2019年03月10日
『モンスター』:いたさの五段重ね
データ
『モンスター』MONSTER
評価:☆☆☆☆☆☆☆☆・・
年度:2003年(製作)
鑑賞:2019年BS/CSで視聴。
監督:パティ・ジェンキンス
音楽:BT
俳優:シャーリーズ・セロン(アイリーン・ウォーノス) クリスティナ・リッチ(セルビー・ウォール)
ブルース・ダーン(トム) スコット・ウィルソン(ホートン) プルイット・テイラー・ヴィンス(ジーン)
リー・ターゲセン(ヴィンセント・コーリー) アニー・コーレイ(ドナ)
マルコ・セント・ジョン(エヴァン) ブレット・ライス(チャールズ) ババ・ベイカー(Cubby)
製作国:アメリカ/ドイツ
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シャーリーズ・セロン:予告編より

クリスティナ・リッチ:予告編より
コメント1
エンドロールの曲はジャーニーの『Don't stop believin'』
Don't stop believin'
Hold on to the feelin'
Streetlights, people
信じることをやめないで
ずっと信じ続けてよ。
(夜の街の闇にだって)
街灯があるように。
みんな!
by journey
アメリカの地方の町。
ミソジニー(女性蔑視)に基づく性的虐待やレイプ、ネグレクトの結果、まっとうな教育を受けることもできず心の中に閉じこもって夢だけ見ていた少女二人が、(年齢は離れているけれど)大人になって出会って愛し合ったせいで起きる悲劇。
妻「ノーフューチャーな感じは『トレスポ(トレインスポッティング)』を思い出した」
私「なるほど。ただ、『トレスポ』ではもう少し知性が感じられた」
妻「ユアンの目が知性的だから」
・・・その点でシャーリーズ・セロンさんの化け方はお見事というほかありません。荒廃した家庭に育ち、容貌にも恵まれず、年齢を重ね、もはや変態たちの的になって稼ぐしかない娼婦を演じ切っているのですから。
目に知性が宿るような人生の機会とは出会えず、ただ今日をどうにかして生き抜いていく女性が、スクリーンに居ます。
スクリーンに居ます。
スクリーンだけではありませんよね。
これを書いている日は3月8日。国際女性ディーだそうです。
そのシャーリーズ・セロンさんとクリスティナ・リッチさんの迫真の演技で、心に刻まれる一作になりました。
封切り時にスクリーンで観たかったと思います。
不覚にも観なかった理由は、『モンスター』というタイトルに既視感がありすぎたからです。
批評
このブログではよくあることですが回り道しましょう。
モンスター、ということばから私が連想するものは、
1)ピンクレディーの『モンスター』(1978年)
みなさんご存知、作詞が阿久悠、作曲が都倉俊一の手になるこの曲は、160万枚の売り上げを達成しました。
もちろんファンタジーな楽曲ですので、ピンクレディーが怪物を慰めているカタチの内容なのですが、歌詞に注意を払うと少しばかり異なる景色が見えてきます。というのもこの怪物は、<トマトジュースを欲しがり、牙がかゆくなり、顔に縫い目があり、爪がキリキリとがる>のですが、これは吸血鬼やフランケンシュタインなど複数の怪物の特徴の列挙です。このことは、ここで言うモンスターは、単一の怪物ではなく、四種の怪物、、つまりは普遍化された怪物を示すと考えるべきでしょう。だとするなら、ピンクレディー(歌い手)が飼っている怪物を慰めている曲ではなく、ピンクレディーが(今やモンスターのような境遇になってしまい「ぼろぼろ」になった)ピンクレディーを慰めている曲と見ることも可能なはずです。
カバーの名手UAさんの歌唱でお聴きください。
2)浦沢直樹さんの漫画『MONSTER』(1994~2001)
怖い、しかし強引に導かれ、一緒に奈落に落ちてしまいそうな漫画で、私たち夫婦の愛読書といっても良い作品です。
ここでのモンスターはヨハン・リーベルトという超美形の青年。彼は人の心を操る能力を持つ殺人鬼です。
つまり、自らの手を汚さなくても人間どうしを殺し合わすことができる究極の殺人鬼です。

(c)浦沢直樹
この二作品の登場人物は共にmonsterなのですが、世間によって怪物にされたおどおど震えるばかりの少女たちと、冷血きわまる殺人鬼とではまったくそのmonsterぶりが異なります。次元が違うこの両者をmonsterという一語で表現できるのですね。人間の言語能力は。
さて本作でシャーリーズ・セロンさんが演じたアイリーン・ウォーノスという人物は実在の死刑囚でした。
33歳で初めて男を殺害し、それ以降1年間で6or7人の殺人を犯した娼婦です。
女性による連続殺人犯として全米を震撼(笑:コピーライターの好きなことばですね)させ、monsterと呼ばれました。
彼女の実話に基づき製作された映画です。
彼女が収監されている時に映画化を許諾し、彼女が薬物注射で殺害(処刑ともいう)された翌年に映画が公開されました。
彼女が連続殺人を行なっている期間のほとんどは、女性のパートナーと暮らしていました。あるいは二人で逃亡していました。その名はティリア・ムーアと言います。(映画ではセルビー・ウォール)。逮捕後、司法取引を受諾したティリアの証言が後押しして、アイリーンの死刑判決が下りました。
この経緯だけでイタイですよね。
で、本筋に戻ります。これは一言で済みます。
本作のモデルアイリーンがmonsterなら、それはピンクレディーとヨハンとの間の無限の次元のうち、どの辺りに位置すると思われますか?
コメント2
「この世界で私の夢をかなえるためにいつも多くのことを犠牲にしてくれたお母さん、言葉にできないくらい愛してるわ。本当にありがとう。」
(03年度アカデミー賞授賞式 シャーリーズ・セロン スピーチより

出典=http://www.kanteiya.com/column/04/1110.htm

『アダムス・ファミリー』のクリスティナ・リッチ:出典不明
アメリカ映画だからか、エグイ踏み込みがもう一歩足りないようにも思います。
だけれども、彼女たちの過去も現在も十分に想像できます。
いたい。いたい。いたい。いたい。いたい。の五段重ねだから、充分に手応えがある作品です。
一段
アイリーンの過去がいたい(内容省略)
二段
シャーリーズ自身の過去がいたい。シャーリーズを救うために夫を殺した母。
その母への感謝の辞。
この映画出演への覚悟。
いたい。涙が出るほど。
三段
相手役のセルビー、夢見る夢子ちゃんの普通の人ぶりがいたい(具体例省略)
四段
死刑後一年で映画化!?と妻が言ったように、あくどい映画商法がいたい。
実際にアイリーンは「私をネタに儲けているメディア」への怒りを爆発させていたようです。
五段
シャーリーズのゲス男演技がいたい。
パートナーのセルビーが不安になるたびに、アイリーンは大丈夫だよ、私がなんとかすると慰めるのですが、その際のシャーリーズの表情演技が、私たちが想像するカスでゲスなマッチョ男そのままなのです。口元をマフィアのチンピラのようにゆがめて、任せておけと言うのです。アイリーンに何かまともな稼ぎができるはずがなく、結局は変態男を引っ掛けて殺害し、金品を奪うことしかもうできることはないのです。
観客はアイリーンを責めることはないでしょう。
もちろん、彼女の無知無教養を育てたこの社会への怒りが湧くことでしょうが、同時に、社会の中でも男性一般への憤懣やる方ない思いがたぎってくることでしょう。
実際に鑑賞された方はまだまだいくつものいたさが発見できるはずです。
ぜひ一度ご覧になってください。
繰り返します。
3月8日は国際女性ディーだそうです。
『モンスター』MONSTER
評価:☆☆☆☆☆☆☆☆・・
年度:2003年(製作)
鑑賞:2019年BS/CSで視聴。
監督:パティ・ジェンキンス
音楽:BT
俳優:シャーリーズ・セロン(アイリーン・ウォーノス) クリスティナ・リッチ(セルビー・ウォール)
ブルース・ダーン(トム) スコット・ウィルソン(ホートン) プルイット・テイラー・ヴィンス(ジーン)
リー・ターゲセン(ヴィンセント・コーリー) アニー・コーレイ(ドナ)
マルコ・セント・ジョン(エヴァン) ブレット・ライス(チャールズ) ババ・ベイカー(Cubby)
製作国:アメリカ/ドイツ
allcinemaの情報ページはこちら
kinenoteの情報ページはこちら

シャーリーズ・セロン:予告編より

クリスティナ・リッチ:予告編より
コメント1
エンドロールの曲はジャーニーの『Don't stop believin'』
Don't stop believin'
Hold on to the feelin'
Streetlights, people
信じることをやめないで
ずっと信じ続けてよ。
(夜の街の闇にだって)
街灯があるように。
みんな!
by journey
アメリカの地方の町。
ミソジニー(女性蔑視)に基づく性的虐待やレイプ、ネグレクトの結果、まっとうな教育を受けることもできず心の中に閉じこもって夢だけ見ていた少女二人が、(年齢は離れているけれど)大人になって出会って愛し合ったせいで起きる悲劇。
妻「ノーフューチャーな感じは『トレスポ(トレインスポッティング)』を思い出した」
私「なるほど。ただ、『トレスポ』ではもう少し知性が感じられた」
妻「ユアンの目が知性的だから」
・・・その点でシャーリーズ・セロンさんの化け方はお見事というほかありません。荒廃した家庭に育ち、容貌にも恵まれず、年齢を重ね、もはや変態たちの的になって稼ぐしかない娼婦を演じ切っているのですから。
目に知性が宿るような人生の機会とは出会えず、ただ今日をどうにかして生き抜いていく女性が、スクリーンに居ます。
スクリーンに居ます。
スクリーンだけではありませんよね。
これを書いている日は3月8日。国際女性ディーだそうです。
そのシャーリーズ・セロンさんとクリスティナ・リッチさんの迫真の演技で、心に刻まれる一作になりました。
封切り時にスクリーンで観たかったと思います。
不覚にも観なかった理由は、『モンスター』というタイトルに既視感がありすぎたからです。
批評
このブログではよくあることですが回り道しましょう。
モンスター、ということばから私が連想するものは、
1)ピンクレディーの『モンスター』(1978年)
みなさんご存知、作詞が阿久悠、作曲が都倉俊一の手になるこの曲は、160万枚の売り上げを達成しました。
もちろんファンタジーな楽曲ですので、ピンクレディーが怪物を慰めているカタチの内容なのですが、歌詞に注意を払うと少しばかり異なる景色が見えてきます。というのもこの怪物は、<トマトジュースを欲しがり、牙がかゆくなり、顔に縫い目があり、爪がキリキリとがる>のですが、これは吸血鬼やフランケンシュタインなど複数の怪物の特徴の列挙です。このことは、ここで言うモンスターは、単一の怪物ではなく、四種の怪物、、つまりは普遍化された怪物を示すと考えるべきでしょう。だとするなら、ピンクレディー(歌い手)が飼っている怪物を慰めている曲ではなく、ピンクレディーが(今やモンスターのような境遇になってしまい「ぼろぼろ」になった)ピンクレディーを慰めている曲と見ることも可能なはずです。
カバーの名手UAさんの歌唱でお聴きください。
2)浦沢直樹さんの漫画『MONSTER』(1994~2001)
怖い、しかし強引に導かれ、一緒に奈落に落ちてしまいそうな漫画で、私たち夫婦の愛読書といっても良い作品です。
ここでのモンスターはヨハン・リーベルトという超美形の青年。彼は人の心を操る能力を持つ殺人鬼です。
つまり、自らの手を汚さなくても人間どうしを殺し合わすことができる究極の殺人鬼です。

(c)浦沢直樹
この二作品の登場人物は共にmonsterなのですが、世間によって怪物にされたおどおど震えるばかりの少女たちと、冷血きわまる殺人鬼とではまったくそのmonsterぶりが異なります。次元が違うこの両者をmonsterという一語で表現できるのですね。人間の言語能力は。
さて本作でシャーリーズ・セロンさんが演じたアイリーン・ウォーノスという人物は実在の死刑囚でした。
33歳で初めて男を殺害し、それ以降1年間で6or7人の殺人を犯した娼婦です。
女性による連続殺人犯として全米を震撼(笑:コピーライターの好きなことばですね)させ、monsterと呼ばれました。
彼女の実話に基づき製作された映画です。
彼女が収監されている時に映画化を許諾し、彼女が薬物注射で殺害(処刑ともいう)された翌年に映画が公開されました。
彼女が連続殺人を行なっている期間のほとんどは、女性のパートナーと暮らしていました。あるいは二人で逃亡していました。その名はティリア・ムーアと言います。(映画ではセルビー・ウォール)。逮捕後、司法取引を受諾したティリアの証言が後押しして、アイリーンの死刑判決が下りました。
この経緯だけでイタイですよね。
で、本筋に戻ります。これは一言で済みます。
本作のモデルアイリーンがmonsterなら、それはピンクレディーとヨハンとの間の無限の次元のうち、どの辺りに位置すると思われますか?
コメント2
「この世界で私の夢をかなえるためにいつも多くのことを犠牲にしてくれたお母さん、言葉にできないくらい愛してるわ。本当にありがとう。」
(03年度アカデミー賞授賞式 シャーリーズ・セロン スピーチより
出典=http://www.kanteiya.com/column/04/1110.htm

『アダムス・ファミリー』のクリスティナ・リッチ:出典不明
アメリカ映画だからか、エグイ踏み込みがもう一歩足りないようにも思います。
だけれども、彼女たちの過去も現在も十分に想像できます。
いたい。いたい。いたい。いたい。いたい。の五段重ねだから、充分に手応えがある作品です。
一段
アイリーンの過去がいたい(内容省略)
二段
シャーリーズ自身の過去がいたい。シャーリーズを救うために夫を殺した母。
その母への感謝の辞。
この映画出演への覚悟。
いたい。涙が出るほど。
三段
相手役のセルビー、夢見る夢子ちゃんの普通の人ぶりがいたい(具体例省略)
四段
死刑後一年で映画化!?と妻が言ったように、あくどい映画商法がいたい。
実際にアイリーンは「私をネタに儲けているメディア」への怒りを爆発させていたようです。
五段
シャーリーズのゲス男演技がいたい。
パートナーのセルビーが不安になるたびに、アイリーンは大丈夫だよ、私がなんとかすると慰めるのですが、その際のシャーリーズの表情演技が、私たちが想像するカスでゲスなマッチョ男そのままなのです。口元をマフィアのチンピラのようにゆがめて、任せておけと言うのです。アイリーンに何かまともな稼ぎができるはずがなく、結局は変態男を引っ掛けて殺害し、金品を奪うことしかもうできることはないのです。
観客はアイリーンを責めることはないでしょう。
もちろん、彼女の無知無教養を育てたこの社会への怒りが湧くことでしょうが、同時に、社会の中でも男性一般への憤懣やる方ない思いがたぎってくることでしょう。
実際に鑑賞された方はまだまだいくつものいたさが発見できるはずです。
ぜひ一度ご覧になってください。
繰り返します。
3月8日は国際女性ディーだそうです。
Posted by gadogadojp at 10:00│Comments(0)
│映画
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