2019年03月28日
『スリー・ビルボード』:焦点がぼけています
データ
『スリー・ビルボード』THREE BILLBOARDS OUTSIDE EBBING, MISSOURI
評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2017年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:マーティン・マクドナー
俳優:フランシス・マクドーマンド(ミルドレッド・ヘイズ) ウディ・ハレルソン(ビル・ウィロビー)
サム・ロックウェル(ディクソン) アビー・コーニッシュ(アン・ウィロビー)
ジョン・ホークス(チャーリー=ミルドレッドの元夫) ピーター・ディンクレイジ(ジェームズ)
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ(レッド・ウェルビー)ケリー・コンドン ルーカス・ヘッジズ
ジェリコ・イヴァネク アマンダ・ウォーレン ダレル・ブリット=ギブソン キャスリン・ニュートン
サマラ・ウィーヴィング クラーク・ピーターズ サンディ・マーティン(ディクソンの母)
製作国:アメリカ
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公式HP予告編より
コメント、批評
映画を観てから約一ヶ月経って、そろそろブログを書こうかと思い立ったところ、ほとんど思い出せないことに愕然としました。
数々の賞を獲ったこの作品に申し訳ないと考え(←少し嘘)、幸い録画が残してあったので3倍速で見直しました。
ああ、そうだったな、そうだったなと思い出し、それから数日後に再び本稿を書こうとしたところ、思い出せることは三分の一くらい。
そりゃあ記憶力が弱いのは自覚していますが、これはひどすぎます。
どうやら私のせいではない、と自分を正当化して気がつきました。この作品は私の中を通り過ぎただけだったのです、私のどんな場所にも傷一つつけずに。
詰まらなかったというしかありません。
(鑑賞中はけっこう興味津々で観ていたのですよ。その時点では☆6から7)
たぶん現実感が表現されていないのです。
画面タッチはリアリズム満載なのですが、脚本はむしろディズニー的ファンタジー。
一本の作品の中で悪人は善人へと改心し、レイシストは正義漢に変身し、権力をかさにきた男(事情聴取では足を机に乗せて威圧)は庶民に気遣うようになり、煮詰まって狂気を帯びた女は冷静で知性を取り戻す。
おかしいでしょ?
それならレイプ犯だって実はいい人でしたってなるの?
また、焦点が定まらずピンの甘い肖像画を見せられているような脚本が、私の記憶に定着することを拒んでいるのです。
本作では米国南部の差別がたくさん取り上げられます。
黒人、メキシコ人、女性、低身長、、、
それ以外にも、マザコンのゲイの警官、娘の人格を認めない母親、自己満足のための自殺など、やたら問題点が列挙されます。
ですがどれもこれも中途半端で、テーマとも直接はつながりません。
おかしいでしょ?
EBBINGという架空の街を舞台に”遅れた南部”を背景にしたかった?
とっちらかっただけだと私は感じました。
主演女優の迫力ある演技が勿体無かったな。
それでも、と妻は言います。「ハリウッドで地味な『おばちゃん』を主役に据えた映画が作られた意義はある」と。
はい、そこんところは同感です。
『スリー・ビルボード』THREE BILLBOARDS OUTSIDE EBBING, MISSOURI
評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2017年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:マーティン・マクドナー
俳優:フランシス・マクドーマンド(ミルドレッド・ヘイズ) ウディ・ハレルソン(ビル・ウィロビー)
サム・ロックウェル(ディクソン) アビー・コーニッシュ(アン・ウィロビー)
ジョン・ホークス(チャーリー=ミルドレッドの元夫) ピーター・ディンクレイジ(ジェームズ)
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ(レッド・ウェルビー)ケリー・コンドン ルーカス・ヘッジズ
ジェリコ・イヴァネク アマンダ・ウォーレン ダレル・ブリット=ギブソン キャスリン・ニュートン
サマラ・ウィーヴィング クラーク・ピーターズ サンディ・マーティン(ディクソンの母)
製作国:アメリカ
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公式HP予告編より
コメント、批評
映画を観てから約一ヶ月経って、そろそろブログを書こうかと思い立ったところ、ほとんど思い出せないことに愕然としました。
数々の賞を獲ったこの作品に申し訳ないと考え(←少し嘘)、幸い録画が残してあったので3倍速で見直しました。
ああ、そうだったな、そうだったなと思い出し、それから数日後に再び本稿を書こうとしたところ、思い出せることは三分の一くらい。
そりゃあ記憶力が弱いのは自覚していますが、これはひどすぎます。
どうやら私のせいではない、と自分を正当化して気がつきました。この作品は私の中を通り過ぎただけだったのです、私のどんな場所にも傷一つつけずに。
詰まらなかったというしかありません。
(鑑賞中はけっこう興味津々で観ていたのですよ。その時点では☆6から7)
たぶん現実感が表現されていないのです。
画面タッチはリアリズム満載なのですが、脚本はむしろディズニー的ファンタジー。
一本の作品の中で悪人は善人へと改心し、レイシストは正義漢に変身し、権力をかさにきた男(事情聴取では足を机に乗せて威圧)は庶民に気遣うようになり、煮詰まって狂気を帯びた女は冷静で知性を取り戻す。
おかしいでしょ?
それならレイプ犯だって実はいい人でしたってなるの?
また、焦点が定まらずピンの甘い肖像画を見せられているような脚本が、私の記憶に定着することを拒んでいるのです。
本作では米国南部の差別がたくさん取り上げられます。
黒人、メキシコ人、女性、低身長、、、
それ以外にも、マザコンのゲイの警官、娘の人格を認めない母親、自己満足のための自殺など、やたら問題点が列挙されます。
ですがどれもこれも中途半端で、テーマとも直接はつながりません。
おかしいでしょ?
EBBINGという架空の街を舞台に”遅れた南部”を背景にしたかった?
とっちらかっただけだと私は感じました。
主演女優の迫力ある演技が勿体無かったな。
それでも、と妻は言います。「ハリウッドで地味な『おばちゃん』を主役に据えた映画が作られた意義はある」と。
はい、そこんところは同感です。
Posted by gadogadojp at 10:00│Comments(0)
│映画
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