2019年11月30日

『ジョーカー』:あなた、怒りを共有できますか

データ
『ジョーカー(2019)』
JOKER
評価:☆☆☆☆☆☆☆☆・・
年度:2019年
鑑賞:封切り時(2019年)映画館で鑑賞。
監督:トッド・フィリップス
脚本:トッド・フィリップス
俳優:ホアキン・フェニックス ロバート・デ・ニーロ ザジー・ビーツ ブレット・カレン 
   フランセス・コンロイ グレン・フレシュラー リー・ギル
製作国:アメリカ
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パンフレットより


コメント、批評

JOKER覚え書き
私の中で「キル・ビル」のルーシー・リューが「やっちまいなっ!」と叫ぶ。
踏まれ踏まれたアーサーがJOKERとして覚醒していくあたりから、貧相なおっさんだったホアキン・フェニックスがセクシーにすら見えてくる。
パンフレットは1人1冊と断り書きがあった。そんなに売れてるのか。どこかの部分でアーサーに自分を重ねてしまう人が多いのかもしれない。


以上、妻の文章でした。
言い尽くしていますね。

蛇足を書けば、
痛めつけられ蔑まれ続けた人間、本作のアーサーのような人物がついに覚醒するとき、いわゆる正義のHEROになる選択肢があり得るのかどうか、知りたい。
アーサーに自分を重ねる人が、悪人としてでもHEROとしてでも立ち上がることがあり得るのか、知りたい。
JOKERは正義のHEROなのか悪人なのか、あなたはどう考えるのか、知りたい。


まだ上映中なのでこのへんでいったん失礼。


P.S.”死の舞踏”必見です。  


Posted by gadogadojp at 10:00Comments(0)映画

2019年11月28日

『ここは退屈迎えに来て』:地方で生きるとは何かを考えましょうか

データ
『ここは退屈迎えに来て』

評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2018年
鑑賞:2019年BS/CSで視聴。
監督:廣木隆一
原作:山内マリコ 『ここは退屈迎えに来て』
脚本:櫻井智也
音楽:フジファブリック
俳優:橋本愛 門脇麦 成田凌 渡辺大知 岸井ゆきの 内田理央 柳ゆり菜 亀田侑樹 瀧内公美 片山友希
   木崎絹子 マキタスポーツ 村上淳
製作国:日本
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高校時代。2018©︎「ここは退屈迎えに来て」製作委員会


コメント

どこにでもある地方都市の行き止まりな雰囲気に沈み込みながら、それでも少しは幸せに暮らしたい、ここにも何かあるかもしれない、いつか飛び出せるかもしれない、と希望を秘めて生きていかなくてはならない若者たちを点描している映画です。
長い文やなあ。
要するに地方都市の若者の閉塞感を表現しています。
良作です。

本作と同じく山内マリコさんの原作になる映画『アズミ・ハルコは行方不明』はすでにブログにしました。同じテーマを扱いながら、怒りを含んだ破壊力のある『アズミ・・・』に比べて静かに進行する分、閉塞感はよけいに伝わると妻は批評しました。その通りだと思います。

ストーリーを語ることにあまり意味が無いので、印象深い登場人物を主観的に語ることで映画全体にコメントしようと思います。舞台はもちろんありふれた地方都市です。登場人物もすべて地元出身者です。


私(橋本愛さん)
高校を卒業して東京で十年暮らしたあと、故郷に帰ってきました。今はタウン誌で記事を書くフリーライターをしています。友人のサツキからは東京暮らしの経験を羨ましがられていますが、東京で何も見つけられず、何者にもなれないままなんとなく帰ってきた自分を自覚していますから、東京に住んだことを誇る気持ちにはなれません。とはいえ地元で根を下ろして暮らしている実感も持てません。サツキとともに高校時代の人気者だった椎名くんと再会しようとするのですが、そのこと自体が地元と自分との関係を確認・再構築しようとする無意識の試みのように見えます。
橋本愛さんはTVドラマ『同期のサクラ』(日本テレビ)のように都会で颯爽と働く姿も見栄えしますが、『あまちゃん』(NHK)のように、東京を意識しながら地方でくすぶる女性を演じるのも似合うとは妻の弁です。いずれにせよ強い主役オーラを出せる方です。


椎名くんに名前すら記憶してもらえなかったことを知り・・・予告編より


サツキ(柳ゆり菜さん)
地元から東京への憧れはあったものの、たぶん自信がなかったしパワーもなかった。本作のタイトル「・・迎えにきて」と願っている代表選手のような女性。友人とともにかつて人気者だった椎名くんに会うことは、(私と同様に)自分が一番輝いていた時代、楽しかった頃をもう一度取り戻す試みだったのですが、椎名くんのあまりの落魄ぶりを見て、まるで自分の今の姿に重ね合わせたかのような寂しい表情(下の写真)になります。柳ゆり菜さん、演技経験はそれほどなかったと聞いていますが、作品世界に添った好演でした。


遠くから椎名くんを見つめる。予告編より。


山下南(岸井ゆきのさん)
中学・高校時代は華やかさのかけらもない女性だったのでしょう。東京への憧れなど口にもしなかったでしょう。でも、アイドルになって東京生活を謳歌しただろう中学時代の友人の森繁あかね(内田理央さん)が帰郷して冴えないおっさん(マキタスポーツさん)と結婚して自信を失っていても、あなたの味方よ、くすぶっていてもいいじゃないと励ます思いやりがあります。けれど、それは自分と重ね合わせてのこと。実は(高校時代、私やあたしに人気者だった)椎名くんと最近結婚したのです。それを知った森繁あかねがどんな人かを尋ねると、「つまんない奴よ」と言い放ちます。本当は東京に出てアイドルになったあかねに嫉妬くらいしていたのでしょう。現状の椎名くんとの結婚も、さほど晴れがましくはないのでしょうね。しかし結婚でいくばくかの安心とステイタスは得られるのかもしれません。
岸井ゆきのさんは、本作の若手俳優の中での演技力は滑舌も含めピカイチだと感じました。


心中が思わずこぼれた表情が上手いなあ、と。予告編より


あたし(門脇麦さん)
門脇麦さんとは『愛の渦』『闇金ウシジマくん Part2』『太陽』『彼らが本気で編むときは、』の四作品で出会っているのですが、いずれの場合も圧倒的な存在感を見せつける輪郭のはっきりした女優さんです。あと20年もして日本版『カッコーの巣の上で』のリメイク版が作られたら、ルイーズ・フレッチャーさんの役どころは彼女に演じてもらいたいと思います。
強さとナイーブさとが両立する演技はなかなか難しいのですが、本作ではそれを成し遂げています。あたしは高校時代は椎名くんの彼女だったこともあり、いまだに忘れられずに引きずっています。かといってよりを戻したいような未練ではなく、結局彼女も高校時代の幸福から脱皮できないままアルバイト生活をし、言い寄ってきた椎名くんの取り巻き男と体の関係をズルズル続けているのです。どこかに行ってしまいたい!といちばん望んでいるのは、誰か強い力で迎えに来て、と毎日祈っているのは彼女かもしれません。彼女がラブホから飛び出して歌いながら歩くシーンは、本作中の切ないシーンの一つでした。


予告編より


なっちゃん(片山友希さん)
高校生時代だけが描かれます。人気者椎名くんを取り巻く渦の中に入り込まず、学校の中で疎外感を感じています。そのせいでしょう、中年男(マキタスポーツ)と援交をしています。ある日、金の受け取りを断ります。うかつな私(筆者)は、それを見て援交ではなかったのではないかと勘違いしましたが、妻の指摘で気がつきました。なっちゃんの中で男との関係が援交から質的に変わったことを示す描写でした。ところがその直後に男は見合いをするからもう会えないことを示唆します。男は本当に見合いをするのでしょうか、それとも危険を感じて逃げたのでしょうか。
片山友希さん、とても良いです。どこかのんさんを思わせる自然な雰囲気があり、これからの注目株だと思いました。


予告編より


新保くん(渡辺大知さん)
『勝手にふるえてろ』の二を演じて強い印象を残した渡辺大知さんは、本作でも要になる切ない立場を表現できました。お気に入り俳優になりそうです。
新保くんもやはり高校時代の恋が錨のように足に絡みつき、ここから抜け出そうにも抜け出せない人物です。学校の成績が良かったにもかかわらず。
東京からちょっと帰ってきている、というセリフがありましたが、さて?

椎名くん(成田凌さん)
『ビブリア古書堂の事件手帖』『翔んで埼玉』『人間失格 太宰治と3人の女たち』と立て続けに出会った成田凌さん。売れっ子ですが、少し屈託のありそうな役どころがお似合いで好みです。本作でも現在の椎名くんはやりすぎに感じるほど魂が抜けた表情が良かったですが、残念ながら高校生時代の超人気者を演じるには突き抜け感が不足していると思いました。誰もがチヤホヤするのはこんな青年ではないでしょう。

新保くんの椎名くん評がしみました。「高校生時代の椎名くんは神様に甘やかされ過ぎていた」すでに何者かである錯覚をしてしまった椎名くんは、そこから一歩進めないまま挫折の連続であったはずです。地元じゃ負け知らず♫だったはずなのに地元でも負け犬になってしまいました。

須賀さん(村上淳さん)
村上淳さんは名脇役ですね、本当に。ご本人はなかなか個性的な方だと見受けますのに、ちょうど良い存在感を出すその能力がスーパーです。
本作では私(橋本愛さん)と組んでタウン誌の取材にあたるカメラマンを演じています。彼は東京高円寺に魂を残しているのだそうです。今いる場所に根を下ろせない典型的な人物です。



予告編より


予告編より


いずれの若者のケースも、家族との相克や近所・親族からの蜘蛛の巣のような束縛感が作品中に描かれることはありません。
しかしそれは明らかに彼らの背後にあります。
特に女の子は東京にはなかなか出て行けないのです。
地方の女性には結婚でしか叶えられない”自由”もあるのです。

とはいえ、東京に出たら何者かになれるのでしょうか。
私(橋本愛さん)、森繁あかね(内田理央さん)、須賀さん(村上淳さん)はどうだったでしょうか。

椎名くんの妹はしっかり勉強して故郷を抜け出し東京の大学に進みました。
スカイツリーの見えるマンション?の屋上から朝の景色を眺め、「楽しいなあ」と繰り返します。
どうして繰り返し声を出すのでしょうね。


首都圏の高校の人権映画で観せてはどうかと妻は言いました。
東京の高校生が気づかない日本がここにあるからです。
それがわかることが、皮肉にも地方出身者の強みです。



批評

地方に住む若者たちはなぜ閉塞感の中で暮らさなければならないのでしょうか。その原因・理由の一つは、先に書いたような地方の古い慣習や考え方です。
しかし同時に経済的な理由もあります。
それは、日本社会が丸ごとゆっくりと衰退していく中で、東京の一極集中がますます顕著になっているということです。
衰退の原因はたくさんありますが、その現れの指標としては人口減、実質賃金の低下、GDPの急落、、、など枚挙にいとまがありません。
つまり日本全体が貧しく活力を失っているのですから、地方都市もその動きから逃れることはできません。
溜池の水が徐々に抜かれ干上がり始めた時、元気のある魚たちは池の底が深い凹部に集まり、そこだけは活気が保たれている(ように見える)のです。
その凹部こそが東京です。
経済活動は、遠くない未来に干上がる予感に怯えて、理性的に本能的に東京を目指します。
世界の資本は、いまやとても物価や人件費が安くなった日本の東京を貪り尽くそうと襲来します。
その結果、東京は元気に見えます。
いま直ちに生きていくための職や幸せや自己実現のための機会を求めたい若者は東京に行くしかないのです。
その東京と比較して、我が故郷は閉ざされ衰えた町でしかありません。
本来エネルギーに満ちた若者は、幸せと自己実現を求めて東京に憧れるのです。
ですが、繰り返しますが、ですが、彼らにとっての東京は凹部の水たまりに過ぎません。
1%の人々は、堤防から溜池に釣り糸を垂れて獲物を漁っています。
凹部の水たまりから堤防によじ登れる人は皆無なことをやがて知ります。

干上がった地方の土にもまだ水分は残っています。
地方で井戸を掘り、水脈を探り、東京よりもっと綺麗な水で地方を満たしませんか。
他に選択肢がありますか。


文中の「東京」とは、もちろん東京的なものの象徴として使っています。  


Posted by gadogadojp at 10:00Comments(0)映画

2019年11月24日

『もぐら』:田辺・弁慶映画祭のコンペ出品

データ
『もぐら』

評価:短編(36分)のため星評価せず
年度:2019年
鑑賞:2019年11月22日田辺・弁慶映画祭にて
監督:山浦未陽
脚本:山浦未陽
エンディング曲:西村 亮哉
俳優:加藤才紀子(あおい=はる)、見津賢(けいた)、川久保晴、今野誠二郎、長瀬ねん治
製作国:日本

速報:映画.com賞を受賞されました。おめでとうございます。


予告編より


コメント

映画祭のパンフレットから、山浦未陽(やまうらみよう)監督のプロフィールを引用しますと、
1996年、東京生まれ。
慶應義塾大学環境情報学部。早稲田大学の映像制作自習で映画制作を学ぶ。
映画『もぐら』が初監督作品。

(・・つまり、是枝裕和さんの助言を受ける立場)


ということで、本作は大学生の手になる作品ということになります。コンペティション部門で上映された作品は、「全国から応募された163作品の中から入選した9作品。」(上掲パンフ)ということですから、かなりの倍率をくぐって選ばれた作品です。

映画の中心は、でりへる(カタカナだとこのブログでは使えないみたい)で働く20代女性とデリバリー運転手が夜の街を走る車のうちそとの描写です。
車外を移ろうネオンやヘッドライトの川のような流れの映像は美しく浮ついています。それに対して、車内後部座席の主演はるの少し疲れた表情とバックミラーに映る運転手けいたの目の真摯さ、そしてお互いに交わす僅かな会話がかもす雰囲気は夜の川の泡沫のようです。

映画の前提として、もぐらは光を感じない、つまり日の目を見ない動物だという知識が必要です。しかしこの二人は一緒に朝日を眺めます。これが本作のクライマックスです。もぐらが地上で生活できる日が来ることの暗示だと思えますが、はたしてそれが可能なのか、将来はわかりません。テーマがもぐらである以上難しいのかもしれません。※

終盤になって初めて真相とテーマに気づくというなかなかの監督の手腕。あ、そういうことか、と。もっとも、私が短編慣れしておらずまた老人耳のせいもあったのかもしれませんが。

ただ、その真相がわかる瞬間、おにぎりの場面。おにぎりを手渡しする画面で察しなさいということなのでしょうが、渡された直後のはるの表情はやはり見たかった。そこまで想像せよというのでは、映像という娯楽を観たい観客の快楽を大きく削ぐことになります。俳優の腕の見せ所ですから。そこだけが残念でした。

知的な構成と車内から見た夜の街の映像に監督の才能を感じました。山浦未陽さん、記憶しておきます。主演の加藤才紀子さん、ちょうど良いリアルな演技で魅力的でした。



※本作のタイトルから園子温監督の佳作『ヒミズ』を思い出しながら映画祭に足を運びました。
ヒミズもまたモグラの一種ですが、一般のモグラと違って土中だけでなく落ち葉の層をも生活圏にできます。しかしやはり光が差すところでは生きられません。光に殺されるのではなく、追われて地表にでて、食べるものがなくて餓死してしまうのです。また、常に何かに触れていないとパニックを起こすという説明も散見します。『ヒミズ』の住田祐一(染谷将太さん)と本作のあおい=はる(加藤才紀子さん)との違いがあるとすればどこだろう、などと考えさせるのは、もしかして山浦監督の園子温オマージュのフィールドに誘われてしまったのかもしれませんね。知らんけど。




  


Posted by gadogadojp at 10:00Comments(0)映画