2018年09月06日

『パンズ・ラビリンス』:真にダークな傑作

データ
『パンズ・ラビリンス』
EL LABERINTO DEL FAUNO、PAN'S LABYRINTH
評価:☆☆☆☆☆☆☆☆☆・
年度:2007年
鑑賞:2018年BS/CSで二度視聴。
監督:ギレルモ・デル・トロ
音楽:ハビエル・ナバレテ
俳優:イバナ・バケロ(オフェリア) セルジ・ロペス(ビダル大尉) 
   マリベル・ベルドゥ(メルセデス) ダグ・ジョーンズ(パン/ペイルマン) 
   アリアドナ・ヒル(カルメン) アレックス・アングロ(フェレイロ医師)
製作国:メキシコ/スペイン/アメリカ
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『パンズ・ラビリンス』:真にダークな傑作

イバナ・バケロさん:写真は全て予告編より


コメント

まずはイバナ・バケロさんの熱演に敬意を表したいと思います。
私は水原希子さんに似てると、妻はのんさんに似てると言う美少女の彼女は、場面に応じて大変適切な表情を見せてくれました。

13歳イバナ・バケロさんのインタビュー記事はこちら。

次に、クリーチャーの造形の面白さ、特に不気味なpalemanを創り上げ、また、映画全体を丁寧に作り込んだギレルモ・デル・トロ監督に拍手を送ります。(中の人はともにダグ・ジョーンズさん。)
辛く重苦しい展開ながら、希望の光が差し込むような結末にして正解だったと思います。

また、かなりやばい人格に描かれたビダル大尉役のセルジ・ロペスさん、そして詳しくは後述しますが、本作の錘の役メルセデスを演じたマリベル・ベルドゥさんも好演でした。


伝説上の牧神(牧羊神)はローマ神話でFAUNUS、スペインに渡ってFAUNO。ギリシア神話でPAN。(パーン、英語読みでパン)※①
ですからスペイン語の題名は『EL LABERINTO DEL FAUNO』つまり『牧神(ファウノ)の迷宮』
しかし監督は神話の牧神をそのまま登場させたわけではなく、自身が遭遇した体験を基に描いたと述べているそうですから、邦題に「牧神」を使用しなかったのでしょうか。
それにしても「パン」ではヤマザキベーカリーみたい。
『パンズ・ラビリンス』よりも『牧神(せめてファウノ)の迷宮』にしておいたほうが、私を含めておおかたの日本人が見に行きたくなるようなタイトルになったのではないでしょうか。


『パンズ・ラビリンス』:真にダークな傑作

ピーテル・パウル・ルーベンス作のパーン:mement moriさんのブログより


政権側の軍隊の指揮官が極めて残忍に設定されていることから、監督の立ち位置は民主主義にあることは明らかですが、しかしその民主勢力ゲリラの描写も教条的・定型的であり、敵側の人間に容赦をしない映像がありましたから、内戦の歴史的位置付けの中でゲリラに共感的とはとても思えません。戦いを憎む視点と書くと一番適切かもしれません。(批評欄を参照されたし)

先日観たハードボイルドタッチの佳作スペイン映画『マーシュランド』は、フランコ政権が終わりを告げた後の混乱期が時代背景になっていました。20世紀の内戦から民主化までの分裂・抗争時期に生きてきたスペイン人は、国家や民族のみならず、友人・家族・親族、そして自分の心にまで深い分裂の傷跡を抱えているのでしょう。


繰り返し流れるテーマソングが優しくて耳に残ります。
メロディーを忘れた時は、黛ジュンさんの『雲にのりたい』(1969)を思い出すようにしています。
そういえばあの曲も現実逃避を望む歌でした。



※①パーンの語源と起源[編集]
・パーンがテューポーンに襲われた際に上半身が山羊、下半身が魚の姿になって逃げたエピソードは有名であるが、この姿は低きは海底から高きは山の頂上まで(山羊は高山動物であるため)世界のあらゆるところに到達できるとされ、「全て」を意味する接頭語 Pan(汎)の語源となったともいわれている。
・パーンの血統をめぐる説がいくつもあることから、太古の神話的時代に遡る神であるに違いない。
<wikipediaより>


『パンズ・ラビリンス』:真にダークな傑作

本作上のファウノ、つまりパン


批評

ダークファンタジーと紹介されることが多いようですが、戯画的面白さが満開の作品ですので、私は最初絵本または漫画だと受け止めました。
しかし後半にさしかかるに連れ、漫画というよりもお伽話と看るべきだと考えを改めました。
そして結末でその思いを確信しました。
そういう印象の根拠を書くことは難しいですが、少しだけ試みてみたいと思います。
そのためにも、まずは簡単に時代背景と作品内容の紹介をします。


場所はスペイン。時は1944年。つまり、第二次世界大戦末期です。
スペインでは軍隊の反乱に端を発する内戦が終わり、反乱の首謀者の一人フランコ元参謀総長が政権を掌握していた時期です。
その政権の性格は親ファシズム、親ヒトラーですが、世界大戦には参戦していません。
国内の基盤が弱く、食糧事情も逼迫していたからです。
一方内戦で敗北した民主派勢力もまだ多少は残っており、山岳地帯を根拠地にしてゲリラ的な反政府活動を続けていました。
つまり、右派勢力による国家は生まれたものの、スペイン人とその心はまだ分裂していた時代だったのです。

映画の舞台は、山岳地帯のゲリラを鎮圧する役目を担っている最前線の駐屯地。
その指揮官は、残忍無比なビダル大尉です。
ビダル大尉は結婚したばかりで、その妻カルメンが懐妊して臨月を迎えたため、この最前線に呼び寄せました。
生まれてくるのは男子だと決め込み、息子は父親のいる場所で生まれるべきだというのです。
・・私はあちこちでしつこく主張していますが、過去の欧米のレディーファーストや男女平等神話を信じ込んでしまうと、人類(ほぼ)共通に存在した男性優位社会の歴史を見逃してしまうことになります。現在においてなお、欧米は男性優位社会なのです。日本よりは随分マシですが。・・・

カルメンは前夫(死亡)との間に娘がいます。名をオフェリアといい本作の主人公の少女ですが、彼女は新しい父親を受け入れられません。
カルメンは辛そうに「あなたも大人になればわかるわ」とオフェリアに言い訳しながら再婚したのでした。
しかし臨月のカルメンに長旅は厳しかったようで、駐屯地で体調を崩し寝込みます。
夫のビダル大尉は、医者に「もしもの時は息子を救え」と命じる冷血漢です。

この時点でオフェリアは、義父は大嫌い、母は病気、という全くもって心細い状態におかれたわけです。

さらにオフェリアにもう一つの心配事が降りかかりました。
それは、自分に同情的で愛情すら感じる家政婦メルセデス(駐屯地の民間人女性。兵士の食事等の世話をする女性たちのチーフ。)が、ゲリラ側と内通していることを知ったからです。メルセデスの立場はそれゆえとてもきわどいものですから、オフェリアはとても心配しています。
もちろん、ゲリラの攻撃でオフェリア自身命を失う可能性もあります。


少女の身の上にこれほどの難儀や心配事が重なって押し寄せたとき、少女はどうやって自分の心を防衛すれば良いでしょうか。

オフェリアはまず、母のそばに付き添います。
次に胎内の「弟」にやさしく話しかけることをします。
メルセデスには、内通を知っていることを打ち明け、心配していることを伝えます。
義父とは距離を置きます。
つまり、現実的に行動可能なあらゆることは行っています。

その上で、
地中の迷宮を信じ、パンの指示通りに冒険を試みます。

世間一般では誰も話さえ聞いてくれそうにない異世界の存在を信じ、現実に体験し、危険な目にも会うのです。

仮に少女の体験が単なる空想に過ぎなかったとしても、
その現実逃避をいったい誰が責めることができましょうか。

ましてオフェリアが体験したことは紛う方無き「現実」なのです。
彼女は弟の命を守り、冒険を果たしました。
この世では義父の手で殺害されたとしても、
地中の異世界では王女として、優しく勇敢な王女として永く生きていけるのです。
この話を知った人々、例えば私たち観客は、残酷な現世での生活に疲れ切っているかもしれませんが、
オフェリアの未来を知って涙がこぼれるほど救われた気分になるのかもしれません。
枯れたイチジクの木にも一輪の花が咲きました。

これを、お伽話と言わずしていったい何がお伽話に値するというのでしょうか。



『パンズ・ラビリンス』:真にダークな傑作




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Posted by gadogadojp at 10:00│Comments(0)映画
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