と慰安婦との恋、という二組のカップルの恋愛模様に少し辟易としたからです。私はただの恋愛映画に関心がありません。

けれど今回機会があってもう一度観ようと考えた理由は、先日ジンネマン監督の『日曜日には鼠を殺せ』に感じ入ったことがきっかけで、若い私には本作を理解できる力がなかったのではないかと考えたことが一つです。もう一つは、傑作『ゴッドファーザー』(1972 コッポラ監督)のあのエピソードの元になった本作のフランク・シナトラさんの演技を見直したくなったからです。あのエピソードとは、ヴィトー・コルレオーネがゴッドサンのジョニーを映画に出演させるために、それを拒んでいた映画会社の社長?の愛馬の首を切り落とさせた事件のことです。その脅しが効いて、ジョニーは念願の役にありつきました。本作のフランク・シナトラさんも、首尾よくアカデミー助演男優賞に輝き、スランプを脱したのでした。

脇道に逸れましたので話を戻します。
今回あらためて本作を鑑賞しますと、恋愛映画の要素も色濃く持ちながら、その底にキップリングの詩に明白に窺える下積み兵士にかけられた呪い、いや階層差別がドンと居座っていることにようやく気がついたのでした。その悲哀に満ちた下層兵士を演じるのが超二枚目モンゴメリー・クリフトさんとイケボイスのフランク・シナトラさんだということが、ジンネマン監督や製作陣の策略なんですね。

少し持って回ったこの手法ゆえに、私にとって大好きな映画にはなりませんが、映画史の中で一定の位置を占めることになった作品であることには疑う余地がなさそうです、と私も持って回った文を書いて、本稿を終えます。

  


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2020年02月22日

『ほえる犬は噛まない』:ポン・ジュノさん初の劇場映画

データ
『ほえる犬は噛まない』
Barking dogs never bite、플란다스의 개(フランダースの犬)
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2000年
鑑賞:2020年BS/CSで視聴。
監督:ポン・ジュノ=奉俊昊
俳優:ぺ・ドゥナ=裵斗娜=배두나(パク・ヒョンナム) イ・ソンジェ(コ・ユンジュ) 
   コ・スヒ(ユン・チャンミ、チャンミの友人) ピョン・ヒボン(ピョン警備員) キム・レハ(ホームレス)
   キム・ホジョン(ユンジュの妻) キム・ジング(犬を飼う婆さん) 
製作国:韓国
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コメント

Barking dogs never bite.吠えるだけで何もできないやつ。って感じの英語の言い回し。そうか、じゃあそういう登場人物が出てくるのかと思いきや、そうでもなく、はて?と原題を見ると플란다스의 개。フランダースの犬。なんやそれ、ますますわからへん、と楽しくなる映画です。はい、楽しいのです。

とある団地で犬が連続失踪するのです。その団地に住む、教授になりたいが何もできない冴えない院生?がコ・ユンジュ(イ・ソンジェさん)。その団地の管理事務所で働く少しお間抜けだが正義感と有名人になりたい欲の強い女性がパク・ヒョンナム(ぺ・ドゥナさん)。二人主演の映画です。

人間にとって犬とはなんでしょう。ペット?パートナー?ガードマン?労働力?それとも食べ物?
〜全部正解ですよね、現代では。
そのあたりの人によるズレがおもしろいコメディーと考えて良いのでしょう。あちこちに皮肉・アイロニーが散りばめられていて、『パラサイト』を思い出しました。

ポン・ジュノさん初の劇場映画という期待を持って観ましたが、なかなか意外な展開もあり、これまた『パラサイト』を思わせる社会的シーンもあり、でとても楽しめました。監督は最初からアイデアとセンスがあったのですね。特に動物愛護にセンシティブな方以外にはおすすめできます。

個人的には、ピョン・ヒボンさんの素晴らしい芸を堪能しました。彼はあの傑作『グエムル』でお父さん役で重要な役どころを演じていました。いや、作品製作順では本作が先ですが。そして、ぺ・ドゥナさんファンの私としては、二十歳そこそこの彼女が軽快に主役をこなしていたのでそれも嬉しい映画でした。






批評

犬食文化はもともと世界中に広がっていた習慣でした。ヒトが狩られるイキモノから狩るイキモノへと変身した頃から始まったと考えられます。狼をとらえて飼育し、イヌへと変化させていく目的は、狩猟や牧畜の”仲間”やソリを牽く労働力としてだけではなかったでしょう。まして”ペット”にして可愛がるために危険を犯して捕らえた狼に餌をあげていたわけはありますまい。日頃はとても役に立つ家畜であったし、慰められることも多かったでしょうが、老犬になったりケガをしたり不意の客人が訪れたりすれば、ためらいなく撲殺されて喰われていたはずです。少なくとも予備食料として。

その後の人類の文化は多様化し、犬食に関しても濃淡さまざまな発展を遂げました。現代では英国とイスラム圏を中心に嫌犬食文化が広がっていますが、今なお世界では年間二千万頭以上の犬が食べられているとされます。日本列島でも縄文時代には「愛され且つ食べられ」たと考えられる事例がいくつも見つかっていますし、古代・中世・近世、そして近代まで食料としての需要は連綿と続いていました。私たち個人が犬を食べることに嫌悪するのは勝手ですが、犬を食べる他人や文化を下劣と見るのは一種の差別であり、反知性のあらわれに他なりません。

私自身は積極的に犬を食べませんし、入手も困難な現代日本に暮らしています。ですが、ベトナムや中国、韓国では何の躊躇いもなくありがたくいただきました。特にベトナムでの犬の鍋はとても美味で、体を芯から温めてくれました。日本においてブタをペットとして飼う人もいるし食べる人もいることと同じでしょう。こういう考え方に納得がいかない方は、wikipediaの「犬食文化」の項目を一読ください。詳しい事情が書かれてあります。ただし、掲載された写真は見る人によっては耐えられないグロテスクなものと思えるでしょうからご注意ください。
  


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2020年02月20日

『永い言い訳』:西川美和さんが描くダメダメな奴

データ
『永い言い訳』

評価:☆☆☆☆☆☆☆・・・
年度:2016年
鑑賞:ビデオ、DVDで鑑賞。2020年BS/CSで再視聴。
監督:西川美和
原作:西川美和
撮影:山崎裕
音楽:中西俊博 加藤みちあき
俳優:本木雅弘 深津絵里  竹原ピストル 堀内敬子 藤田健心 白鳥玉季
   池松壮亮 黒木華  山田真歩  松岡依都美 康すおん 岩井秀人
   戸次重幸 淵上泰史 ジジ・ぶぅ 小林勝也
製作国:日本
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予告編より


コメント

扱われた題材は私にとって好きでも得意でもありません。それだけに、観賞後に解釈を巡って自分の中で迷路に嵌ってしまい、少し困っています。そこでまず、題材・主題・本筋とは少し離れたことを書くことで頭を整理したいと思います。
ここでは配役名ではなくあえて俳優名で書きます。


私が鑑賞した西川美和監督の作品は『ディア・ドクター』など五作目になります。いずれも傑作・佳作ぞろいです。(あ、印象に残っていない『ユメ十夜 第九夜』を除いてはですが。)本作だけはTV画面で観ることになったのがいささか残念でしたが、スクリーンでなくても真価がわかるきめ細かい映画です。

本木雅弘さんが出演する映画は『シコふんじゃった。』と『おくりびと』だけしか知りませんでした。そこで彼はたいへん几帳面で徹底的な役作りをする役者だという印象でした。本作でもそう感じました。彼が演ずる作家は、自己完結型の閉ざされた人格だと看ました。案外ご本人もそういうお人柄かもしれません。妻は、本木さんの義父母があのような方たちだから、本木さんも相当な人だと考えているようです。私もそう思います。相当にヘンコだから、樹木希林さんにも内田裕也さんにも領空侵犯さえさせなかったのでしょう。本作においても素晴らしいなりきり演技で、書かれた言葉の世界でしか他者や世界と関わることができないインテリ作家役を好演しました。

深津絵里さんに関する記憶を辿っています。初主演映画『(ハル)』(1996 森田芳光監督)のポスターだったかに見入った記憶が蘇りました。この映画は今思うと見ておくべきでした。相手役が内野聖陽さんですし。その後『踊る大捜査線』でひいきの女優さんになりました。ですが決して演技に惹かれたわけではなく、私には珍しく単なるタレントファンになったのです。けれどその後役者として急速に成長されたのは皆様ご存知の通り。数えてみると(シリーズものも含め)14,5作品ほど見ています。どれだけ好きやねん、と改めて思いました。本作ではとてもきめ細かい演技と晴れやかな笑顔で少ない出番ながら影の主役を務めました。いかにも美容師らしく手際よく夫の髪を切る場面で、夫からの雑言を受け流す場面の表情や、ドアを開けて一瞬戻ったとき、揺れるケータイストラップを見たときの目など、すごい女優だなと改めて感じました。


『(ハル)』の深津さん

竹原ピストルさん。配役の妙です。世界が閉じている本木さんと線対称の位置にいる心に垣根のない長距離トラック運転手を演じています。二人とも社交性に乏しく几帳面で劣等感を持っているなど共通点が多いのですが、心の窓口の広さがまったく違うのです。これはインテリかインテリでないかという違いに他なりません。もっと言えば、傷つくのを予め恐れるか恐れないかの違いです。つまり心の防衛力の違いです。あるいは書かれた言葉で関係を結ぶ人間と行動で関係を結ぶ人間の違いです。その対比がよくわかる出色の演技です。

山田真歩さんの吃音がもう迫真。これまで私の吃音演技NO.1は『カッコーの巣の上で』(1975)にてビリー役を演じたブラッド・ドゥーリフさんでしたが、山田さんは彼を超えました。いい役者です。山田さん以外にも黒木華さん、池松壮亮さん、松岡依都美さん、康すおんさんなどを脇に配した西川美和さんはほんとに贅沢な監督です。

子役の二人もとてもナチュラルでした。本木さんがしだいに心の窓口を開いていくためには、竹原ピストルさんだけでは難しく、母親をなくしたばかりの子供たちがそばにいてくれる(いてほしい)存在として本木さんを認知する必要があったのです。その子供たちに少しでもアンナチュラルな雰囲気があればストーリーに説得力がなくなっていたはずですから。




予告編より


批評

冒頭に書いたように、私の頭の中は迷路を彷徨っています。「言い訳」とは誰の誰に対するどんな言葉・行為なのかさえ確信が持てずにいます。ですから批評などしてはいけないのですが、少しは書くべきだとも思っています。なぜなら本木さん、いや衣笠幸夫は私だからです。

誰にだって、災害や事故で、思いがけない別れを経験することがあります。日本列島の近年に限っても、1995年の阪神淡路大震災(死者6434人)や2019年の東日本大震災(死者・行方不明者18428人)などの地震で親しい人を失った方は十万や二十万人ではきかないでしょう。他にも地震・水害・事故は数知れず起こりました。そのつど、家族や友人との絆を突然断たれる人が犠牲者の何倍も出現することになります。

故人の生前に心底からの愛や友情を育んでおられた方の哀惜の深さは想像を絶します。自分の中にまだ生きている故人とどうお別れをすればいいのか、途方に暮れて何年も過ごすことになります。

一方、故人と深い関わりがあったはずなのに、実は自分のせいで心が通じ合っていなかったとしたら、そして、その災害や事故が起きるまでそのことに気付いていなかったらどうでしょう。本作で言えば、衣笠幸夫(本木さん)と衣笠夏子(深津さん)は夫婦だったのですが、幸夫は夏子と夫婦としての、心の交流ができていなかったのです。それはつまり愛だとか友情だとかいう以前の、人と人との心の通い合いができていなかったのです。その最大の原因は幸夫側にあったことは一目瞭然。夏子は美容院の同僚とも客とも友人とも人間関係を築いていたのですが、幸夫には誰一人そういう他者がいなかったのですから。

幸夫は自己完結型の人間で、自分の外に向かって表現するのは=関係を結べるのは文章でしかできない人物なのでした。つまり心の窓はとても狭小で、しかもその窓すらなかなか開かないのです。開けないのです。悪いことに、作家のくせにそのことに無自覚で、自分のそういう性癖・未熟さをいつか改善すべきだとも考えていなかった人物なのです。夏子の死後、幸夫にあてた下書きメールに「愛してない。ひとかけらも。」と書かれていて、そのショックのあまりケータイを壊すまでは。不倫相手福永智尋(黒木華さん)から「あなたは本当は誰も抱いていない」と言われるまでは。出版社の編集者から近作を批判されるまでは。

いや、そのような批判の数々だけではおそらく幸夫の殻は破れなかったでしょう。殻の中で自信を失い萎縮し小さくいじけただけだったでしょう。こういう人物が心を開くためには何か別の、自分が役に立つ、自分しか役に立てないと思える温かい何か出会いが必要なはずだ、と西川美和さんは考えたに違いありません。本作ではそのきっかけとして、夏子と共にバス旅行に行き、同じように死んでしまった友人の遺族との出会いを設定したのです。

子供との出会いを心開くきっかけにするという設定はとても納得できるとも思いますし、かなり無理筋だとも思います。私にはどちらかというと少々強引ではないかなという印象が残りました。しかし西川さんはそれを選びました。それで良いのです。そして、少々強引だと私が感じた理由は、私の中の衣笠幸夫的な殻がまだ十分にはほどけていないからでしょう。(西川美和さんも同じじゃないかな、と私は勝手にそう考えています。)そういう私は実は、、という打ち明け話は誰にも興味がないし誰の役にも立たないからうやめておきますね(笑)ただ、幸夫がもう大丈夫だろう以上に私はもう大丈夫です、と言うに留めておきます。西川監督も本作を制作したのだからきっともう大丈夫なはずです。

  


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2020年02月18日

『Undo』:ちゃんと縛ってよ

データ
『Undo』
アンドゥー
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:1994年
鑑賞:2020年BS/CSで視聴。
監督:岩井俊二
脚本:岩井俊二
撮影:篠田昇
俳優:山口智子 豊川悦司 田口トモロヲ
製作国:日本
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コメント、批評

公開時、監督が31歳、山口智子さんが30歳、豊川悦司さんが32歳という、同世代で作り上げた自己陶酔中編映画。
それでも「岩井俊二だあ」と妻は言います。
『着信アリ!』や『死国』より怖いとも言いました。
ほんとうにその通り、この美意識と怖さはただものではない感。

山口さんと豊川さんが迫真の演技で共に超絶綺麗。
この作品好きですよ、私。
『Love Letter』などではわかりにくい岩井監督の隠し持つカラタチの棘に刺されて血が滲む。井上陽水か。

「待ってるを縛ってる」・・・うん、愛の姿の一つだから。

市川崑監督リスペクトの岩井監督だけれど、なんだか今日は篠田正浩監督作品を思い出してしまいました。といいますか、『心中天網島』(1969)からの連想ですな。つまりは文楽を思い出したということかもしれません。なぜかはわかりません。


縛るという行為は、結界を張って閉じ込めるのだろうか、それとも永遠を願う呪なのだろうか。それともほどけるために縛るのだろうか。団鬼六さん原作の映画ではシンプルにMの世界だったと思うのだけれど。

1994年の時点で私は岩井俊二監督も本作も知りませんでした。けれど若い人たちの間には熱狂的ファンが生まれたと聞きました。その方たちの間でなんでも縛ってみよう遊びが流行らなかったのだろうか。本作では「泡を縛る」「二人の愛を縛る」の場面がホラーでしたが、「親の小言を縛る」「漢字を縛り平仮名をほどく」なんて遊んだ方がいるように思うなあ。
  


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2020年02月16日

『キングダム』:イケメンを揃えた割に面白い

データ
『キングダム』

評価:☆☆☆☆・・・・・・
年度:2019年
鑑賞:2020年BS/CSで視聴。
監督:佐藤信介
原作:原泰久
俳優:山﨑賢人 吉沢亮 長澤まさみ 橋本環奈 本郷奏多 満島真之介 髙嶋政宏 大沢たかお 要潤 
   橋本じゅん 石橋蓮司 宇梶剛士 加藤雅也  坂口拓 阿部進之介  深水元基  六平直政    
製作国:日本
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公式サイトより


コメント

イケメンを揃えた割に面白い力作に出来上がった。退屈する場所が少ない。最後の決戦シーンは冗漫だが。

ストーリーに依存。日本のコミックの実力発揮。しかし映画界はコミックに頼り過ぎだと思う。西川美和さんを見習って。

主要人物の殺陣に不満。訓練不足か。

山崎賢人さん、吉沢亮さんをこの種の映画に起用した企画の時点で結果は見える。頑張ってるけれど、もともと無理でしょう。山崎さんなどどう見てもバカ力の持ち主にも剣の達人にも見えない。可愛いが。吉沢亮さん、二役を演じ分けようと努めていることはわかるが演じ分け切れていない。

長澤まさみさん、満島真之介さんがかっこいい。

中国の大地と歴史の雰囲気が垣間見えた。あくまで垣間だけど。

山の民や橋本環奈さんの衣装はおそらく原作通りでしょうが、おどろおどろしくて惹かれます。

大沢たかおさん、喋ると怪しくてとてもいい。

六平直政さん、もっとも中国人になり切っていた。

橋本じゅんさん、ワイヤーアクションで腰を痛めませんでしたか。どうせなら轟天役(劇団新感線)で出演して欲しかった、とは轟天ファンの私の冗談です。

坂口拓さんはすごい体技の持ち主らしい。ということはイケメン達にめちゃめちゃ遠慮して演じてるんだなあ。さほど凶悪で強そうに見えないから。

もう少し予算があれば”引き”の映像も作れたのに、と妻。

他に言うことはなさそうだ。

  


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2020年02月14日

『レ・ミゼラブル』(2012):最後まで見届けたミュージカル

データ
『レ・ミゼラブル』
Les Misérables
評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2012年
鑑賞:2020年BS/CSで視聴。
監督:トム・フーパー
原作:ヴィクトル・ユーゴー
音楽:クロード・ミシェル・シェーンベルク
俳優:ヒュー・ジャックマン ラッセル・クロウ アン・ハサウェイ アマンダ・セイフライド
   エディ・レッドメイン サマンサ・バークス ヘレナ・ボナム=カーター  サシャ・バロン・コーエン  
   アーロン・トゥヴェイト ダニエル・ハトルストーン
製作国:イギリス映画
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ヘレナ・ボナム・カーターさん:出典: https://www.cinemacafe.net


コメント

19世紀のフランスの場末感あふれるリアルっぽい画面(good)を背景に、クローズアップを多用した歌唱シーンが印象に残るミュージカル映画。舞台の佳曲を使っています。

まったく個人的な好みで恐縮ですが、私がこれまできちんと最後まで見届けたミュージカル実写映画は、『ウエスト・サイド物語』と『シェルブールの雨傘』、 『サウンド・オブ・ミュージック』だけかもしれません。すべて1960年代の映画ですね。音楽の素晴らしい映画たちでした。
(補足:あ、忘れていました。『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』は好きです。)
『マイ・フェア・レディ』など他にもいくつか見ましたが、どうも頭に入らなかったり楽しくなかったり・・・もともとオペラが苦手で、演劇やアニメでもミュージカルになると腰が引けてしまいます。ミュージカルが悪いのではなく、自分が頭が固く打ち解けない人柄であることが原因かなと思っていました。
とはいえ、大人計画の演劇ミュージカル『キレイ』はかなり好きなのです。とすると、やはりハードルを上げているのでしょう。ストーリーそのものが好みで、加えて音楽(踊り)が好みにならないと気に入らないということなのでしょう。

そういう私でしたが、本作『レ・ミゼラブル』は最後まで見届けてしまいました。しかもスクリーンでなくTV画面で。自分でも驚いています。その理由を少し考えました。

最初の歌「囚人の歌(Work Song)」と映像がつかみOK!でした。『ベン・ハー』へのオマージュ?と妻は言いました。
また、私が、ヴィクトル・ユーゴーの原作を少年少女読本『あゝ無情』や翻訳小説『臆無情』で読んで馴染んでいた世代だったせいかもしれません。これでもかと主役たちが難儀を受ける『おしん』のような物語だから目が離せなくなったのかもしれません。(もちろん本作は原作をうんと簡略に脚色しています。例えば主人公バルジャンは映画中では一回しか投獄されていません。)

それに加えて、役者たちが歌唱するときの非常に真剣な表情に引き込まれた面もあります。ですから途中で挫折したくてもできなかったという消極的な側面もあったかもしれませんが、良い映画の条件の一つは満たしているということでもあります。

そんなことを考えながら鑑賞していると、妻が大切なことを思い出させてくれました。それは、本作では役者がアフレコではなく演技と同時に歌っているということです。そのことは公開中に評判になっていましたよね。この真剣さが私に伝わったのかもしれません。本作の最大の意義はそこかもしれません。


演技陣は演技と歌唱を真剣かつソツもなくこなしていました。
「こなしている」とは私の場合、褒め言葉ではありません。
そんな中、指摘したいことが四点あります。これを書いて本稿を終えます。
1)ラッセル・クロウ さん、傑作『L.A.コンフィデンシャル』の時のハングリー感が少しだけ戻りました。嬉しい。歌も良かった。しかしなぜ自殺させる?ストーリーに説得力がない。
2)コゼットとマリウスはもう少し魅力的に描いて欲しかった。特にマリウス。革命に燃える若者はもう少し知的でしょう。
3)エポニーヌ役のサマンサ・バークスさん、歌声も芝居もとても良かった。心情が響いてきました。
4)贔屓役者のヘレナ・ボナム=カーターさん、軽妙なのにリアル。いつもながらほんとうにお見事です。





2012 UNIVERSAL STUDIOS. All Rights Reserved.


補足

どなたか、こういう歌をご存知ないですか。(歌詞は間違いがあると思います。)
おそらく昭和三十年代のラジオ番組(TVで言うと「みんなのうた」的な)で流れた曲ですが、とても印象に残っていますから、題名など教えてくだされば幸いです。

風吹く夜更けに一人とぼとぼ光を求めジャンバルジャンはどこへ行く ミリエル牧師に諭されて、、、

  


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2020年02月10日

『未知との遭遇』:どこが友好的やねん

データ
『未知との遭遇』
Close Encounters of the Third Kind
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:1977年
鑑賞:公開時スクリーンで、その後ビデオで鑑賞。2020年BS/CSで「ファイナルカット版」を初視聴。
監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:スティーヴン・スピルバーグ
音楽:ジョン・ウィリアムズ
俳優:リチャード・ドレイファス、テリー・ガー、メリンダ・ディロン、ケイリー・ガフィー、
   フランソワ・トリュフォー
製作国:アメリカ
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コメント、批評


雑然と書かせていただきます。

大作です。同年(1977)に公開された『スター・ウォーズ』とともに、「こんなものが見たかった」感が満載で、人類が抱くSF的宇宙の映像を確定させたエポック・メイキングな作品です。本作における異星人の船の光と音の洪水のシーンを超える「接触」は以降もありません。その部分だけを取り上げれば、☆は文句なしに10ケです。

けれど、本作には『スター・ウォーズ』のような爽快感は乏しく、結論が曖昧で、少々後味の悪さが残る”奇妙な味”小説(ロアルド・ダール,サキなど)を読んだ後のような割り切れなさが残ります。これを監督の意図したものと考えるのか否か、あるいは長所と見るか短所と見るかで本作への評価は大きく変わるでしょう。

重要な登場人物は五人。他の登場人物は付け足しに過ぎない扱いになっています。
ロイ・ニアリー(リチャード・ドレイファスさん)とその妻ロニー・ニアリー(テリー・ガーさん)。
ジリアン・ガイラー(メリンダ・ディロンさん)とその息子バリー・ガイラー(ケイリー・ガフィーさん)。
そしてクロード・ラコーム(フランソワ・トリュフォーさん)。
中でもリチャード・ドレイファスさんのさすがの演技は、取り憑かれ半ば狂っていく男の姿を熱演し、大型画面に負けない存在感を放っています。ただしすこぶるオタクっぽく、まったく爽快感がない役どころです。(爽快感が欲しいわけではありませんよ)

物語の後半で、デビルズタワー(岩山)に登ったのはロイとジリアンだけでなく、もう一人男性がいました。役名を忘れてしまうほど存在は希薄で、足を痛めて置き去りになります。彼がどういう人物なのか、UFOとどういう接触をしたのか、その描写はなく唐突に登場して消えていきます。

ニアリー家は周囲に家がない寂しい場所の一軒家ですし、母子家庭ガイラー家も孤絶した環境です。ファイナルカット版ではロイが電気技師らしいことはわかりますが、ジリアンの収入源は示さないままです。ご近所付き合いも困ったときの相談相手もなく、両家にはどうもリアリティが感じられません。

要するに本作の主役は結局のところUFOなのです。スピルバーグ監督は本作でも人間の生活や人格を描くことに興味はなく、UFOに取り憑かれた人間を描きたいだけなのです。ですからおざなりに扱われた人間たちはジオラマに刺された人形に過ぎません。最初に書いた読後感の悪さや割り切れなさは結局ここに起因しているのではありませんか。


『激突!』に驚いて以来、スティーヴン・スピルバーグさんは間違いなく才能のある映画人だと私は看ていました。そういう期待を込めて12,3作品を鑑賞しましたが、のめり込んでしまったのは初期の『激突!』と『ジョーズ』だけにとどまります。『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』や『E.T.』以降の作品はめちゃめちゃおもしろいだけの大作作品か、『シンドラーのリスト』のように使命感に燃えて製作した割に底の浅い作品としか出会えていません。そのリストの中で本作『未知との遭遇』は過渡期の性格を持っているように思います。

『激突!』と『ジョーズ』は、正体の知れない敵役と戦う物語でした。当時としてはまことに斬新な主人公の追い込まれ方を設定し、虚構の中の現実感を追求しました。ハリウッド大作的な綺麗な映像の整理整頓感はなく、荒々しい場末感が漂う佳品でした。代表的な登場人物は『ジョーズ』のクイント船長(ロバート・ショウさん)で、彼のリアルな恐怖の汗の匂いは観客に深く届きました。

本作『未知との遭遇』では、正体の知れない存在は宇宙人です。宇宙人は善でも悪でもなく、彼らの思いだけで行動しているように見えます。悪ではありませんから、主人公たちはその悪に苦しめられたあげく対決を決意し、そして勝利するなどという定型ヒーローものにはなりようがありません。そして前述のように人間はまったく描かれていません。

米軍や米政府がUFOの存在を隠匿し、その情報を独占しようとしている描写は、当時としては斬新で納得したものです。とはいえこれをしっかり批判的に描いているわけではありません。『E.T.』でもそうでしたね。


本作に関して、「初めて描かれた宇宙人との友好接触映画」という評価がよくありますが、本当に友好関係なんですか、これ。

本作において宇宙人はかつて人類を多数誘拐しました。今回”無事に”返還したようですが、その人々は浦島太郎です。とはいえ彼らはUFOという竜宮城で幸せだったのでしょうか、これから幸せは訪れるのでしょうか。あの腑抜けたような帰還・上陸シーンはどういう意図で演出されたのでしょう。

宇宙人の子供たちに選ばれたロイは満ち足りた思いだったでしょう。ですが宇宙船に乗り込んだ後、ロイは充実した人生を送れるのでしょうか。取り憑かれ洗脳されているからハッピーは続くのでしょうか。
  


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2020年02月08日

『半世界』:稲垣吾郎さんが炭を焼く

データ
『半世界』

評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2018年(製作) 2019(公開)
鑑賞:公開時にスクリーンで鑑賞。
監督:阪本順治
脚本:阪本順治
撮影:儀間眞悟
俳優:稲垣吾郎(高村紘) 長谷川博己 (沖山瑛介) 渋川清彦 (岩井光彦) 池脇千鶴 (高村初乃)
竹内都子  杉田雷麟  石橋蓮司  小野武彦
製作国:日本
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予告編より


コメント、批評

映画館で観た時には、正直なところ強い感銘は受けなかったのです。(舞台である)三重県南部の言葉遣いじゃなかったし。
ところがそれからざっと一年経って、本作の情景が時々ふっと蘇ります。その七割は稲垣吾郎さんが炭を焼いている時の表情、あとの三割は電車の中の池脇千鶴さんの表情です。ストーリーもおおむね記憶に残っています。思いの外染み込んでいるのです。というわけで、鑑賞直後に☆4〜5だった作品が今や☆6に(私の中で)格上げになりました。

鑑賞中にも思ったのですが、炭焼作業中の稲垣さんの表情が、「私が焼いてもこんな表情で作業するだろうな」と思わせました。私は木炭には全く素人ですが、ウバメガシを材料にした備長炭の本場近くに今住んでいます。炭焼きの現場も訪問しました。炭焼き作業にとても惹かれました。アマチュアの気分で炭を焼いている自分を想像しました。その想像上の自分と稲垣さんとがなんだか重なるのです。イケメン度は随分違いますが。



和歌山県田辺市にある備長炭記念公園にて


そうです、稲垣さんもアマチュアなのです。いえ、稲垣さん扮する高村紘がアマチュアなのです。父親とソリが合わなかった紘ですが、父の死後、父親への一種の意地があって炭焼きの職を継いでいます。しかし腕はまだまだで、得意先からじわじわと仕入れを断られています。アマチュアというよりまだ未熟なのです。ですがたった一人で懸命に炭と格闘しています。家事や子育ては妻に任せっきりで、息子は父親に不満がいっぱい。きっと紘と紘の父親との関係もそうだったのでしょうね。
稲垣さんはそんな紘の人間像をピタリと演じているのです。懸命だがまだ青い。。。

その妻を演じた池脇千鶴さんの現実感の表現は、いつものことですが超絶レベルです。稲垣さんも高村紘もどこか現実世界に根がおろし切れていない人柄ですが、その相棒に池脇さんを起用した阪本順治監督はさすがです。高村紘の旧友で重要人物の一人を演じた長谷川博己さんも糸の切れた凧のような空気をまとっていますから、池脇さんがいなければ、この作品自体がふわふわと虚空を漂う結果に終わっていたでしょう。池脇さんが演じた初乃は、子供や自分に心をこめてくれない夫に常に不満を抱いています。夫を求め、ようやくという夜に酔った友人が戸を叩きます(田舎あるある)。貧しくて忙しい生活に疲れ気味です。けれど不器用な(これ大抵言い訳ね)夫を助け、営業活動までします。リアルです。



予告編より


長谷川博己さんは大好きな役者ですが、稲垣さん同様器用ではありません。どんな作品に出演しても長谷川さんは長谷川さんですから。彼の演じた沖山瑛介は自衛官として中東に派遣され、過酷な現場での体験でPTSDになって帰国し、故郷の家で引きこもってしまっていました。そういう難しい役を現実感たっぷりにこなせる俳優ではありません。もう一人の旧友岩井光彦役の渋川清彦さんの好演により、二人の糸切れ凧に紐がついてはいますが。(岩井がトライアングルの要です。)

鑑賞時にはこの三人の空気感の違いがチグハグに感じて、どうも物語に引き込まれなかったのです。映画作りに時間をかけられなかったのだろうな、と思わせましたから。方言指導する暇もなく。でも今はチグハグで良かったのかと思うようになりました。それが当たり前なのだと。
池脇さんのおかげで本作をちょっぴりひいきしているのでしょうね、私。


それにしても、旧友の男三人の知性の不足にはがゆい思いが禁じ得ません。「半世界」、おまえは世界の半分しか知らないと互いを責めたり言い訳する気持ちもわからないではありません。誰だってすべてを経験できませんから。けれど、自分の日常と世界の現状とを結びつける考え方、生き方、想像力くらい、手探りでもしておいて欲しかったな。アラフォーなら。自分の力で生きているなら。自衛隊のエリートなら。
あなたは”自分側の世界”に流されているだけでしょ、と叱りたいです。そういう男たちを描いた映画ですから、この映画に映像以上の深さと広がりはないのです。高村紘さん、半世界の住人のまま死んだらあかんよ、病院くらい行っておきなさいよ、と医者嫌いの私が言うのもなんですが。
  


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2020年02月02日

『コミック雑誌なんかいらない!』 I Can't Speak Fucking Japanese.

データ
『コミック雑誌なんかいらない!』

評価:☆☆☆☆☆☆☆・・・
年度:1986年
鑑賞:2019年BS/CSで視聴。
監督:滝田洋二郎
脚本:内田裕也 高木功
音楽:大野克夫
俳優:内田裕也(キナメリ) 渡辺えり子(その妻) 麻生祐未(少女)原田芳雄 小松方正 殿山泰司 
   常田富士男 ビートたけし スティービー原田 郷ひろみ 片岡鶴太郎 港雄一 久保新二 桑名正博
  安岡力也 篠原勝之 村上里佳子 小田かおる 志水季里子 片桐はいり 橘雪子 趙方豪 三浦和義
  逸見政孝 横澤彪 下元史朗 伏見直樹とジゴロ特攻隊 螢雪次朗 ルパン鈴木 池島ゆたか 藤井智憲
  真堂ありさ しのざきさとみ 清水宏 長友啓典 川村光生 叶岡正胤 斉藤博 新井義春 桃井かおり
  おニャン子クラブ
製作国:日本
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予告編より


コメント

データを読むと、本作の上映時間は124分。そんなにあったかな、と思う。それほど面白い。
梨元勝さんをモデルにした芸能レポーターキナメリ(木滑、内田裕也さん)の取材活動を通じて”マス・メディア”の愚劣さを暴き出す。
若い時からどことなく丸みを帯びた印象だった実在の梨元さん(故人)と比べ、オルファカッターの刃のような風貌のキナメリが有名人に取材を挑む姿にはどことなく血の匂いがする。内田裕也さんが企画し、脚本も手がけたという本作に込められた熱意がその匂いを後押しして私たち観客も前のめりになっていく。裕也さんの無神経・無遠慮な気合いは本気だから、ロス疑惑の三浦和義さん(本人)もメディア批判に熱が入る。

三浦さんや桃井かおりさん、おニャン子クラブは本人役で登場し、取材を受ける。郷ひろみさんが売れっ子ホストに、片岡鶴太郎さんが二流ホストに扮する。桑名正博さんや安岡力也さんはロックミュージシャンとして出演し、彼らに激しい薬物批判をしたキナメリ(内田裕也さん)に脅しをかける。・・・詳しくは書きませんが、実に皮肉の効いた配役たちで、芸能ゴシップに弱い私でも興味がつきません。


取材する側だったキナメリが取材される側になった事件は、豊田商事社長殺害事件がモデル。ご存知ない方はぜひ調べてください。

庶民から1千億以上だまし取ったこの社長、殺害された時点の持ち金は数百円だったとか。とするなら巨額のカネがどこかに流れていたと考えるのが妥当。社長がいよいよ逮捕かというその日、なぜか警察より前にメディアと男二人が社長宅前に押し寄せていた。男二人は窓を破壊して部屋に乱入し。メディア陣の目と鼻の先で社長を殺害し、そのあと俺が刺したと誇らしげにテレビカメラに映った。これは実話。もう一度常識的に考えれば、巨額のカネの流出先の人物(たち)がこの男二人を雇ったと考えるべき。社長が逮捕されて事情を自白することを恐れたのだろう。

本作で殺害犯の男二人を演じたのはビートたけしさんとスティービー原田さん。
たけしさんのなりきりは凄まじい。血塗られた銃剣を持ち、メディアのカメラに向かって誇って見せたあの表情はちょっとやそっとの役者には真似ができまい。

キナメリも刺されてしまった。傍観するメディアを尻目に、犯行現場に入ったからだ。
血塗れで外に出た彼は取材に合う。人が殺される、殺されたというリアルこの上ない現場で、それを無視して彼に対して執拗に発言を促す報道陣に彼はこういう。「 I Can't Speak Fucking Japanese. 」意訳すれば、このクソ日本人!だよね。

ブラウン管、いや液晶の外のあなたはクソ日本人ですか?
一言お願いします。恐縮です。



予告編より


  


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2020年01月30日

『ゴーン・ガール』:Just don’t piss her off.

データ
『ゴーン・ガール』

評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2014年
鑑賞:ビデオ、DVDで鑑賞。2020年BS/CSで再視聴。
監督:デヴィッド・フィンチャー
原作・脚本:ギリアン・フリン
俳優:ベン・アフレック(ニック)ロザムンド・パイク(アミー)キャリー・クーン(マーゴ、ニックの妹)
   ニール・パトリック・ハリス(デジー) タイラー・ペリー(ボルト弁護士) ローラ・カーク(グレタ)
   キム・ディケンス(ボニー刑事)ケイシー・ウィルソン(ノエル・ホーソーン、近所の母親)
   エミリー・ラタコウスキー(アンディ、ニックの浮気相手)
製作国:アメリカ
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予告編より



予告編より


コメント

詳しいストーリーは省略しますが、要するにクズ男とタフ女夫婦のお話、と言い切ってしまうと身も蓋もなくなりますか。
タフ女の方は対応力抜群(by 妻)で、計画がうまくいかなくなっても臨機応変乗り切っていきます。たとえ人を殺しても。
Just don’t piss her off.彼女を怒らすとヤバイぞ。

次のシーンがどうなるかがとても気になる映画です。おまけに観客の感情移入の相手が二転三転する”揺れる”感覚を楽しむことができます。
そんなんありか?という突っ込みどころもあるのですが、総じて作品にのめり込むことができる娯楽作品です。

タフ女を演じるロザムンド・パイクさんの体当たり感がいいですし、ニックの双子の妹役のキャリー・クーンさん、ボニー刑事役のキム・ディケンスさんたち女性陣の存在感が重しとなっていました。

ただ、なんと言いますか、アメリカの連続TVドラマを見ているようなどこかチープなまとまりを感じ、私の中に傷を残す爪が見当たりません。どこか観光地の土産物屋で、目新しい図柄に惹かれて買ったものの、家に持ち帰ってみるともう一つで、食器棚の奥にしまって使わなくなってしまう湯呑みのような印象でした。

その原因は、ストーリー、演出、演技、映像などすべてに少しずつあるように思います。切実さがないのです。
結末がもっとももの足りません。「これが結婚よ」という一種の妥協で幕を閉じるのです。
家族とはそれぞれが役割を演じているだけだとするクール?な分析に、今更ながらゾッとするようなナイーブさを持つ人はどのくらいいるのでしょう。仮に結婚に夢や理想を詰め込んでいる人が多いのだとしても、本作を製作したアメリカやフランスなど欧州、そして日本でも、そのような分析で描いた映画はすでに数限りなくあったのではありませんか?一例を挙げればスタンリー・キューブリック監督は1999年に『アイズ ワイド シャット』 で夫婦という関係の空虚さに大鉈をふるっています。フィンチャー監督がいま本作を世に問う意義はありません。本作は先が読めない娯楽作品として楽しめば良いので、そういう娯楽作品としての出来栄えは中程度かな、と思っているのです。


  


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2020年01月28日

『ザ・マミー』:ダーク・ファンタジーの佳作

データ
『ザ・マミー』
vuelven(彼らは戻ってくる、やってくる:スペイン語) Tiger are not afraid(虎は恐れない:英題)
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2017年
鑑賞:2020年BS/CSで視聴。
監督:イッサ・ロペス
俳優:パオラ・ララ(エストレア)ファン・ラモン・ロペス(シャイネ) イアニス・ゲレロ(カコ)
ロドリゴ・コルテス アンセル・カシャーリス ネリ・アレドント  テノッチ・ウエルタ・メヒア(チノ)
製作国:メキシコ
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予告編より



ポスター


コメント、批評

最初に苦言を呈しておきます。
本作を配給したAMGエンタテインメントという企業は知りませんが、上記ポスターの「世界を震撼させた、本物の恐怖」という文言はミスリードもいいところです。せっかくの映画の特徴が台無しですし、本作を観に来てもらいたい客層は映画館に足を運ばなくなるでしょう。

確かにホラーの手法と味付けを加えてはいるものの、これはダークファンタジーの佳品です。ギレルモ・デル・トロさんの傑作『パンズ・ラビリンス』のスケールを小さくし、そのかわり現代メキシコの少年少女に降りかかる社会的災厄を作品の背景にしています。

社会的災厄とはなんでしょう。21世紀のメキシコが抱える最大の病理は麻薬戦争です。コロンビアの麻薬組織(カルテル)が壊滅に追い込まれたのは良いとして、世界の麻薬業界にとって一番の上得意アメリカ合衆国民の麻薬需要が減ることはありません。ですからコロンビアの機能をメキシコが引き継いだのです。そのメキシコ麻薬組織を撲滅しようとしたカルデロン政権(2006~2012)との間で麻薬戦争が勃発した、とラフスケッチできます。

私自身メキシコの麻薬戦争について痒いところに手が届かない状態のまま実感が持てずにいますから、付け焼刃の知識をここで書くのは控えておきます。インターネット上で私が見つけた中でもっともわかりやすい解説は、wikipedia「メキシコ麻薬戦争」および以下の二文です。
「犯された女の子供たち」 メキシコ麻薬カルテルが残虐な理由 藤原章生 (毎日新聞記者) :WEDGE infinity
『メキシコ麻薬戦争』 ゴッドファーザーよりヤバイ現実
:gendai ismedia

ただこれらの記事の中で見つけた三つの例だけを紹介しておきます。
・メキシコのある農民は、ケシの栽培を拒否したので殺害された。
・街ぐるみで消えたところがある。
・麻薬組織の殺害方法は非常に残忍である。

この三つを選んだのは、本作の内容に説得力を持たせるだろうと考えたからです。本作中でも一般人の大量殺人があった(描写はほぼゼロ)のですが、日本列島に住んでいるとこれもまたファンタジーのように受け止められるかもしれません。しかしどうやらメキシコでは麻薬組織は邪魔になった人々を簡単に、しかも残酷に殺害することが珍しくないようです。とても些細なことで彼らの邪魔になってしまうことがありうるという意味です。本作の背後には深刻なリアリティが存在するのです。そして、日本円にしてわずか1万円にも満たない金額で殺人を請け負う子供たちがたくさんいることもまた上記から得た知識でした。凄まじい格差社会が生まれています。日本もまもなく追いつきますが。

これらの予備知識だけは持って本作をご鑑賞くださればと思います。


本作の主演の少年少女は素晴らしい好演でした。特に眼差しの強さはとても演技とは思えません。
彼らをはじめとするストリートチルドレンの動きが映像の中心です。大人が登場する場面が少なく、しかもその大人のほとんどが極悪人です。そういう点でもメキシコの現状を反映しているダークファンタジーと言えるでしょう。映画配給会社のお粗末な宣伝に騙されず、よろしければ一度ご鑑賞ください。

ストーリーはシンプルです。母が行方不明になった少女エストレアが、ストリートチルドレンに寄るべを求め、母の幽霊に怯えながらも真相を突き止め、たくましくなっていくお話です。なにも忘れずなにも怖れない虎がストリートの少年少女たちの憧れであり目標なのですが、ついにエストレアは虎になったのでした。
惜しいのは、エストレア役の少女の目ぢからが強いため、冒頭でひとりぼっちになったときの頼りなさが十分表現できていないこと。そのためたくましくなった彼女との差がやや曖昧になってしまったことでしょう。とはいえそれはストーリーで補えますので、子役の限界だとして鷹揚に観ればよろしかろうと思います。



予告編より

  


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2020年01月24日

『Love Letter』:お元気ですか〜〜

データ
『Love Letter』

評価:☆☆☆☆☆☆☆☆・・
年度:1995年
鑑賞:ビデオ、DVDで鑑賞。2020年BS/CSで再視聴。
監督:岩井俊二
撮影:篠田昇
俳優:中山美穂 豊川悦司 酒井美紀 柏原崇 范文雀 篠原勝之 加賀まりこ 鈴木蘭々
   中村久美 塩見三省 鈴木慶一 田口トモロヲ 光石研      
製作国:日本
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批評

『ラストレター』を観ました。この新作について、岩井俊二監督の大ファンの妻は的確にもこう言いました。
静かで詩情に溢れた再生もしくはケリつけの物語。油断してると抉ってくるけど、美化された中二病いや高三病的な世界観に包まれるのが心地よい。

『ラストレター』鑑賞の前の”予習”のため、録画しておいた本作『Love Letter』を再鑑賞しました。25年前に作られた本作に対しても妻の指摘がそのまま当てはまることに驚きました。両作品の主役たちはケリをつけて再生できたかもしれませんが、岩井監督は今までもこれからもケリがつけられないのだなと思いました。美しくも執拗にこの主題は繰り返されていくのでしょう。

そもそも本作のような分野の作品は私には苦手です。私自身、中二病的な心は払拭できていませんが、中学や高校時代の自分はとても醜悪だったと感じることが多いので、あまり自分の昔を振り返りたくないからです。おまけに岩井監督のこの両作品は”今も断ち切り難い思慕の記憶”を扱っていますから、そういう経験に乏しい私には単なる恋愛ものに映るのです。私は他人の恋愛話には関心がありません。

ところが、本作は私の心を打つのです。

両作品ともなまじな生活臭の一切を削ぎ落とし、純粋化されます。現在や保存された記憶の回想シーンからは、印象派の名画を見るような、具象画でありながら抽象化された美しさをただ感じるからだと思います。只管に私的を貫けばかえって一般的になるのでしょう。そこが岩井監督作品の魅力の秘密だと思っています。

一つ具体例を挙げます。
本作の主役中山美穂さん演じる渡辺博子、藤井樹の二人の女性は食事をしません。いえ食事シーンは少しばかりあるのですが、彼女が美味しそうに食べ物を頬張る映像はありません。生々しい場面がないのです。服を着替えるシーンや入浴シーンはなく、小樽の藤井樹など熱が続いているのに髪も体も垢じみずまた臭そうでもありません。痒くてポリポリ、などもないのです。いえそういう中山美穂さんが唯一服を脱ぐシーンがあります。コート一枚だけなのですが、終盤のあの雪山に叫ぶシーンの直前、転んで雪のついたコートを脱いでセーター一枚になって「お元気ですか〜」と叫びます。過去からの束縛にケリをつけたいとする彼女の心情をコート一枚で表現するのです。抑制に抑制を重ねた上でのずるいほど美しい象徴化です。

対して現実からの生々しさは、関西弁を話しやや強引なアプローチを重ねる秋葉茂(豊川悦司さん)が象徴します。とはいえその生々しさはきわめて節度が保たれたものですので、ほぼ生身の男は感じないのです。現実の男そのものではなく、博子がこちらに戻る時をゆっくり温かく待っている現実、の象徴なのでしょう。

もう一つ具体例を挙げます。これは妻の指摘です。
神戸の渡辺博子の家族模様が描かれないだけでなく、彼女はどんな仕事をしているのか(していないのか)についての描写がありません。主人公なのに日常の姿がほとんど描かれないのです。まるで幽霊のようです。これも現実の生々しさを避ける狙いなんでしょうね。


純化・美化をこれだけ徹底されたら、好きなジャンルでなくても好きになるしかないじゃないですか。ええ、素晴らしい作品です。傑作です。







コメント

再鑑賞して、神戸の「コム・シノワ」※のケーキや摩耶山の「掬星台(きくせいだい)」※というご当地話題が出てきたことに初めて気がつきました。両方ともにおなじみだった私は嬉しくなりました。

※現在は「ブーランジェリー コム・シノワ」でおいしいケーキをいただくことができます。
※神戸の夜景ポイントの三本の指に入るだろう摩耶山の掬星台には、ケーブル・ロープウェイを乗り継いでいくことができます。



近いうちに『ラストレター』を書くつもりです。そこでは両作の簡単な比較ができればいいと考えています。
その準備として、ここでは、本作における”ラブレター”は何種類登場するのか、妻と合議(笑)のうえ一致した結論を書いておきます。

紙に書いたラブレターは、中山美穂さんどうし、つまり渡辺博子と藤井樹(女性)との往復書簡だけです。そもそも博子が故人藤井樹(男性)の小樽時代の住所に手紙を書いたところ、藤井樹の名で返事が来たところから物語が動いたのでした。秋葉茂は「天国から(ラブレター)?」と驚きましたね。
でもそれ以外にも、たとえば高校時代の藤井樹(柏原崇さん)が、学校の図書室の蔵書の中でまだ誰も借り出したことのない本を次々と借り、その白紙の貸し出しカード(現代には使われません)のTOPに藤井樹と記入し続けたのですが、この藤井樹という名は女性の藤井樹のことだったのでしょう。同姓同名をからかわれ続けた二人は、相手のことを好きだと言うわけにもいかなくなり、彼はその思いをこのカードで表現していたということです。”letter”の意味は本来”文字”ですから、これも立派なラブレターというわけです。さらに転校の時には、最後に借りたプルーストの「失われし時を求めて」※の貸し出しカードの裏に、彼女藤井樹のみごとな似顔絵を描いたのでした。これも絵で描いたラブレターです。
そして最後のラブレターは、男性の藤井樹が遭難した山に向かって(付き合っていた)渡辺博子が「お元気ですか〜」と叫ぶ有名なセリフ、、これはカジュアルな手紙の書き出しの常套句ですから、これもまたラブレター。声に出したラブレターなのです。

※「失われし(失われた)時を求めて」は20世紀の小説界を劇的に変貌させたプルーストの小説です。「長いあいだ、私は夜早く床に就くのだった。」から始まるこの小説の内容のほぼ全てが自らの回想です。長いうえに難解なので私は通して読めていませんが、要するに自分(と自分に関わる多くの他者や時代)の過去の記憶を辿ることが小説になるのだと気づかせてくれる一人称の書物です。このタイトルだけでも、本作にふさわしい書物と言えましょう。


  


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2020年01月22日

『ハード・コア』:おもしろいけれど

データ
『ハード・コア』

評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2018年
鑑賞:2020年BS/CSで視聴。
監督:山下敦弘
原作:狩撫麻礼、いましろたかし『ハード・コア―平成地獄ブラザーズ』(エンターブレイン)
脚本:向井康介
音楽:Ovall
主題歌:Ovallfeat.Gotch:(『なだらかな夜』(origami PRODUCTION))
俳優:山田孝之 荒川良々 佐藤健 石橋けい 首くくり栲象 康すおん 松たか子  
製作国:日本
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公式サイトより


コメント、批評

山下敦弘監督とは長い付き合いになりました。
『リアリズムの宿』(2003)『リンダ リンダ リンダ』(2005)『松ヶ根乱射事件』(2007)『ユメ十夜「第八夜」』(2007)『天然コケッコー』(2007)『苦役列車』(2012)『味園ユニバース』(2015)『オーバー・フェンス』(2016)『ハード・コア』(2018)と9本を鑑賞しましたから、私にしてはかなりヘビロテの監督でもあります。しかもそのうち多くはスクリーンで鑑賞したのですから、私が好きな映画を撮る監督、ということになります。本作はスクリーンで観る機会がありませんでしたが、TV鑑賞を楽しみにしていました。

設定はざっとこんな感じです。
バブル崩壊後の日本で生きる一人の若者権藤右近(山田孝之さん)が主人公です。右近は大変不器用な男で、自分の信念を曲げることができません。つまり自分を変えない、言い換えれば成長もしない性格です。相手が許せないとなるとすぐにぶん殴ります。議論して論破する発想はないようです。
彼は心を壊してしまった元優等生の牛山(荒川良々さん)と共に小さな右翼団体の一員として、国家主義的宣伝活動の傍ら埋蔵金探しを手伝わされています。つまり地下にトンネルを掘り進めています。
右近には左近という弟(佐藤健さん)がいます。右近と違ってシュッとした好青年(に見える)の弟は商事会社に勤務して業績を上げています。兄弟の仲は悪いわけではないのですが、現実社会はクソだけれど生きていくためには妥協も必要だと言う左近を殴りつける右近でした。

・・・いやいや、こういう書き方だと暗くて真面目な青春映画かプロパガンダ映画みたいですね。いえいえこれはコメディーなのです。特に右近は、大言壮語する右翼団体の親玉(首くくり栲象さん)やその手下で建前ばかりの水沼(康すおんさん) の命令に唯々諾々と従い、馬鹿正直に埋蔵金探しの重労働をする右近は、その生き様だけでコメディーの主役でしょう。
またロボットのロボオのとぼけた風体がとても良い。昭和のポンコツロボットのような外見ですが、そのAIはまだ誰も実用化していないはずの最新技術だそうで、二度にわたって右近や牛山を助けます。もちろん荒唐無稽の物語です。漫画です。

原作は狩撫麻礼作+いましろたかし作画の漫画『ハード・コア―平成地獄ブラザーズ』。未見ですが、右近・左近・牛山・ロボオはみごとにその劇画そっくりにスタイリングされているようです。

そう、みごとなのです。監督山下敦弘さんは20年前に、山田孝之さんは10年前に原作漫画にはまり、互いに意気投合して本作を作り上げたとか。その情熱がそもそもコメディーのようです。製作・俳優陣の熱意が作り上げたので、きっと原作漫画の空気感を再現しているのでしょう。

そしてそこが本作の限界でもあります。
なぜか。
一言申せば、熱意のあまり観客に想像もさせないツルッとした輪郭の映画を作ってしまったので、トゲやらギザギザやらで私の内部を何も引っ掻かないのです。ラストシーンは原作とは違うややハッピーエンドのものだそうですが、そのことがさらにツルッと平滑な印象の映画になってしまったのではないでしょうか。

とてもおもしろいです。見ている間は☆7級の引き込まれ方をしました。
役者たちも適役であることに加えて好演です。
しかし見終わって何週間か経つ今は、ほとんど何も思い出さないのはそういう理由だと思います。
  


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2020年01月18日

『贅沢な骨』:嫌いじゃない

データ
『贅沢な骨』

評価:☆☆☆☆・・・・・・
年度:2001年
鑑賞:2020年BS/CSで視聴。
監督:行定勲
俳優:麻生久美子 永瀬正敏 つぐみ 田中哲司 渡辺真起子 光石研  津田寛治
製作国:日本
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コメント

行定監督を世に知らしめた快作『GO』の約二か月前に公開された作品です。
原作漫画のある『GO』に対して本作に原作はなく、監督が益子昌一さんと共同で脚本を書いています。

同居し互いに思い合う孤独な女性二人が、ある男性の登場で嫉妬や疎外感を感じるようになる。でも結局は彼を触媒にしてカップルになる。・・・

タイトル『贅沢な骨』が醸す期待感とは裏腹に、学生の自主制作映画(by 妻)のような印象が残る作品でした。
行定勲さんの監督三作目ということですが、作り手の思いが前に出過ぎて、まだまだ観客との距離感がつかめていない、あるいは観客がどう見るかという視点が弱かったように思います。

一つだけその具体例を挙げます。ミヤコ(麻生久美子さん)はサキコ(つぐみさん)と同居しています。同居の経緯はわかりません。ミヤコはホテトル嬢として得た収入で二人の生活費を稼いでいます。サキコは自分も働くというのですが、ミヤコは認めません。自分は不感症だからこういう仕事をしても苦にならないのだと言い、サキコを「家」に置きたがります。ミヤコはそれほどサキコを「大切に」思っているようです。ホテトル嬢の仕事に行くときには「行ってきます」「行ってらっしゃい」、帰ったときには「ただいま」「お帰りなさい」。そういう夫婦のような会話に心が安らぐようです。まるで昭和の夫ですね。そうそう、サキコに似合いそうだと思う(もらった本人は嫌がる)服や靴を買ってきたりします。これも昭和のお父さんの土産かプレゼントを思い起こさせます。

以上は映画の冒頭部でだいたい表現されます。ミヤコのサキコに対する表情や行為から、てっきり二人はすでに女性同士のカップルなのだろうと看てとってしまいました。多くの観客もそう思ったことでしょう。ところが実は二人はカップルではないのです。終盤にミヤコがサキコに好きだと告げて(カミングアウトして)ようやく二人は愛し合うことになります。これって、おいおい二人とも早く自分と相手の本心に気付けよ、というめぞん一刻パターン(古い?)の映画なのですか?違いますよね。


他にも、ナレーションの過剰使用・ちょっと恥ずかしい陳腐なセリフ・センスを出したつもりの無駄なシーン・説明不足・逆に重複・・せっかくリリカルな映像(by 妻)なのに何かと残念な作品ではあります。


それなのに、見ている時も見終わった今も、本作に対してけっこう好意的な自分がいます。それはあの傑作『リバーズ・エッジ』を作った行定勲監督へのエコ贔屓ではありません。おそらく麻生久美子さん(当時22,3歳)と永瀬正敏さんという二人のスキルが優れていたからです。麻生さんは同性へのジェラシーや初めての性の喜びを観客に明確に伝えます。金魚のように口をパクパクして呼吸する様子も自然です。永瀬さんは「君は汚れてなんかいない。きれいだ。」などという”やめてくれ〜”なセリフを私が納得寸前のところまで持っていきました(笑)。つぐみさんも熱演です。この三人の力でなんとかかんとか映画を維持したのです。うぶすぎる監督の脚本を現実の地面にわずかに着地してあげたのです。ま、それも監督の演出の腕だと言えばそうかもしれませんが。


結論として、特にこの三人のファンでない限り観る必要はないでしょう。
私は麻生さんや永瀬さんが好きなので105分を後悔していないですよ。

蛇足ですが、若い田中哲司さんが、キモいホテトル客を演じています。ミヤコの最後の客にもなりました。でもまだキモさは彼の素質から見れば今一歩です。
また、つぐみさんがいわゆる”脱ぎ要員”として奮闘していてチャーミングですが、ホテトル嬢の麻生久美子さんは背中しか見せません。こういうところは好きじゃないです。麻生さん側にオトナの事情があるならつぐみさんも脱がさなくていいと思うのです。不自然です。
  


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2020年01月16日

『用心棒』:文句なしの分厚い娯楽作品

データ
『用心棒』

評価:☆☆☆☆☆☆☆☆☆・
年度:1961年
鑑賞:封切り時?スクリーンで、その後何度も鑑賞。2020年BS/CSで再視聴。
監督:黒澤明
脚本:菊島隆三、黒澤明
音楽:佐藤勝
撮影:宮川一夫
美術:村木与四郎
殺陣:久世龍
俳優:三船敏郎 仲代達矢 山田五十鈴 東野英治郎 志村喬 加東大介 山茶花究
製作国:日本
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FILM struckより


コメント

脚本
演出
演技
撮影
BGM
美術
殺陣・・

娯楽としてこれ以上の映像作品を私は知りません。

何度も何度も本作を観た私でも鑑賞のつど新しい発見があり、「最高」の輪郭線がふくらむのです。
いや、参りますよ。

そういう作品ですから、正面からの批評もコメントも勘弁していただいた上で、今回の鑑賞で思いついたことを少しばかり批評欄に書かせていただきます。いきおい断片的な文章になりますのでお許しください。




FILM struckより


批評

・桑畑三十郎という名前について
主人公が名を問われ、窓外に広がる桑畑を見やって悠然と偽名を名乗ったわけですが、現在の観客に桑畑を認知してもらうのはほぼ無理でしょう。江戸時代末から日本の養蚕(ようさん)技術は急激に向上して中国産と肩を並べ、蚕(かいこ)の繭(まゆ)から作る生糸(きいと)は明治以降の日本の最大の輸出品になりました。蚕を養殖するには大量の桑の葉を用意しなければなりません。ですから養蚕をしている農家の畑にはたくさんの桑の木(マルベリー)が植えられていたのです。桑の木は落葉樹ですから、冬の畑に枝だけになった木が見渡す限りずらりと並んでいれば、それは間違いなく桑畑だと言えたのです。(カキやブドウ・リンゴの大面積栽培はもっとずっと後です)本作の製作年度は1961年。日本が敗戦した1945年まで養蚕は盛んでしたから、当時の多くの観客にとって冬の桑畑の風景は馴染みのものでした。アップ映像がなくてもわかるのです。とはいえ、本作の桑畑はどうやってセットの近くに用意できたのでしょうか。どなたか教えてください。なお、導入部での農家の夫婦の発言や街の飯屋の権爺のセリフから、何度も「絹問屋」「絹市」などの言葉が発せられていますから、絹=養蚕=桑の木という連想は(知識さえあれば)可能ではあります。

参考写真冬の桑畑「伊藤健史さんのブログ」をご覧ください。


・主人公(桑畑三十郎、三船敏郎さん)の動機について
数ある映画サイトに設けられた鑑賞者のレビューをよく読むようになったのは最近です。中には大変優れた着想もあって勉強になりますし、特に本作のように古い作品の場合、若い読者は何がどこがわかりにくかったのかを知ることが参考になります。本作のレビューの中に「三十郎の動機がわからない」という意味の感想が複数あって驚きました。若い読者にとって白黒映像の本作は古典的芸術作品なのでしょうか。いえ、本作は正義のヒーロー物の娯楽作品なのですよ、と言ってあげたくなりました。三十郎はヒーローですから、暴力に打ちひしがれていたり貧乏に喘いでいる者たちを見過ごしにはできないのです。もちろん食いつめ浪人ではあるのですが。


・本作はハードボイルドなのか
本作がダシール・ハメットさんの小説『血の収穫』(1929)を下敷きにしていることはよく知られています。この小説はいわゆるハードボイルド小説の嚆矢(こうし、はじまり)とされています。ずいぶん前に私も読みましたが、主人公の策動により、陰惨な抗争の続くアメリカの鉱山街に死体の山が築かれ、ついに静穏が訪れるという構造は本作とまったく同じです。『用心棒』は日本最初のハードボイルド映画と言えます。ただ、『血の収穫』の主人公「俺」の行動は情け容赦がなくハードボイルドそのものでしたが、本作の主人公三十郎には時折やや湿った人情が感じられます。そもそもの発端は水をもらった農家の親父(寄山弘さん)が、宿場で博打うちになると出て行ったせがれへの腹いせに、「血の匂いをかいで飢えた獣が集まってきやがる」と三十郎に汚い言葉を吐きつけます。この言葉に三十郎が頬を引きつらせたシーンから物語は始まるのです。ラスト近く三十郎はこのせがれ(夏木陽介さん)の命を助け、怒鳴りつけて家に帰します。また、物語の中軸では引き裂かれた百姓家族(土屋嘉男さん、司葉子さんら)を助けて逃してやり、その結果自らの命を危うくするという(ハードボイルド主人公としては)情けに溺れる行動が描かれます。権爺(東野英治郎さん)を助けるための決闘も同様です。非情な主人公にはなり切れないのです。これは黒澤+菊島コンビの(好ましい)限界を表しているのでしょうか。あるいは人情に溺れやすい日本人観客へのサービスでしょうか。

・本作は何時代のお話?
八洲まわりの役人が登場しますから、江戸時代だと断定できます。泣く子も黙る八洲まわりについて詳しく知りたい方は下記サイトやwikiを。
八洲まわり



FILM struckより


・キャストの存在感や映像・音楽について
黒澤明監督と組んだときの三船敏郎さんは偉大なスターです。その存在感、所作、的確な表情など申し分なく、特に本作のような娯楽作品では実にかっこいいスターです。本作でもスタートしてすぐ彼の後姿が映るだけで、映像と音楽との相乗効果もあって、ワクワクが止まりません。これは何度見てもそうなのです。実に得難い俳優だと言えましょう。
ところが、見終わったときやその後何ヶ月も後に私の中で印象に残る絵や音は、三船さんの姿だけではないのです。野良犬が手首をくわえて走る時のコミカルな音楽、権爺が括られぶら下げられている時の顔(冒頭の写真)、なかなか死なない卯之助(仲代達矢さん)の末期の行動、同じく卯之助の登場のシーンで半鐘を見上げる映像、巨人の用心棒かんぬき(羅生門綱五郎さん、台湾人です。知ってました?)の頭上から撮った三十郎を見るアングル、名主多左衛門(藤原釜足さん)の狂乱、引き裂かれた百姓家族が抱き合う時の効果音、亥之吉(加東大介さん)の睨み、そして極め付けは清兵衛の女房おりん(山田五十鈴さん)が「女に不自由してんだろ」と勝ち誇ったように三十郎を見上げる顔とその背後の宿場女郎たちの気が乗らない嬌態・・・名場面にキリがありません。
本作が単なるよくできた娯楽作品にとどまらない地位を占めているのは、脇のキャストたちのキャラ立つ本気も本気の名演技と、撮影の芸術性、情感に訴える音楽などの力でなのです。正義のヒーローと、せいぜい悪役くらいが目立つ凡百のヒーローものとの決定的な違いはここにあります。オマージュ作品『荒野の用心棒』との差もここだと思っています。
とは言え、個性と存在感が溢れる濃い脇役陣や音楽、映像にまったく腰折れず負けない三船敏郎さんの存在感はやはり大したものだと思わずにはいられないのです。



FILM struckより
  


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2020年01月14日

『女囚701号さそり』:こんな映画やったんや

データ
『女囚701号さそり』

評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:1972年
鑑賞:2020年BS/CSで視聴。
監督:伊藤俊也
原作:篠原とおる(劇画「さそり」)
俳優:梶芽衣子(松島ナミ) 扇ひろ子 渡辺やよい 横山リエ 三原葉子 
   夏八木勲 渡辺文雄 室田日出男 沼田曜一
製作国:日本
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予告編より(東映)


コメント、批評

こんなはっちゃけた映画だとは思わなかった、と妻。
前衛的な、あるいはカルト的な、と驚く私。
任侠映画チックな作品だろうと長い間思い込んでいた私は馬鹿。

回想のレイプ場面がガラスの床の上、そして芝居の回転大道具のように回ってコンパクトに状況説明。書き割りの夕映に稲光。ガラスが右目に刺さっても痛がらず犯人の首を締める刑務所所長。ホラー映画のような形相の女囚。かっこ良すぎる主人公のファッション。

確かに女性の裸身は次々と登場するし、男たちはすぐに女性の衣服を脱がす。
とても凌辱的でとても下品な連中ばかり。

ところが本作のその裏側にはしたたかな企みが隠されている。
1972年、女たちがようやくNOを言えるようになったその頃、長年の男どもの暴虐への女の反乱が始まる。
その先駆者への賛美。
そしてその暴虐の背後にある日本という国家のしくみを透けて見せる。
君が代と日の丸に始まり、日の丸に投げつけられたナイフで終わるのはよもや偶然ではなかろう。

梶芽衣子さんの存在感が素晴らしい。
松島ナミの行動は復讐を超えて独り立ちの孤狼のおもむき。

他の出演者も皆熱演だが、特に悪役片桐役の横山リエさんの演技が光る。
星は6個だが映画好きには必見の作品。
タランティーノさんが影響を受けた作品(→『キル・ビル』だけのことはある。
園子温さんがオマージュする作品(→『愛のむきだし』だけのことはある。



予告編より(東映)



篠原とおるさんの漫画は、本作の原作「さそり」と後年の「0課の女」は少なくとも読んでいます。女性が主人公としてヒーロー的に活躍するアクション漫画は彼から始まると言って良い重要な漫画家です。本作と違って過剰な流血・過剰な性描写は(初期を除いて)少ないです。セクシーではありますが。

批評  


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2020年01月12日

『死国』:伝奇譚が恋愛譚にシフトダウンする肩すかし

データ
『死国』

評価:☆☆☆☆・・・・・・
年度:1999年
鑑賞:2020年BS/CSで視聴。
監督:長崎俊一
原作:坂東眞砂子
撮影:篠田昇
主題歌:米良美一「ぼくは雨となり星となる」
俳優:夏川結衣 筒井道隆 栗山千明 根岸季衣 佐藤允 大杉漣 諏訪太朗 大寶智子
製作国:日本
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『死国』製作委員会:栗山千明さんは当時15歳。もちろん演技はまだまだですが、ラストで文也に抱かれたときの幸せな表情にはハッとさせる情感がありました。


コメント

日本の伝奇ホラーの王道をいく前半は期待値が高まります。

小学生の時に都会に転居して以来、久しぶりに閉鎖的な四国の山村に戻って来た明神比奈子(夏川結衣さん)。当時の友人日浦莎代里(栗山千明さん)が高校生の時に死んでいたことを初めて知る。その友人はその母の口寄せ術で尸童、依童(よりまし、よりわらわ)を務めていた。つまり客の祖先や死んだ家族の霊が憑依する女の子だったのだ。彼女の死因も表向きは事故死だが、実は呼び寄せた悪霊に取り憑かれて死んだという。小学生の頃祈祷の現場を目撃してしまった比奈子は莎代里から固く口止めされた過去がある・・

土俗的な雰囲気やじっとりした湿気が十分感じられます。美しい映像とは思いませんが不安を煽るカメラワークも良いと思いました。石仏の頭が破壊され、その先に日浦家にゆかりの怪しい土地への入り口が。上手にゾクゾクさせます。また、ある少年の死んだ祖父の姿がぼんやりと現れるシーンも好きです。後半に大破局、つまり死者たちの復活が訪れる予兆に違いないと思うからです。



霊峰石鎚山は西日本の最高峰:wikipediaより



ところが、後半は恋愛=三角関係話になります。小学生の時に比奈子、莎代里といつも行動をともにしていた秋沢文也(筒井道隆さん)は高校時代に莎代里と付き合っていました。しかしその莎代里は死に、比奈子が都会から戻って来ます。文也と比奈子の心が通いはじめます。そして結ばれます。一方、四国八十八箇所の逆打ち(さかうち。劇中ではぎゃくうち)を繰り返すことで莎代里の復活を願う莎代里の母日浦照子(根岸季衣さん)が重要な役割を担います。ついにその願いが実を結び、俗世に未練を残す亡者どもがうじゃうじゃと復活・・・と思ったら、蘇ったのは莎代里だけ。彼女は文也に強い未練がありました。邪魔になる比奈子は莎代里によってあわや、と思わせておいて、文也は莎代里を抱きしめ、ともに死にます。比奈子は成仏した人々が登るという霊峰石鎚山を眺めて感慨にふけるのでした・・肩すかしの後半でした。

文也はなぜ莎代里を抱きしめ、死んでいったのでしょう。私は最初、比奈子よりも莎代里を選んだという可能性に傾きましたが、エンディングで流れる米良美一さんの美しい歌声を聴いて、もう一つの解釈の方が正しかったのだと思い直しました。つまり、比奈子を生かすために自分が犠牲になったのだと。筒井道隆さんの演技力に騙されましたよ。皮肉を言ってごめんなさい。



ぼくは雨になり 君を守るだろう
ぼくは星になり 君を照らすだろう
ぼくは土になり 君に話すだろう
ぼくは時になり 君と生きるだろう

『Lyricsぼくは雨となり星となる』






批評

四国八十八ヶ所めぐり(遍路、へんろ)はループとなって完成(結願、けちがん)します。これは室町時代頃に成立した修行だと考えられています。しかしその起源伝承が空海に求められるなど、四国を一周するという意味ではもっと古くから修験者などによって行われていた可能性があります。私たち夫婦は漫画『陰陽師』(岡野玲子)や丹生都比賣神社の”のりと”によって、ピンを刺すように要所に参り、結界を張るという上古からの祈願方法を知っています。ループを作らない西国三十三箇所めぐりなどとは異なるこの四国八十八ヶ所めぐりの特異性、それはすなわち結界を張る事であるという本作の(つまり原作者の)説明はとても納得がいくものでした。これを機会に坂東眞砂子さんの著書に親しんで参りたいと思っています。

参考:「丹生都比賣神社:あなたは何者か、稚日女命」
壮大な結界を思わせるこの神社の告門、祝詞(のっと、のりと)を掲載しています。

  


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2020年01月04日

『着信アリ』:おすすめできません

データ
『着信アリ』

評価:☆☆・・・・・・・・
年度:2004年
鑑賞:2019年BS/CSで視聴。
監督:三池崇史
原作:秋元康
俳優:柴咲コウ 堤真一 吹石一恵 石橋蓮司 筒井真理子 永田杏奈 井田篤 
   松重豊 大島かれん 清水聖波 今井久美子
製作国:日本
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NETFLIXより


コメント

久しぶりの☆2ケの”不合格”映画。
本作を怖いと言う書き込みを散見するので一度は見ておこうと思っていたのですが、作品として残念な出来栄えでした。

『リング』のヒットがなければ決して生まれなかったはずのお手軽映画です。
『リング』のビデオテープのかわりにここではケータイを使い、本人の電話番号から本人の近い未来の死の予告となる着信が来ます。
そのアイデア自体が『リング』からの借用ですが、このちょいずらし設定は許されます。誰もが持つようになったケータイが死の道具になる恐怖はわかりやすいですから。

『リング』の場合、呪死の原因は一つでした。特定のビデオテープを見てしまうと電話がかかってきて、その人物は必ず期限に死ぬのです。それなのにその法則通りになっていないケースが出現すると、それはなぜだろうと原因を探る推理ドラマ的な緊迫した面白さがありました。

ところが本作では展開が首尾一貫しないのです。ある犠牲者は着信を聞かなくても死ぬし、ついには着信なしで殺される人物まで現れます。これではケータイという道具の怖さが半減します。不規則の事態になる原因を探ることもしませんから推理の面白さも減ります。

また、ケータイの着信拒否をした方がいいよ、という女子高生たちのアドバイスを主要人物たちは採用しません。(着信なしで殺されることがあるのに着信拒否で防げるかどうかはともかく)『リング』においては主要人物が呪いを避ける方法を必死に模索するのですが、本作ではそのような知的な面白さがありません。

殺した他人のケータイを”怨霊”がピポパと押して、それが特定の誰かの電話番号から送られたことになる仕組みがよくわかりません。もっとチェーンメール的な怖さに絞り込んだ方が良かったのでは?


他にも既視感のあるシーンが山盛り。
もう少しなんとかならなかったものでしょうかこの安直な脚本。というより、企画段階でこれが通ったのが不思議です。


演技陣や三池崇史監督の演出が光る場面はたくさんあるのです。だから惜しい。
吹石一恵さんや柴咲コウさんの怖がり方はそそります。目の大きい人の恐怖の演技はいいねと妻。
吹石さんの殺され方はかなり派手で監督の面目が発揮されています。
また、妻が評価したのはラストシーン。堤真一さんが死を受け入れて穏やかに飴玉をなめると柴崎さんが初めてにっこり笑う・・その場面はキラリ光っていました。

でもパーツがいくら良くても機械全体の設計ができていないと宝の持ち腐れ。
残念でした。


なお、田中哲司さんがチラリと登場しています。
江口のりこ(徳子)さんの名前もありましたが気がつきませんでした。
15年前の映画となるとこういう”人探し”は楽しいですね。
「あの人はいま」の反対の「あの人はそのころ」ですよね。
TV局さん、そういう番組作りませんか?その際はアイデア料くださいね。

  


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2020年01月02日

『暗殺のオペラ』:だまし絵の奥に見えるもの

データ
『暗殺のオペラ』
Strategia del ragno(蜘蛛の戦略)
評価:☆☆☆☆☆☆☆☆・・
年度:1971年(日本公開1979年)
鑑賞:2019年BS/CSで視聴。
監督:ベルナルド・ベルトルッチ (ベルトリッチ)
原作:ホルヘ・ルイス・ボルヘス:超短編の『裏切り者と英雄のテーマ』
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
音楽:ジュゼッペ・ヴェルディ、シェーンベルク、ミーナ
俳優:ジュリオ・ブロージ アリダ・ヴァリ ティノ・スコッティ ピッポ・カンパニーニ フランコ・ジョヴァネッリ アレン・ミジェット
製作国:イタリア
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「父はどんな男でした?」という問いに背を向けるアリダ・ヴァリ:この構図『第三の男』のオマージュでは?:予告編より


コメント

傑作です。ですがベルトルッチ監督の「だまし絵風手法」※に惑わされそうになります。
※筆者不詳ですがそういう批評を知りました。なるほどと思いました。

こういう映画を散漫な気持ちで見る人はいないかと思いますが、もしいたら何が何だかわからなくなる、美しいだけのつまらない映画になってしまうかもしれません。そうは言ってもあまり真剣にシーンの意味を考えすぎてもかえって本筋を見失います。相撲の仕切りのように両者呼吸を合わせてから立ち合いすればあとはスムーズです。そうなるまでに恥ずかしながら私は10分か15分くらい必要でした。その部分をもう一度巻き戻して(笑)改めて最初から観たのです。先に観た『ラストエンペラー』にはそういう若々しい仕掛けはありませんでしたので、今回は少々戸惑いました。わかってしまえばその「だまし絵」は美しい映像と並んで本作の最大の魅力になっていると感じます。


本作のイタリア語の題名は『Strategia del ragno』。和訳すれば『蜘蛛の戦略』とでも言いますか。しかしこの原題のままだとかなりのネタバレになってしまいますから、『暗殺のオペラ』というなんだかよくわからない題名も悪くないなと思っています。監督のもう一本の傑作『暗殺の森』の翌年にイタリアで公開されたので、それとの整合性で選んだのでしょうが。


まったく個人的な感想ですが、私が観たベルナルド・ベルトルッチ監督作品の中で好き度の順位付けをすると、『暗殺の森』(1970)>『暗殺のオペラ』(1971)>『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972)>『ラストエンペラー』(1987)>『シェリタリング・スカイ』(1990)になります。どういうわけか制作年代順に並んでいるのが自分ではとても興味深いです。評判の高い『1900年』(1976)は未見ですので、この先のチャンスが楽しみです。好き度が年代順になっている理由はまだ考えていませんが、批評欄で多少関連する論考を行う予定です。

本作のストーリーなど具体的な内容については、批評欄で最低必要なことだけに触れることにします。もし全容を知りたい方は、「映画ウオッチ」サイトの本作の解説をお読みください。ずいぶん詳しく書かれています。

主演のジュリオ・ブロージさんは父と息子の二役。それぞれが持っている空気感をうまく変えて演じていました。 
アリダ・ヴァリさんは主人公を振り回しつつ戦中の記憶から抜け出せない女性を神秘的かつ毅然と演じました。
他の役者陣も好演です。


蛇足ですが、映画の後半から私の脳裏をしきりに去来したのは、江戸時代の日置藩の大一揆の首謀者正助の末路です。(白土三平『カムイ伝』)
切れ物の代官の登場により、正助は悲劇の英雄になる道を(本人はその気もなかったでしょうが)絶たれただけではなく、裏切り者の汚名を着て生きながらえる地獄に突き落とされました。
正助に本作の主人公のような蜘蛛の戦略があったならどうなっていたのだろう、と虚構と虚構とを比較しながら心痛い思いで過ごしていました。




上述の「だまし絵的手法」の好例です。説明は省きます。:予告編より


批評

ベルナルド・ベルトルッチ監督にとってこの作品は、イタリア人として行った、第二次世界大戦と戦後の総括だと考えて良いと思います。
イタリアは、自分たちは、間違いを犯した。そしてその誤りをきちんと反省・総括しないまま次の時代に向かおうとしている、と。
以上が結論。あとはその根拠を書くだけです。

ご存知の通り、イタリアはファシズムという名の政治体制を生み出した国家です。
ムッソリーニが1919年に”イタリア戦闘者ファッシ”、1921年に”国家ファシスト党”を結成した頃よりイタリアの政治体制はファシズム一色に染め上げられ、その体制は国民の生活の規範になったどころかイタリア人の心まで支配しました。

そのイタリアとドイツ、そして日本という全体主義的な政治体制を構築した三カ国(あるいはスペインを加えた四カ国)が手を組んで第二次大戦を引き起こし(枢軸国)、連合国と戦ったため、連合国(ソ連など社会主義国家も含め)側からはまとめて”ファシズム””ファシスト”と一括して呼ばれることになったのでした。この結果、最初は単なる”結束主義”(≒団結主義)という意味だったファシズム(イタリア語ではファシズモ)という用語にたいへん深刻な意味を加えて使われるようになりました。

その意味とは、詰まるところ、個人の圧殺と国家の君臨です。
日本の戦時中の有名な標語「尽忠報國」、「生めよ殖やせよ國のため」、「家は焼けても 貯金は焼けぬ」などなどをざっと眺めてもそのおぞましさは理解できるでしょうが、ドイツでもイタリアでも同じことでした。軍事・警察力の脅迫と同調圧力のもと、生活や思想まで一色に染め上げることがファシズムの本質です。利益を得るのは支配層の政治家(イタリアならムソリーニ率いるファシスト党)とこれと連なる軍人や産業資本家、そして蜜にたかるように集まる有象無象たち。

個人の自由、人間の尊厳を踏みにじるこのファシズムはいくさに敗れ、イタリアでも粛清が行われ、国民も形ばかりの謝罪・反省はしたのですが、総括を不断に続け二度と過ちを繰り返さないように努めることはできませんでした。
堅苦しい話が続いていますが、これこそがこの映画のテーマなのです。本作をご覧になった方にはお分かりでしょうが、反ファシズムの試みを行ったイタリアの或る街ターラ、つまりはイタリアの良心にたどり着く鉄道軌道には草が生え、列車はもう絶えて久しく到着していないのです。主人公が一人の水兵とともに街に来たときには確かに列車で着くことができたのに。


全員で伝説を守るターラの街の人々。
しかしその街には老人と子供しか暮らしていません。
イタリアを背負う青壮年男女はもうこの街を捨てたのでしょうか。
  


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2019年12月30日

『飢餓海峡』:これこそが戦後のリアル

データ
『飢餓海峡』

評価:☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
年度:1965年公開
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。その後数回スクリーン、ビデオで、2019年DVDで再視聴。
監督:内田吐夢
原作:水上勉
脚本:鈴木尚之
音楽:富田勲
俳優:三國連太郎 左幸子 伴淳三郎 
   風見章子 加藤嘉 沢村貞子 藤田進 高倉健 進藤幸 遠藤慎子 室田日出男
製作国:日本
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コメント

人間存在のリアルだけでなく、敗戦後の日本列島に生きた人間たちのリアルが匂う傑作です。

若い頃「越前竹人形」「飢餓海峡」など水上勉さんの著作をたくさん読んでいた時代がありました。
”みなかみつとむ”と呼ばれていた頃です。
そんなわたしに飛び込んできたのが本作『飢餓海峡』の映画化のニュース。高校生でしたが、一人で映画館に行きましたとも。その結果生涯忘れられない作品になりましたし、同時に三國連太郎さんの大ファンになりました。今に至っても三國連太郎さんという俳優は、日本映画界で私が最も評価する男優です。

好きな名男優は他にたくさんいます。主演・助演格に限っても志村喬さん、加藤嘉さん、渥美清さん、滝沢修さん、佐藤慶さん、笠智衆さん、それぞれ圧倒的な人間性のリアリティーで登場し、きめ細かい心理を表現してくれました。現役では仲代達矢さん、西田敏行さん、役所広司さんがその域でしょうか。助演陣ではまだまだ多くの名男優が勢ぞろいします。
一方、好きな花形男優もいます。三船敏郎さん、市川雷蔵さん、中村(萬屋)錦之助さん、丹波哲郎さん、勝新太郎さん、高倉健さん、菅原文太さん、緒形拳さん、、それぞれスクリーンに登場するだけで暗い観客席まで照らすようなスターオーラがありました。現役ではちょっと思いつかないのが残念です。スターへの需要のない時代になったのが不運ですが、佐藤浩市さん、妻夫木聡さん、岡田准一さん頑張れ。


そしてその両方を兼ね備えた、つまりリアリティーとスター性を高度に両立させた唯一無二の男優が三國さんなのです。
彼の数ある名演技の中で、いま真っ先に思い出すのは『復讐するは我にあり』での犯人の父親役、『神々の深き欲望』の根吉役、そして本作での犬飼多吉(樽見京一郎)役。その三役とも人類の原罪を背負ったかのような複雑な人格でした。

その三國さんの養父は群馬県の電気工事職人で被差別民(公表済)。本人も中国への密航や徴兵忌避の経歴がある。
原作者水上勉さんの生家は福井の谷あいの棺桶屋。極貧だったので少年時代に寺に奉公に出された。
監督の内田吐夢さんは岡山生まれで尋常小学校を中退し、横浜の不良だった。
・・・この三人総がかりで香ばしい作品が出来上がらないはずはありません。








批評

本作の制作当時、三國さんと太地喜和子さんはそれぞれ生涯を賭けたような大恋愛の真只中でした。太地さんは三國さんを追いかけてロケ現場に行き、そこでヒロイン杉戸八重(左幸子さん)に猛烈に嫉妬したそうです。今でも嫉妬している、と彼女は後年語ったと伝わります。あの猛者太地喜和子さんが胸をかきむしられるほどの八重の「慕情」がこの映画にはどっかりと存在しています。その慕情の強さは、冷酷で罪深くも親切という複雑な樽見京一郎(三国連太郎さん)の「人物像」とみごとに拮抗しているのです。この二つのリアル感溢れる人間存在はそれぞれ別の場所で生き抜いているのですが、生涯でたった二度だけあいまみえます。交差し、火花を散らします。最初は慕情の芽生え、最後は慕情の摘み取りという形で。なぜ二人は出会ったのか。この物語が悲劇なら、なぜ悲劇が起きたのか。。。
それは昭和、いや敗戦後というあの時代でしかあり得ないような悲劇でした。それゆえの二人の生き方、それだからこその二人の存在や慕情の重みでした。
ですからこの映画評を真摯に行う人は、必ずあの戦争、あの敗戦、あの戦後の飢えや渇きと向き合い、我がものとした上で批評しなくてはなりません。しかしそれができる人は今はほとんど生き残っていません。ならば、これからの本作の批評はもはやあり得ないことになります。

ついでながら、本作のリメイクも困難です。三國さんの後継がいないからです。左幸子さんの役には二階堂ふみさんという逸材がいますが、男優は、、二階堂さんの杉戸八重の圧に拮抗する若手男優はと考えると森山未来さんくらいでしょうか。彼なら後述の飢えを表現できるかもしれません。しかし森山さんにはあの色気が出せません。杉戸八重がそこまで慕情を貫く相手となると、、難しいです。

批評というタイトルで私はもう少しだけ本作について、戦後について書きますが、上記の理由でそれは批評の名に値しないことを自覚しています。私は敗戦五年後の生まれですが、自分の頭で考えられる年齢になると「もはや戦後ではない」時代に突入してしまいましたから。

ただし、敗戦の匂いの片鱗の記憶は確かにあります。脱脂粉乳で育ちました。傷痍軍人や乞食、子供の靴磨きはまだいました。ゼネストや松川事件は知りませんが60年安保、蜂の巣城、三井三池闘争、、、人々の反乱が連日ニュースになっていました。戦争と戦後の混乱の中で焼け太った笹川良一、小佐野賢治、岸信介などという連中がのさばっていました。時に町に漂う催涙ガスの匂いは、機動隊というよりもむしろアメリカ軍を思い出させました。どの都市にも焼け跡市・闇市の名残があり、神戸のヤクザにはまだ飢えた獣の目が残っていました。学校の裏庭の土は時折血を吸って赤黒くなっていましたし、階段に血痕が散っていた日も一回二回ではありません。一回は私の血で中学生の私の歯も何本か飛びました。しかしもうそんな記憶を残す人間は少数派になっています。

犬飼多吉(のちの樽見京一郎)は北海道の列車で知り合った仲間とある町(モデルは北海道岩内)で強盗事件を起こします。仲間たちは殺人を犯し、大金を奪った上で風吹き荒れる町に火を放ち、多くの犠牲者を出しました。

岩内では実際に戦後14年経った1954年に大火が起こっています。罹災者は16622人にのぼりました。これは放火ではなかったのですが、水上勉さんはこの大火に着想を得、時代を少し昔に戻して小説を書いたのでした。

彼らは漁船を盗み、津軽海峡を渡ろうとします。おりしも台風襲来前の大嵐でしたから、そこに紛れようとしたのです。その途中犬飼多吉は仲間を殺害し、金を奪い、死体を海に投げ捨て、漁船を下北半島の崖で焼いて証拠を消したのち、町に逃れていくのでした。青函連絡船が大事故を起こしたため津軽海峡には死体が多数浮かんでいることを知り、自分が殺害した死体がその中に紛れることを期待したのです。

史実では、上記の岩内大火があったその時、台風15号が襲来して青函連絡船洞爺丸が沈没しています。死者は1155人に及び、日本史上最悪の海難事故とされています。天気予報の精度もまだ低く、台風の現在位置を見誤っていたため、大丈夫と踏んでの出航だったのですが、今では考えられないミスと言えます。大火と連絡船事故が同日に起きたことが水上勉さんの作家意欲を刺激したわけです。飛び抜けてドラマティックな設定です。しかしミスによる連絡船の沈没や放火による大火などは今日では起こり得ないかもしれません。


陸に上がった犬飼多吉は町に逃れる際に森林鉄道(森林軌道)を利用しました。森林鉄道とは、モータリゼーションの到来前に日本の各地の山林に張り巡らされていた鉄道、いえトロッコ列車のようなものです。主として木材を運ぶための手段でしたが、場所によっては乗客を乗せることもありました。戦後に道路が整備されトラックの性能が上がると急激に廃止されて行ったので、今日では(観光用のわずかな路線を除いて)一本も残っていません。そのトロッコのように屋根も座席もない車両で、多吉は下北半島仏ヶ浦からむつ市の大湊まで移動したのです。(ただし原作の描写。映画ではあまり具体的な地名はなかったように思います。)その森林軌道そのものがいかにも戦後を思わせるのですが、本作で重要なのは、多吉がこの車両で杉戸八重と出会ったことです。空腹の多吉は八重の握り飯をわけてもらったのでした。三國連太郎さんの飢えの表現は実にみごと。この飢えが次の展開に説得力を持たせます。
なお八重の故郷はこの鉄道の路線の奥にある寒村で、貧しさから身を売った先が大湊の遊郭でした。


原作で太吉が乗った森林鉄道のルートを青い線で示しました。ただし軌道そのものではなく、今日の道路で示しています。

軍人のための従軍慰安婦だけでなく、国内において公娼制度(国家など行政が売春を認めること)を長く維持してきた大日本帝国でしたが、敗戦後は米国GHQの指揮によって名目上は廃止されました。けれど実際に赤線・遊郭は相変わらず残っていました。売春が社会の表面から消えるには1957年4月1日に施行された売春防止法を待たなければなりませんでした。女性参政権(婦人参政権)に遅れること約11年になります。本作の原作での青函連絡船沈没や北海道の大火は1947年(昭和22年)という設定になっていますから、まだまだ赤線・遊郭を拠点とし、貧しい女性が雇われて売春する制度は大変活発だった時代です。杉戸八重はそういう生業についていました。とうぜん多額の借金を抱えています。その借金を帳消しにしてなお余る大金を贈ったのが犬飼多吉だったのです。一晩の遊興としてはべらぼうな金額だったわけですが、多吉からすれば、森林鉄道での飢えを癒した握り飯や遊郭での八重の親切に報いたのでしょう。もちろん北海道で強盗殺人を働きさらに仲間を殺して得た金です。
八重にとって多吉は大恩人です。同時に生涯忘れ得ない恋慕の対象です。おそらく八重にとっても恋慕ゆえか大恩ゆえかわからなくなったまま、いつか多吉に会って礼を言いたいと、それが一生の目標になったはずです。そこから悲劇が始まります。(左幸子さん渾身の演技)

・・この調子で書くと超長文になりますのでこのあたりで筆を置きます。
私の未熟な筆が、少しでも戦後の空気をお伝えできていればと思うのですが、繰り返しになりますが私自身その匂い程度しか体内にありません。まして本作のテーマ、敗戦後の日本の「飢餓」については、原作を読み、本作を鑑賞されることで感じ取っていただきたいと願います。水上さん、三國さん、左さん、内田さん、伴淳三郎さん(好演)たちはその飢餓をよくご存じなのですから。



津軽の或る森林鉄道(林野町HPより)  


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2019年12月28日

『HOUSE ハウス』:サイケな匂いにクラクラ

データ
『HOUSE ハウス』

評価:☆☆☆☆☆☆☆・・・
年度:1977年
鑑賞:2019年BS/CSで視聴。
監督:大林宣彦
原案:大林千茱萸
脚本:桂千穂
音楽: 小林亜星、ミッキー吉野、ゴダイゴ
俳優:池上季実子(オシャレ、木枯美雪、その母) 大場久美子(ファンタ) 神保美喜(クンフー)
   松原愛(ガリ) 佐藤美恵子(マック) 宮子昌代(スウィート) 田中エリ子(メロディー)
   鰐淵晴子 南田洋子 尾崎紀世彦 笹沢佐保 三浦友和  檀ふみ 小林亜星 石上三登志 アカ(シロ)
製作国:日本
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予告編より


コメント

大林宣彦さんの初劇場用映画監督作品・・・
それまで自主映画やCM映像を多数制作して来た大林さんを語るのにこのありふれた書き方は意味ないだろう、と思っていましたが、公開後40年以上経過してようやく本作を鑑賞したときの私のワクワク感は、”初劇場用映画監督作品”というフレーズとみごとにリンクしてしまいました。
いやあ、のけぞるほど楽しい映画です。

印象的なシーンがたくさんある中、今でもフッと蘇る一番好きなシーンはラスト近く、オシャレ(池上季実子さん)が江馬涼子(鰐淵晴子さん)を迎えていそいそと雨戸を開けるシーンの足さばきです(笑)


思えば大林監督の作品はこれまで遠ざけていました。教員になって翌年初めて担任したクラスが、『ねらわれた学園』を8mm映画にして文化祭に出展するということになり、私も眉村卓さんの原作を読み映画をも観たのですが、短い8mm映画にするための困難が気になってか、映画自体への印象が残りませんでした。それ以来大林作品=薄い、軽い、少年少女向けという偏見が染み込んだようです。

そんな私の低レベルの大林観の転機は、娘さん大林千茱萸さんとの出会いでした。出会いといっても千茱萸さんが監督されたドキュメンタリー映画『100年ごはん』の上映会で彼女のスピーチを聞き、一言二言(彼女を知るきっかけになった那覇の「てだこ亭」のシェフの話題)
言葉を交わしただけなのですが。しかし彼女がお父様の初期作品に大なり小なり関わっていたことを知って、宣彦監督への距離が縮まったのは事実です。自分自身とても単純だったと思っています。

そして近年いわゆる尾道三部作(『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』)を改めて観る機会があり、大林宣彦監督の独特の美意識や匂いと一種の破天荒さを知り、自らの不明を恥じているところです。

だがしかし、それらの作品を知ってから観た本作は、宣彦監督作品の中で一番好きになりました。繰り返しになりますが、監督の独特の美意識や匂いと一種の破天荒さとが思いっきり露わになっているからです。お祭りのように楽しく自主映画づくりをしている!と思わせる(当時の劇場映画としては)新しい感覚がたまりません。

物語の導入説明としてはwikipediaの記述がとてもわかりやすいので引用させてもらいます。
東京郊外のお嬢様学校に通うオシャレは、お嬢様然とした風貌に反し、明朗快活な現代っ子。親友のファンタとともに所属する演劇部のエースとして「化け猫伝説」の練習に励む。
夏休みが近いある日、オシャレは突然帰国した父から再婚相手を紹介されショックを受ける。夏休みに父や再婚相手と軽井沢に行きたくない彼女は、いつも演劇部の合宿先に利用していた旅館が一時休業になったと知らされ、代わりの合宿先に長年会っていなかった“おばちゃま”の家を提案してしまう。慌てた彼女は後からおばちゃまに訪問したい旨を手紙で伝え、許可をもらう。
そして、オシャレとその仲間達は羽臼屋敷に向かう。しかし東郷先生が出発前に事故で遅れてしまい、部員だけで行くことになる。電車の中でオシャレはおばちゃまの悲劇を仲間に伝える。
電車に乗り、バスに乗り、更に徒歩で羽臼邸に到着。7人はおばちゃまに歓迎されるが、その後降り掛かる惨劇の事は予想だにしていなかった――。



そう、その後惨劇が起きるのですが、陰惨なのに陰惨ではないのです。ホラーなのにコミカルなのです。和風井戸のあるお化け屋敷なのに洋風映画なのです。サイケでポップでシュールです。若い女優たちの匂いが漂ってくる青春映画なのです。なんじゃこれ、の怪作にして快作です。シネマ小僧ではなかった私ですらその気になって高揚できる作品なのです。極め付けは脚だけになってもまだ戦うセクシークンフー。。。。

う〜ん、結局、いろんなことにクラクラしたい男子のための映画なんですかなあ。





  


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2019年12月26日

『ハッピーフライト』:完成度の高い群像劇

データ
『ハッピーフライト』

評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2008年
鑑賞:2019年BS/CSで視聴。
監督:矢口史靖
音楽:ミッキー吉野
主題歌:フランク・シナトラ『カム・フライ・ウィズ・ミー』
俳優:田辺誠一 時任三郎 /綾瀬はるか 吹石一恵 寺島しのぶ
田畑智子 平岩紙 田山涼成 /岸部一徳 中村靖日 肘井美佳
ベンガル /田中哲司 森岡龍 /長谷川朝晴 いとうあいこ 江口のりこ 宮田早苗
小日向文世 /笹野高史 菅原大吉 正名僕蔵 藤本静 /木野花 柄本明
製作国:日本
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日本映画専門チャンネルより



コメント

私は今回が初見だったのですが、これまで何度も地上波やBSで放映されているそうですね。その理由がわかります。準備・リサーチが十分なされたことや脚本がしっかり練られていることが伝わる優れた群像劇でしたから。
完成度が高い作品だと思います。

群像劇としての本作の特徴はいくつかあります。
一つ目に、空港や航空会社の各グループどうしはほとんど出会うことがないことです。
一方の主役副機長の鈴木和博(田辺誠一さん)ともう一方の主役新人CA斉藤悦子(綾瀬はるかさん)は同じホノルル行きNH1980便に乗り込みますが、打ち合わせで顔を合わせただけで他にはなんの接点も持たないまま映画は進行し、終了します。同じことが他の地上スタッフ、管制官、コントロールセンターなどのグループ相互間にもいえます。みんながそれぞれの責務を果たすことで、NH1980便が運行されていくという設定になっています。

ただ、上記にもかかわらず、各職種間の壁がほのめかされています。たとえば地上勤務の木村菜摘(田畑智子さん)がある事情でフライト直前の飛行機に足を一歩踏み入れると、CAの田中真里(吹石一恵さん)から睨まれるところがその場面です。こういうシーンが辛口の調味料になって本作は鑑賞ににたえる作品になったのでしょう。

二つ目に、各登場人物の人生の背景が(乗客も含めて)一切描かれていないことです。わずかに斉藤が食いしん坊で何度も腹をこわしたことがあることが、正露丸からわかる程度です。もちろん登場人物どうしの愛憎関係もありません。せいぜいが困った同僚くらいですので、とても清々しいです。恋愛のない群像劇はこんなに楽しいものなんですね。

三つ目に、職業内幕もの映画としてうまくできていることです。2004年に亡くなったアーサー・ヘイリーさんの内幕小説を私はよく読みました。彼が描く小説によって、米国のホテル業界(『ホテル』)・自動車業界(『自動車』)・航空業界(『大空港』)などの内情をかいま見、知識をえました。けれど二時間前後の映画で描くとなるとどうしてもドラマ性が優先されその点が疎かになりがちです。ところが本作では、ドラマ性は多少犠牲にしても内幕と知識が得られました。脚本(矢口監督)の方針が明確だったのでしょう。

特にピトー管という初耳の機器については勉強になりました。本作ではこのピトー管にカモメが衝突することによってトラブルが発生します。航空機の速度を測定する重要な機器ですから、この不具合はきわめて危険です。予備も含めて複数箇所に設置されているのに、オンタイムの運航のために妥協したことが仇となったことも上手な伏線のおかげで理解できました。

本作公開の翌年、エールフランス447便がこのピトー管の凍結により墜落し、乗客乗務員228人全員が死亡したことも改めて知りました。この便の32歳の副操縦士は機首の上げ下げ操作を誤っていました。本作中でも副操縦士が間違えそうになった操作です。本作を観ていれば防げたのに、と詮ないことを思ってしまいました。


俳優には芸達者が多く、その点も楽しめました。本作公開当時は私はまだ綾瀬はるかさんを認識していなかったかもしれませんが、少々天然の新人CAを程よく好演しています。TV『精霊の守り人』(NHK)で見せた抜群の身体能力はここでは封じられていますが。田辺誠一さん、時任三郎さん、寺島しのぶさん、田畑智子さん、笹野高史さん、田中哲司さんたちもそれぞれ適材適所でした。

本ブログでの基準では☆5となりますが、娯楽作品としてのレベルは高い楽しい映画でした。
  


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2019年12月24日

『The Witch/魔女』:サイキック映画の快作

データ
『The Witch/魔女』
 마녀(発音manyeo)
評価:☆☆☆☆☆☆☆・・・
年度:2018年
鑑賞:2019年BS/CSで視聴。
監督:パク・フンジョン
撮影:キム・ヨンホ、イ・テオ
音楽:ムーグ(Mowg)
俳優:キム・ダミ(ク・ジャユン、高校生) チェ・ジョンウ(父) オ・ミヒ(母) コ・ミンシ(親友ミョンヒ)
   キム・ビョンオク(ミョンヒの父、警察署長) チョ・ミンス(ドクターペク) 
   パク・ヒスン(ミスターチョイ)チェ・ウシク(怪しい若い男) チョン・ダウン(キンモリ、怪しい若い女)
製作国:韓国
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(C)2018 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved


コメント

タイトルから想起されるオカルト/ホラー映画ではなく、一種の超能力者(サイキック)ものの力作にして快作。
暴力シーンがあるためにR15になったようです。
韓国では大ヒットしましたが、日本では広い公開になっていないようで残念です。

導入こそ不穏ですが、それをのぞくと前半部分はまるで貧しい少女の家族愛や友情の物語のようにのどかに進行します。
ところがそののどかさの随所に伏線が張られていますので油断できません。ここで退屈していてはいけないのです。
後半は本気で事態が動いていきます。

主役を含めて演技陣が素晴らしく、続編を製作する気満々で終わります。今のうちにぜひ見ておかれることをおすすめします。ですからこれ以上の説明は現時点では省略しておきます。





(C)2018 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved


批評

「魔女」は人体実験の産物です。
そう、漫画『モンスター』(浦沢直樹)の”511キンダーハイム”と同じと申せばお分かりですか。
本作ではもっともっと科学的に「進化」した方法でモンスターを創造するのですが、これは為政者・権力者の夢かもしれませんね。
とはいえ、人体実験は現実にもうすでに行われているのではないかと考えるとかなり怖いです。
その現実の実験は、少数のモンスターを生むだけでなく、超多数の従順な「羊」を生み出すことにも精を出しているとすればもっと怖くありませんか。
あなたは実験の産物でないと言いきれますか。

  


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2019年12月22日

『十二人の死にたい子どもたち』:ディスカッション映画

データ
『十二人の死にたい子どもたち』

評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2019年
鑑賞:2019年BS/CSで視聴。
監督:堤幸彦
脚本:冲方丁
主題歌:The Royal Concept:『On Our Way』
俳優:杉咲花(アンリ) 新田真剣佑(シンジロウ) 北村匠海(ノブオ) 高杉真宙(サトシ)
   黒島結菜(メイコ) 橋本環奈(リョウコ) 吉川愛(マイ) 萩原利久(タカヒロ)
   渕野右登(ケンイチ) 坂東龍汰(セイゴ) 古川琴音(ミツエ) 竹内愛紗(ユキ)
製作国:日本
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公式HPより


コメント

自殺願望を持つ若者たちが十二人集まって自殺を決行しようとするのですが、なんともう一人いたのです、正体不明の死体が。
このままで自殺したら自分たちが殺人犯として報道されてしまうかもしれない。それは嫌だ。
そこで、なぜここ(廃病院)に死体が置かれたのか、ディスカッションによってそれを究明し、首尾よく自殺するための解決策を見つけようとするのです。
もし見つからない場合、集団自殺を決行するのか否かも話し合いで決めようとするのです。
民主主義的に結論を出そうとするのです。

ここまででもうお分かりの通り、本作は米国映画の古典的名作ともいえる『十二人の怒れる男』と萩尾望都さんの傑作漫画『11人いる!』の2作品へのオマージュ に違いありません。それがオマージュを超えて自立して別の魅力を発揮しているのか、あるいは単なる物真似にすぎない凡作なのか、観客はそういうことも判断しなければならない羽目に陥ります。これ、堤監督っ!めんどくさいぞ。

結論的には、先輩の2作品に出来栄えが比肩できる作品ではありません。しかし堤監督はそれは百も承知でしょう。カタルシスも含めて小さな相似形を制作できれば良かったのでしょう。私は、そうですね、不満はいろいろありながらも、本作が制作されたことに拍手を送りたいと思いますよ。このあたりは批評欄でもう少し深めてみます。


杉咲花さんについて少しばかり。
彼女は1997年10月生まれ。下記のCMに登場したのは2011年。私と妻は初見で「あれは誰?」と思ったものでした。現在は22歳。良い女優になってきました。月日の経つのは早いものです。ありきたりなコメントですみません。

杉咲さんは本作では「圧の強い」(by妻)女性を演じています。その結果彼女の演技が頭一つ抜き出しているように感じてしまいますが、これは設定上の演出でしょう。

他の若い役者たちもよく自分の役割を理解して踏ん張っています。たとえばファザコン娘を演じた黒島結菜さんの演技は迫真の切ない痛さでした。

とはいえ、
これまた妻の意見ですが、同じように若い俳優が勢揃いした『桐島、部活やめるってよ』によって松岡茉優さん、東出昌大さん、大後寿々花さん、橋本愛さん、神木隆之介さんたちが際立つ個性を発揮したことに比べればその光芒が薄口だと感じます。ただこれを役者のせいにするのは酷でしょうね。ほぼ全編に渡って廃病院が舞台となる本作は、一種の密室状態の中で十二人が顔を付き合わせて展開します。その制約がありますから、自由に演じられない限界があるのでしょう。その中で個性の圧を際立たせる役どころが杉咲さんに割り当てられた、とそういうことだろうと思います。






批評

本作のオマージュ対象『十二人の怒れる男』は、アメリカ合衆国という国家社会の成り立ちに起因する理想を高らかに歌い上げた作品でした。言い換えると、国家社会は自分たち市民が作り支えるものなんだという米国民主主義の建前に強い光を当てた作品でした。

一方本作はそういう社会的理想を掲げようとはしていません。話し合って自分たちの行動を決めるというディスカッションが大切だよ、と主張するだけです。つまりその方法論が善であると訴えているだけなのです。

その点で、逆説的ですが、達者なベテラン俳優を起用して高レベルの作品を作り上げる必要はなかったと言えます。それぞれ主観的には過酷で死にたくなる経験に出会っているとはいえ、あと30年も生きれば「あの時自殺しなくて良かった」と思えるくらいの悩みがほとんどだと思えるからです。青臭いのです。これは貶しているわけではありません。自死を思いつく若者は総じて主観に立っているからです。

それよりも、現代の若者が生きる舞台にディスカッションという方法論を採り入れた本作の意義をこそ高く評価したいと考えます。主観に対して客観の照明を当てることは、自殺を思いとどまらせる最高の方法だと私は考えるからです。とはいえ、死にたいほど思いつめている若者に対し「客観的になれ」「もっと苦しい目に遭っている人はいる」「いつか笑い話になるよ」などと説得しても受け入れられるはずがありません。けれどこの映画が示唆するように、人は死後のプライドまで大切に思う生き物かもしれません。殺人犯として報道されてしまう自分は嫌なのですから。だとすれば、そこでまずいったん一時停止させ、ディスカッションによって自らを客観視するその試みはとても有効なのかもしれません。日常の生活の中で助けようとする他者がその一時停止の手段をどう見つければいいのかそこはまだわかりませんが、ディスカッションに導くことさえできれば命が救われることも可能ではないかと思えました。本作のおかげです。

  


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2019年12月20日

『ボア』:三文モンスターホラーなのに憎めない

データ
『ボア』
BOA
評価:☆☆☆・・・・・・・
年度:2017年
鑑賞:2019年BS/CSで視聴。字幕。
監督:クリス・サン
俳優:ネイサン・ジョーンズ ビル・モーズリー ジョン・ジャラット ジョン・ジャラット ロジャー・ウォード
製作国:オーストラリア
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コメント

どうみても上手とは思えない役者たちが一生懸命下品な人物を演じ、一生懸命怖がるC級ホラー。
人食い巨大イノシシが暴れ回る。ゆっくりしっかり食えば良いのに、次々と新しい犠牲者を探しまくる。

舞台はオーストラリアのサバンナ風かと思うとステップ風だし森林も。どこなんだろう。
町では事件が起こらない。日本だとイノシシは平気で町に来るよ。

登場人物はほとんど下品。
初対面の若者の手を潰さんばかりに握手する巨漢(ネイサン・ジョーンズ)。
自分は三度結婚しておきながら、初めて結婚しようとする若者に説教する親父。
その若者は娘の両親の前でひたすらいちゃつき、イノシシの前に親父を突き飛ばして助かろうとする。
母親は自分の命を助けた弟を、息子を助けられなかったと言って詰り倒す。
ダッシュボードに銃弾を忘れるスケベでやさしい爺さま。
野っ原でキャンプしていちゃついたあげく食い殺される若者たち。
女性を性の道具としか思っていない変態青年に、爺さまに言い寄る性病持ち女。
飛び交う下ネタ。
オーストラリアのイナカってこんな風なの?
誰か違うと言ってくれ。

それなのに最後まで見てしまった。
どういう魅力なんだろう、この映画。ある意味おすすめ。R15。

『もののけ姫』の乙事主が好きだからつい録画しただけなのに。

  


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2019年12月08日

『ゲット・アウト』:上等のB級ホラーサスペンス

データ
『ゲット・アウト』

評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2017年
鑑賞:2019年BS/CSで視聴。
監督:ジョーダン・ピール
脚本:ジョーダン・ピール
音楽:マイケル・アーベルス
俳優:ダニエル・カルーヤ(クリス) アリソン・ウィリアムズ(ローズ)
   ブラッドリー・ウィットフォード(ローズの父)ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ(ローズの弟)
   キャサリン・キーナー(ローズの母)リルレル・ハウリー(ロッド、クリスの友人、TSA職員)
   スティーヴン・ルート(画商) レイキース・スタンフィールド(アンドリュー、パーティーの黒人)
   ベティ・ガブリエル(ジョージーナ、家政婦) マーカス・ヘンダーソン(ウォルター、管理人)
製作国:アメリカ
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コメント

よくできたB級映画。

大統領がオバマからトランプへと大きくシフト・チェンジした米国のどこか不安定な時期に大ヒットした映画です。
最初は黒人差別が裏テーマなのかと思わせるミス・リードで展開します。
徐々に、白人の黒人コンプレックスを描く映画なのかと思わせて・・・

本気で怖いホラーは苦手だがホラー味くらいがちょうど良い方にはかなりおすすめできます。
特に、やや退屈な夜の時間潰し映画鑑賞にはうってつけ。

家政婦役のベティ・ガブリエルさんの顔芸には驚きました。かなり衝撃的ですが、観賞後数週間経った今となっては、思い出せるのはそれくらいなのも事実です。

ストーリーなど詳細な説明はeigamanzaiさんのサイトが秀逸ですので、事前に知りたい方はそちらをご覧ください。

本作の後味が悪いと感じた方は、「はじめてのおもてなし」で口直ししてみればいかがでしょう。



ベティ・ガブリエルさん:予告編より
  


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2019年12月06日

『津軽のカマリ』:津軽の土と雪と風の匂い馥郁と

データ
『津軽のカマリ』

評価:☆☆☆☆☆☆☆・・・
年度:2018年
鑑賞:2019年12月3日、田辺市中辺路「ふたかわ超学校」上映会で鑑賞。
監督:大西功一
出演:初代高橋竹山 二代目 高橋竹山 高橋哲子 西川洋子 八戸竹清 高橋栄山 
   初代 須藤雲栄 高橋竹童
製作国:日本
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公式サイトより


コメント

熊野中辺路”ふたかわ超学校”で、ドキュメント映画『津軽のカマリ』観てきました。

どんな芸能・芸術の世界でも、常人の階層を突き抜けた別格な人はいるもので、津軽三味線における高橋竹山さん(初代)もそんな一人でしょう。
(監督も同じようなことをおっしゃってました。例として美空ひばりさんを挙げておられたのが印象的でした。だって私もそう考えていましたもの。)

竹山さんは風や鳥と話ができる人です。(安東ウメ子さんや朝崎郁恵さんを想起します。)盲目ゆえ飢えやひどい差別やいじめを受けながら、「貧乏から学んだ」という人です。絶対”ヘンコ”です。

彼の生前、東京の渋谷ジァン・ジァンで時々ライブがありました。関西に戻ってから竹山さんを知り、行けないかと試みて諦めたことが何度かあります。一度は生の演奏を聴きたかったと悔やむアーチストの一人でした。CDもいいけれど、やはり三味線はライブでこそ、と思っています。
今日の映画には、ライブ感あふれる映像がいくつも含まれていましたので、私の悔いが一つ解消された思いです。

知らないエピソードがたくさんありました。沖縄戦への思い、三陸大津波との関わり、朝鮮人に命を救われたこと、、、
本作はそこに加えて津軽の民謡、オシラサマ信仰、イタコ、ねぶた祭りなどを重ねます。そうすることで竹山三味線が生まれた背景、津軽のカマリ(匂い)を探ろうとする監督の仕掛けでした。それがまあ私の好物ばかり(笑)これに縄文土偶・土器とアイヌ が加われば、もう私にとっての東北文化の完成!
あ、しかし食べものが含まれていませんね。そういえば本作でも食べ物の話題がなかったような。なぜかな。

二代目高橋竹山さんもたっぷり登場。空気を切り裂き大地を鳴らすような先代と比べて音がカラフルで艶っぽいのが面白いと思いました。高橋竹山という名称を真に継ぐことができるのは、自立した自分の豊かでオリジナルな三味線の音色を創り上げた時なのだともわかりました。

鑑賞中に何度か涙が滲みました。その場面を書き、多少の考察をすることはできますが、やめておきます。これから鑑賞される方を妨害することは許されない映画のように思えますので。
大西功一監督は自分の車に機材を載せて全国行脚中です。昨日は紀伊勝浦、明日は和歌山市。じわじわと西に進んで二月の沖縄で折り返すそうです。今日もご本人のトーク付きでした。機会があれば、伝統音楽好き、三味線好き、民俗好きの方にはぜひ!とおすすめしてこの稿を終えます。
監督、ふたかわ超学校のみなさん、ありがとうございました。


そうそう、DVDの特典映像?中で二代目高橋竹山さんが登場する”アンコール曲”はしみじみといいですよ。と、小さな宣伝だけをしておきますね。

  


Posted by gadogadojp at 10:00Comments(0)ドキュメンタリー映画

2019年12月04日

『悪魔の手毬唄』1977:市川+石坂金田一シリーズの最高峰

データ
『悪魔の手毬唄』

評価:☆☆☆☆☆☆☆・・・
年度:1977年
鑑賞:ビデオ、DVDで鑑賞。2019年BS/CSで再視聴。
監督:市川崑
原作:横溝正史
脚本:久里子亭
音楽:村井邦彦
俳優:石坂浩二 岸恵子 若山富三郎 三木のり平 辰巳龍太郎 加藤武 大滝秀治 白石加代子 
   常田富士男 北公次 永島暎子 高橋洋子 渡辺美佐子 草笛光子 仁科明子 頭師孝雄 山岡久乃 
   林美智子 岡本信人 小林昭二 原ひさ子 川口節子 大羽五郎 潮哲也 富田恵子 中村伸郎   
製作国:日本
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予告編より。本文では触れていませんが、「おはんでございます。お庄屋さんのところに戻ってまいりました。」というこの峠の場面こそ、市川監督の映像の真骨頂だと思っています。ちなみに横溝正史さんの原作では、おはんでなくおりんでした。


コメント


なんでも多ければ良いというわけではありませんが、ざっと数えたところ、映画で13人、TVで15人の男優が金田一耕助を演じているというのはもしかしてギネスブックものではありませんか。かのジェームズ・ボンド映画が6人なのですから。

映画版でもっとも金田一耕助を演じた回数が多いのが片岡千恵蔵さん(7作)で、次いで本作の主演石坂浩二さんは6作。1950年生まれのわたしには、石坂浩二さん=金田一耕助さんとインプットされています。

wikipediaによれば、原作の金田一耕助さんは身長5尺4寸(163㎝強)・体重14貫(約52kg)で顔立ちはいたって平凡。一言で言えば風采の上がらぬ貧相な男ということになりましょう。これを身長177㎝でルックスが良く、いかにもインテリな雰囲気の石坂さんが演じたことが、かえって角川映画シリーズの大成功の鍵だったかもしれませんね。原作よりもずいぶんソフトで垢抜けた印象なのが時代にかなったのでしょうし、狂言回しとしてよくはまりました。その石坂さん主演のシリーズ作品の中で、私は本作がいちばんのお気に入りです。ショッキングなシーンの多い『犬神家の一族』(市川崑監督)よりも本作の方が映画としての完成度がやや高いのではないでしょうか。






本作を成功させた最大の功績は、岸恵子さんと若山富三郎さんというベテラン俳優二人の素晴らしい演技の賜物であるかと考えています。人物・人格や空気感まで漂うお芝居が、とても上等の映画を観た気分にさせてくれました。

岸恵子さん(青池リカ)
明るさの中に見え隠れする少し寂しげな表情とちょっぴり天然な人柄が魅力的です。
元は女芸人だった(その回想シーンまであります)という(しっかりした教育を受けていない)役柄と、彼女本来の垢抜けた華とが両立しているところがスターです。その人物像と、千恵(仁科明子さん)に自分の秘密を告白する場面の我が身を切り裂くような慟哭との対比が素晴らしい。

若山富三郎さん(磯川警部)
青池リカを慕う磯川の純情ぶりが眩しいくらいに感じられます。そもそもこの鬼首(おにこべ)村に金田一耕助を呼んだ動機はリカへの思いであることが後から呑み込めてきます。「愛していたんですね」「そうじゃ」・・・わからない方は本作を鑑賞してください(笑)磯川と金田一との掛け合い会話も、いかにも旧知の間柄感が出ていて温かくて素敵です。

それ以外にも、
神戸のボロ長屋が似合う三木のり平さん、
田舎の因襲の権化のような辰巳龍太郎さん、
息抜き役の加藤武さん、
頑固な寂しがり屋の大滝秀治さん、
屈託あるアル中の常田富士男さん、
連れ込み宿の山岡久乃さん、
娘の七光に輝く渡辺美佐子さん、
落ちぶれた旧家の当主草笛光子さん、
庶民の典型。好奇心を隠さない林美智子さん、
一癖二癖の中村伸郎さん、
などなど脇役陣が綺羅星の如く登場します。
中でも白石加代子さんの異様な怖さはもう震えがきましたよ、わたくし。身体の柔らかさにも驚嘆。『身毒丸』ナマで観たかったな。


主要配役も脇役も迫真の演技で、ともすれば型にはまりがちな金田一耕助映画に血を通わせています。
これはもうひとえに市川監督の演出の手腕といえるでしょう。

市川監督といえば、本作には大河内伝次郎さんの丹下左膳や、ゲーリー・クーパーさんとマルレーネ・ディートリッヒ さんの『モロッコ』の映像まで挟まれていて映画好きの心をくすぐります。これ以外にもあちこちに遊びがはめ込まれています。
楽しみながら制作したんですよね、監督。
「総社」






「鬼首村手毬唄」横溝正史さんの原作から

うちの裏のせんざいに
すずめが三匹とまって
一羽のすずめのいうことにゃ
おらが在所の陣屋の殿様
狩り好き酒好き女好き
わけて好きなが女でござる
女たれがよい枡屋の娘
枡屋器量よしじゃがうわばみ娘
枡ではかって漏斗で飲んで
日がないちにち酒浸り
それでも足らぬとて返された
返された

二番目のすずめのいうことにゃ
おらが在所の陣屋の殿様
狩り好き酒好き女好き
わけて好きなが女でござる
女たれがよい秤屋の娘
秤屋器量よしじゃが爪長娘
大判小判を秤にかけて
日なし勘定に夜も日もくらし
寝るまもないとて返された
返された

三番目のすずめのいうことにゃ
おらが在所の陣屋の殿様
狩り好き酒好き女好き
わけて好きなが女でござる
女たれがよい錠前屋の娘
錠前屋器量よしじゃが小町でござる
小町娘の錠前が狂うた
錠前狂えば鍵あわぬ
鍵があわぬとて返された
返された

ちょっと一貫貸しました


三谷幸喜さんの『古畑任三郎』シリーズで石坂浩二さんが登場する回に、この場面のオマージュがありましたね。思い出すだけで笑えます。「あへあへあへ」演じたのは吉田日出子さんでした。(本作では原ひさ子さん)
  


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2019年12月02日

『人間失格 太宰治と3人の女たち』:少々散漫

データ
『人間失格 太宰治と3人の女たち』

評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2019年
鑑賞:2019年、封切り時に映画館で鑑賞。
監督:蜷川実花
脚本:早船歌江子
主題歌:東京スカパラダイスオーケストラ「カナリヤ鳴く空 feat.チバユウスケ」
俳優:小栗旬 宮沢りえ 沢尻エリカ 二階堂ふみ 成田凌 千葉雄大 瀬戸康史 高良健吾 藤原竜也
   稲垣来泉 山谷花純 片山友希 宮下かな子 山本浩司 壇蜜 木下隆行 近藤芳正
製作国:日本
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「死にたいんです。一緒に。」この目が表現できるってすごいと思います。:予告編より


コメント

豪華キャスト起用にニナミカ特有の華麗な色彩、二階堂ふみさんの力業、それに小栗旬さんのお耽美なクズ男ぶり。。。
特に小栗旬さんは見直しました。女に消費され尽くしていく太宰(by 妻)を動的に演じました。

ですから観ている間は退屈せずに見入ったものの、見終わってしまえば私に残ったものはわずかばかり。
もともと太宰嫌いの私はますます太宰嫌いになりました。
太宰治の作品や人間性のどこに映画化する程の魅力があるのか?私ごときには一生わからないままでしょう。

もしかすると沢尻エリカさん最後の作品になるかもと思って映画館に急いだから後悔はないけれど。

蜷川実花監督の美意識はけっこう好きで、これまで『さくらん』『ヘルタースケルター』『Diner ダイナー』の三作品と付き合いました。それぞれ高い評価をしています。監督は各作品で土屋アンナ、成宮寛貴、沢尻エリカ、水原希子、藤原竜也、玉城ティナ(敬称略)などの若い俳優をたいへん美しくそしてきわどく撮りました。

本作でもそれは同じ。ただし美しく撮らねばならない出演者が多すぎました。その分拡散してしまったようにも思います。たとえば瀬戸康史さん。彼は好きな役者ですが、あのちょい役に起用し、あれほどカッコよくさせる必要がありましたか。
少し「趣味の大作」に仕立てすぎましたね。

  


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2019年11月30日

『ジョーカー』:あなた、怒りを共有できますか

データ
『ジョーカー(2019)』
JOKER
評価:☆☆☆☆☆☆☆☆・・
年度:2019年
鑑賞:封切り時(2019年)映画館で鑑賞。
監督:トッド・フィリップス
脚本:トッド・フィリップス
俳優:ホアキン・フェニックス ロバート・デ・ニーロ ザジー・ビーツ ブレット・カレン 
   フランセス・コンロイ グレン・フレシュラー リー・ギル
製作国:アメリカ
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パンフレットより


コメント、批評

JOKER覚え書き
私の中で「キル・ビル」のルーシー・リューが「やっちまいなっ!」と叫ぶ。
踏まれ踏まれたアーサーがJOKERとして覚醒していくあたりから、貧相なおっさんだったホアキン・フェニックスがセクシーにすら見えてくる。
パンフレットは1人1冊と断り書きがあった。そんなに売れてるのか。どこかの部分でアーサーに自分を重ねてしまう人が多いのかもしれない。


以上、妻の文章でした。
言い尽くしていますね。

蛇足を書けば、
痛めつけられ蔑まれ続けた人間、本作のアーサーのような人物がついに覚醒するとき、いわゆる正義のHEROになる選択肢があり得るのかどうか、知りたい。
アーサーに自分を重ねる人が、悪人としてでもHEROとしてでも立ち上がることがあり得るのか、知りたい。
JOKERは正義のHEROなのか悪人なのか、あなたはどう考えるのか、知りたい。


まだ上映中なのでこのへんでいったん失礼。


P.S.”死の舞踏”必見です。  


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