2018年10月06日
『ブラックホーク・ダウン』
データ
『ブラックホーク・ダウン』
評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2002年公開
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。2018年BS/CSで再視聴。
監督:リドリー・スコット
原作:マーク・ボウデン
音楽:リサ・ジェラード、ハンス・ジマー
俳優:ジョシュ・ハートネット ユアン・マクレガー トム・サイズモア サム・シェパード エリック・バナ
ジェイソン・アイザックス ジョニー・ストロング ウィリアム・フィクトナー ロン・エルダード
ジェレミー・ピヴェン ヒュー・ダンシー ユエン・ブレムナー ガブリエル・カソーズ キム・コーツ
ジェリコ・イヴァネク グレン・モーシャワー トーマス・ハーディ ラザーク・アドティ
ブレンダン・セクストン三世 リチャード・タイソン ブライアン・ヴァン・ホルト
ニコライ・コスター・ワルドー スティーヴン・フォード オーランド・ブルーム トーマス・グイリー
エンリケ・ムルシアーノ クリス・ビーテム カーマイン・ジョヴィナッツォ ジョージ・ハリス
グレゴリー・スポーレダー ヨアン・グリフィズ チャーリー・ホフハイマー
製作国:
allcinemaの情報ページはこちら

コメント
ブラックシー街区の位置。マイナスボタンでソマリア全体をご覧ください。
↑不調のようですので、モガディシュの位置がわかる地図だけ追加しておきます。

上の地図の場所、大変狭い地域で15時間にわたって繰り広げられたアメリカの失敗作戦の模様を、リドリー・スコット監督という手練れの手を得て、リアルにリアルに再現した映画です。
戦闘シーンはさすがに見応え十分。その意味では比類のない映画です。
米軍側を、主役に的を絞って描く手法は取っていません。
そこがリアルな戦闘の描写に思わせる仕掛けなのですが、そのことは、同格の登場人物があまりに多すぎる結果になります。
(若いオーランド・ブルームさんなどまだ何者でもない顔で登場。最初にヘリから落下します。)
映画全体を観れば良いのですが、さらにマニアックに探っていきたい場合は、
登場人物紹介をされているこのかたのブログがたいへん詳しくて役に立ちます。
中でジョシュ・ハートネットさんが主役扱いされています。確かに、彼とユアン・マクレガーさんは、他の若い登場人物に比べてすでに何者かになっているので、ヘルメット姿で顔は汚れきっていても区別しやすいのは流石です。
対してソマリア側は、1、2名を除いて名前もない状態の群衆として扱われています。
きわめて不公平な視点で作られた映画と言えるでしょう。
なぜこの映画が製作されたのか、「戦闘をリアルに描こうとした」以上のテーマはなさそうです。
総指揮官ギャリソン少将(サム・シェパードさん)が、血まみれの医療室で床の血を自ら拭うシーンが印象的でした。しかし簡単に綺麗に拭えるものではありません。スコット監督の気持ちは良くわかるシーンでしたが、これとて「後悔」「反省」以上のメッセージは伝わりません。私はやはりビル・クリントンを登場させるべきだったと思います。
「民主主義国家」における戦争の責任は最高権力者に帰すべきだと強く考えるからです。
批評:事件の内容と背景の概略説明
1993年10月、米軍がソマリアで起こしたソマリア要人誘拐作戦が失敗し、ソマリア人1000人(米軍発表数、民間人多数含む)、米軍兵士18人、国連PKOマレーシア兵士1名が犠牲になった事件をアメリカ映画会社が映画化した作品です。
この事件はメディアから「モガディシュの戦闘」と呼ばれるようになりました。モガディシュとは、ソマリアの首都またはそれに準ずる大都市である都市の名称です。モガディシュの中でも戦闘が主に繰り広げられた街区の名をとって、「ブラックシーの戦い」という呼び方もされます。
当時ソマリアには国連のPKO軍が派遣されていましたが、現地政権アイディード将軍派の民兵たちと交戦状態に入っていました。
そんな状況の中、国連としてではなく、米国独自の作戦(つまり、他のPKO派遣国には秘密で)として、アイディード将軍やその副官たちを誘拐し、この内戦を一挙に鎮めようととしたのです。
作戦を実行した部隊は、例えば非公式の特殊部隊デルタやレンジャー。とてもPKO(平和維持部隊)にふさわしい連中ではありません。つまり秘密作戦なのです。
当時の米国大統領は就任一年目のビル・クリントン。
大統領の命令により(←公ではありませんが、指揮系統として当然)、現地の責任者ガリソン少将が実行に当たりました。
クリントンは、世界の目がソマリアに集まっているこの時期を狙い、国際秩序におけるアメリカの主導権を高めよう(=自分の大統領としての評価を高めよう)としたわけです。
ところが、30分で簡単に済ませる予定のこの内密の誘拐作戦が、結局は15時間も必要となり、多くの犠牲者を出す失敗作戦となったのです。
米軍の兵力だけではモガディシュ市街地で孤立している米軍兵士を救助できなくなったため、ガリソン少将はパキスタン軍など他のPKO参加国に救援を求める始末となりました。当然内密の作戦ではなくなり、単なる非合法の失敗作戦という評価になります。
さらに、アメリカにとっての悪夢が始まります。
ここからは本作では描かれていないのですが、殺害された複数の米軍兵士が、裸にされて車に引きずられる映像が全世界に配信されたのです。
(この記事を書くにあたって、ネット上の各種動画にその映像が残されていないか調べたのですが、見つけられませんでした。)
アメリカは世界に恥を撒き散らされました。
ビル・クリントン大統領はこの屈辱に耐えられず、まもなくソマリアから撤兵しました。
(国連PKOもこれに続いて撤収)
アメリカが「世界の警察」から一歩退く契機となった戦闘でした。
参考:ソマリア内戦(wikipediaより抜粋。下線は筆者。)年表
1980年1月、人民議会はバーレを大統領に選出。
1982年 反バーレの反政府武装闘争が表面化。
1988年 ソマリア内戦勃発。
1991年 1月、暫定大統領にアリ・マフディ・ムハンマドが就任。
1991年5月、反政府勢力統一ソマリ会議(USC)が首都を制圧し、バーレを追放。しかしUSCの内部で、モハメッド・ファッラ・アイディード将軍派がアリ・マフディ暫定大統領派と対立。各勢力の内部抗争により南北は再び分裂。
1991年6月、北部の旧英国領地域が「ソマリランド共和国」として独立宣言。バーレ元大統領はナイジェリアのラゴスに亡命。
1991年 アイディード将軍派に首都を追われたアリ・マフディ暫定大統領が国際連合に対しPKO部隊派遣を要請。
1992年6月、アイディード将軍がいくつかの軍閥を統合してソマリ国民同盟(英語版)(SNA)が結成される。
1992年12月、国連PKO部隊、多国籍軍を派遣。
1993年5月、武力行使を認めた第2次国連ソマリア活動展開。アイディード将軍は国連に対して宣戦布告。
1993年10月、モガディシュの戦闘。
1993年 アメリカ合衆国、ソマリアからの撤兵。
1995年3月、国連PKO部隊撤退。
『ブラックホーク・ダウン』
評価:☆☆☆☆☆・・・・・
年度:2002年公開
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。2018年BS/CSで再視聴。
監督:リドリー・スコット
原作:マーク・ボウデン
音楽:リサ・ジェラード、ハンス・ジマー
俳優:ジョシュ・ハートネット ユアン・マクレガー トム・サイズモア サム・シェパード エリック・バナ
ジェイソン・アイザックス ジョニー・ストロング ウィリアム・フィクトナー ロン・エルダード
ジェレミー・ピヴェン ヒュー・ダンシー ユエン・ブレムナー ガブリエル・カソーズ キム・コーツ
ジェリコ・イヴァネク グレン・モーシャワー トーマス・ハーディ ラザーク・アドティ
ブレンダン・セクストン三世 リチャード・タイソン ブライアン・ヴァン・ホルト
ニコライ・コスター・ワルドー スティーヴン・フォード オーランド・ブルーム トーマス・グイリー
エンリケ・ムルシアーノ クリス・ビーテム カーマイン・ジョヴィナッツォ ジョージ・ハリス
グレゴリー・スポーレダー ヨアン・グリフィズ チャーリー・ホフハイマー
製作国:
allcinemaの情報ページはこちら

コメント
ブラックシー街区の位置。マイナスボタンでソマリア全体をご覧ください。
↑不調のようですので、モガディシュの位置がわかる地図だけ追加しておきます。

上の地図の場所、大変狭い地域で15時間にわたって繰り広げられたアメリカの失敗作戦の模様を、リドリー・スコット監督という手練れの手を得て、リアルにリアルに再現した映画です。
戦闘シーンはさすがに見応え十分。その意味では比類のない映画です。
米軍側を、主役に的を絞って描く手法は取っていません。
そこがリアルな戦闘の描写に思わせる仕掛けなのですが、そのことは、同格の登場人物があまりに多すぎる結果になります。
(若いオーランド・ブルームさんなどまだ何者でもない顔で登場。最初にヘリから落下します。)
映画全体を観れば良いのですが、さらにマニアックに探っていきたい場合は、
登場人物紹介をされているこのかたのブログがたいへん詳しくて役に立ちます。
中でジョシュ・ハートネットさんが主役扱いされています。確かに、彼とユアン・マクレガーさんは、他の若い登場人物に比べてすでに何者かになっているので、ヘルメット姿で顔は汚れきっていても区別しやすいのは流石です。
対してソマリア側は、1、2名を除いて名前もない状態の群衆として扱われています。
きわめて不公平な視点で作られた映画と言えるでしょう。
なぜこの映画が製作されたのか、「戦闘をリアルに描こうとした」以上のテーマはなさそうです。
総指揮官ギャリソン少将(サム・シェパードさん)が、血まみれの医療室で床の血を自ら拭うシーンが印象的でした。しかし簡単に綺麗に拭えるものではありません。スコット監督の気持ちは良くわかるシーンでしたが、これとて「後悔」「反省」以上のメッセージは伝わりません。私はやはりビル・クリントンを登場させるべきだったと思います。
「民主主義国家」における戦争の責任は最高権力者に帰すべきだと強く考えるからです。
批評:事件の内容と背景の概略説明
1993年10月、米軍がソマリアで起こしたソマリア要人誘拐作戦が失敗し、ソマリア人1000人(米軍発表数、民間人多数含む)、米軍兵士18人、国連PKOマレーシア兵士1名が犠牲になった事件をアメリカ映画会社が映画化した作品です。
この事件はメディアから「モガディシュの戦闘」と呼ばれるようになりました。モガディシュとは、ソマリアの首都またはそれに準ずる大都市である都市の名称です。モガディシュの中でも戦闘が主に繰り広げられた街区の名をとって、「ブラックシーの戦い」という呼び方もされます。
当時ソマリアには国連のPKO軍が派遣されていましたが、現地政権アイディード将軍派の民兵たちと交戦状態に入っていました。
そんな状況の中、国連としてではなく、米国独自の作戦(つまり、他のPKO派遣国には秘密で)として、アイディード将軍やその副官たちを誘拐し、この内戦を一挙に鎮めようととしたのです。
作戦を実行した部隊は、例えば非公式の特殊部隊デルタやレンジャー。とてもPKO(平和維持部隊)にふさわしい連中ではありません。つまり秘密作戦なのです。
当時の米国大統領は就任一年目のビル・クリントン。
大統領の命令により(←公ではありませんが、指揮系統として当然)、現地の責任者ガリソン少将が実行に当たりました。
クリントンは、世界の目がソマリアに集まっているこの時期を狙い、国際秩序におけるアメリカの主導権を高めよう(=自分の大統領としての評価を高めよう)としたわけです。
ところが、30分で簡単に済ませる予定のこの内密の誘拐作戦が、結局は15時間も必要となり、多くの犠牲者を出す失敗作戦となったのです。
米軍の兵力だけではモガディシュ市街地で孤立している米軍兵士を救助できなくなったため、ガリソン少将はパキスタン軍など他のPKO参加国に救援を求める始末となりました。当然内密の作戦ではなくなり、単なる非合法の失敗作戦という評価になります。
さらに、アメリカにとっての悪夢が始まります。
ここからは本作では描かれていないのですが、殺害された複数の米軍兵士が、裸にされて車に引きずられる映像が全世界に配信されたのです。
(この記事を書くにあたって、ネット上の各種動画にその映像が残されていないか調べたのですが、見つけられませんでした。)
アメリカは世界に恥を撒き散らされました。
ビル・クリントン大統領はこの屈辱に耐えられず、まもなくソマリアから撤兵しました。
(国連PKOもこれに続いて撤収)
アメリカが「世界の警察」から一歩退く契機となった戦闘でした。
参考:ソマリア内戦(wikipediaより抜粋。下線は筆者。)年表
1980年1月、人民議会はバーレを大統領に選出。
1982年 反バーレの反政府武装闘争が表面化。
1988年 ソマリア内戦勃発。
1991年 1月、暫定大統領にアリ・マフディ・ムハンマドが就任。
1991年5月、反政府勢力統一ソマリ会議(USC)が首都を制圧し、バーレを追放。しかしUSCの内部で、モハメッド・ファッラ・アイディード将軍派がアリ・マフディ暫定大統領派と対立。各勢力の内部抗争により南北は再び分裂。
1991年6月、北部の旧英国領地域が「ソマリランド共和国」として独立宣言。バーレ元大統領はナイジェリアのラゴスに亡命。
1991年 アイディード将軍派に首都を追われたアリ・マフディ暫定大統領が国際連合に対しPKO部隊派遣を要請。
1992年6月、アイディード将軍がいくつかの軍閥を統合してソマリ国民同盟(英語版)(SNA)が結成される。
1992年12月、国連PKO部隊、多国籍軍を派遣。
1993年5月、武力行使を認めた第2次国連ソマリア活動展開。アイディード将軍は国連に対して宣戦布告。
1993年10月、モガディシュの戦闘。
1993年 アメリカ合衆国、ソマリアからの撤兵。
1995年3月、国連PKO部隊撤退。
Posted by gadogadojp at 10:00│Comments(0)
│映画
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