2018年08月08日

『ジョーズ』:業を描いたスピルバーグ唯一の作品

データ
『ジョーズ』

評価:☆☆☆☆☆☆☆☆・・
年度:1975年
鑑賞:封切り数年後にスクリーンで、その後DVDで数回鑑賞。2018年BS/CSで再視聴。
監督:スティーヴン・スピルバーグ
原作:ピーター・ベンチリー
音楽:ジョン・ウィリアムズ
俳優:ロイ・シャイダー(マーティン・ブロディ署長) ロバート・ショウ(クイント) 
   リチャード・ドレイファス(マット・フーパー) ロレイン・ゲイリー(エレン・ブロディ)
   マーレイ・ハミルトン(ボーン市長)

『ジョーズ』:業を描いたスピルバーグ唯一の作品




コメント

本作最大の不満は、(人食い)サメを凶悪で害しかもたらさない生き物のように描いていることです。
海洋動物パニック映画?の嚆矢としてやむを得ないのですが、
サメを研究しているフーパーに少しサメ愛を喋らせてあげたらよかったのに、と思います。
その上でクイント船長に、第二次大戦中の恐怖の記憶を語らせたら、さらに体験の重みが、、、などと想像します。
それ以外は完璧です。
実写で人喰いザメの模型を作ったことが大成功の要因の一つであったと思いますし、
何より俳優たちの演技が素晴らしい。


下記の批評は、5.6年前に別のブログに書いた文章です。
当時の気持ちを記録しておきたいため、そのまま(〜さん付けもなしに)再掲載します。
本作の批評というよりスピルバーグ論の様相を呈しています。



『ジョーズ』:業を描いたスピルバーグ唯一の作品



批評:
JAWS/ジョーズはスピルバーグの例外


安売りのDVDで買ったスピルバーグ監督の『JAWS/ジョーズ』を見ました。
日本語吹き替えでカットだらけの民放TV放映は原則的に見ませんから、ほんとに久しぶりでした。記憶を超えて満足しました。

私はスピルバーグはB級映画向きの監督だと思っています。
で、そのB級娯楽アクション映画では、<敵>の造形が勝負どころ。

たとえば、『激突』
シンプルなおどろかしのアイデアの連続で見せました。ここでは、
<敵>の姿が見えない怖さが秀逸。これぞB級の極致。とはいえ、それだけの映画です。

たとえば『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』などのインディ・ジョーンズシリーズ。
ここではハリソン・フォードの魅力は全開ですが、<敵>の造形に失敗しました。見える敵があまりに古臭いステレオタイプ過ぎます。アホな敵と闘っても、主人公は十分に生きません。

たとえば『ジュラシック・パーク』
<敵>は恐竜。これは圧倒的に強く、人間の手に余る存在になっていくストーリーで辛うじてB級として成功しました。この監督に
<敵づくり>ができないわけではないのです。
しかしこの『ジュラシック・パーク』 、
人間の手によって生み出された恐竜の哀しさに人間が感情移入できるように設定すれば、あるいは
オスだけのはずなのになぜか卵が生まれていく生物の不思議さに焦点を当てれば、あるいは、
翼竜のワタリを強調して、この島から恐竜が世界に飛び立つ恐怖を暗示すれば、あるいは、
カオス学者と経営者との対立や確執をもう一方のストーリーの軸にすれば、
一流の監督になれたかもしれないのに、スピルバーグはそうしませんでした。
このすべてが「原作」には盛り込まれていたのに、スピルバーグはそれを選びませんでした。
ある意味、B級娯楽作品を天職と決めたいさぎよさかな、とも思いました。

たとえば、『未知との遭遇』
私はこのしまりのない失敗作が、それでも結構好きです。
映画構成が破綻していて、アイデアだけの映画ですが、そのアイデアがおもしろいから、もう一度見たいシーンがいくつもあります。
たとえば、UFO見物客の目の前に本当に現れるUFOの飛び交うシーン。
トリュフォー演じるフランス人科学者と宇宙人との交流シーン。特にあの音。
それに加えて、リチャード・ドレイファスの演技。あのマッシュポテト!
「立ち入り禁止」にするためのにせ疫病流行を演出する米政府のたくらみとか、
選ばれた者たちが家庭を捨ててあそこへいく、そのことへの理不尽さとか、
そのあたりをもう少し掘り下げれば、感動が深まるのだけど。
そうそう、<敵>はいなかったのですね。

たとえば、『E.T.』
これは(未知との遭遇の続編的な)E.T.の造形と、こどもたちの可愛さだけの映画で、新しいアイデアがありません。
(あ、マーブルチョコだけ)
丘で『E.T.』をさがすごっつい靴のアップの不気味さは印象深かったのですから、この靴の持ち主を<敵>としてもっと生かせばぴりっとしまった映画になったでしょうに。

etc.etc. 出来不出来の差はありますが、彼の監督したB級娯楽映画は、驚かしたり楽しませたり、まあ、娯楽要素が山盛りで、それなりの才能をやはり感じます。

ところが次第にスピルバーグは、社会性や人間性を描く映画に片足を乗せ始めます。『カラーパープル』『シンドラーのリスト 』『プライベート・ライアン』『 A.I.』etc

ところがこれらは、鑑賞に耐えない駄作になってしまいました。 (ファンの方ごめんなさい)
それまでにうすうすわかっていたことですが、
スピルバーグには人間性を描くことができず、したがって社会性を帯びることもかなわない、B級娯楽作しか作れない人物であることが露呈されてしまったのです。

だから、もう彼には期待していません。
いえもちろん、B級娯楽映画が悪いわけではありません。
でもいまさら『激突』のレベルに戻れないでしょうし。


しかし、宝物は旧作品の中に眠っていました。
『JAWS/ジョーズ』は、彼の唯一のA級娯楽作品でした。

痛覚を持たないと言われるサメを<敵>に設定したことがまず成功の一因。
そしてこのサメの巨大さや利口さ、それゆえの怖さが、本筋から離れたいくつかのエピソードで理解できます。
美しい浜を持つこの島の人々の期待ゆえ、サメ退治が後手にまわる理由もわかります。
芸達者な俳優陣それぞれにきっちりと人物設定を施し、的確に背景を描いていますから、三人それぞれがサメ退治に向かう動機に納得がいきます。
(黒澤明の『七人の侍』の影響?)

特にサメ漁師クイントを演じる名優ロバート・ショウの演技は圧巻のアカデミーもの。彼がなぜヘンコな漁師になったのか、なぜサメ退治に執着するのかをきちんと知らせてくれます。
そしてその熱意を支えているのは実は恐怖であったことを観客はラストで完全に理解できるのです。

全編を通じて、アメリカ映画特有の過剰説明なしに進んでいきますから、ストーリーが単純とはいえ、観客は想像たくましく鑑賞することもできる傑作娯楽作品でした。

それにしても、
スピルバーグはこんなに人間が描けましたか?
こんなに説得力がありましたか?
こんなに伏線が上手にはれましたか?
こんなに想像力をかきたてましたか?(口数が少なかったですか?)

そう考えると、
この作品の本当の(実質的な)監督は別にいたのではないかとさえ勘ぐってしまいそうです。



『ジョーズ』:業を描いたスピルバーグ唯一の作品





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Posted by gadogadojp at 10:00│Comments(0)映画
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