2018年09月30日
『大鹿村騒動記』
データ
『大鹿村騒動記』
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2011年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。
監督:阪本順治
撮影:笠松則通
主題歌:忌野清志郎
俳優:原田芳雄 大楠道代 岸部一徳 松たか子 佐藤浩市 三國連太郎
冨浦智嗣 瑛太 石橋蓮司 小野武彦 小倉一郎 でんでん 加藤虎ノ介
製作国:日本
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本稿は在庫一掃私の鑑賞記録(ログ付け)のための記事の一環です。昔書いたままの文章、短か過ぎるコメントや古い記憶に基づく記述の場合もありますのでご了承ください。再見の機会があれば、補足修正する可能性が高いです。

↑↓出典不明:支障あれば連絡をください

コメント
原田芳雄さんの遺作となった『大鹿村騒動記』。
監督は阪本順治さん。私にとっては「闇の子供たち」以来の彼の作品でした。

批評:「仇も恨も是まで是まで」
(あだもうらみもこれまでこれまで)
実在する大鹿村歌舞伎劇中のこの台詞は、この映画の登場人物の決意だけでなく、私たちにはとても馴染みのある人生の「標語」「金言」ですよね。
この台詞が作品中でもよく生かされていた作品でした。
仇や恨を消し去る為にはハレの日が必要なのだ、というのは忘れてはならない真理です。
祭りも村歌舞伎も、だからこそ今日まで命を保っているのです。
でもここでは、少し違う観点で書いていきます。
この映画は、
これが原田さんの遺作になるかも知れないと言う思いで製作されたのでしょう。
製作期間がわずか二週間だったそうです。
この短さが、よくも悪くもこの作品の性格を規定したようです。
舞台の背景となる長野県大鹿村での撮影は11月に行われました。
映画は、実際にこの大鹿村で村民の力で行われている歌舞伎公演に向かって進行します。
原田さんたち主要な出演者は、この歌舞伎に関わる人々という設定です。
大鹿村のHPによれば、大鹿歌舞伎の公演は5月と10月。
たとえば南アルプスに残雪が残る5月公演の終了時のエピソードあたりから映画をスタートさせれば、
美しい大鹿村の風景の変化を背景に取り込むことができ、
人間関係の描き方も深くなり、
良い意味での大作映画になったでしょう。
それほどこの映画の素材と出演者には魅力があるのです。

しかしそれはかないませんでした。
急いで製作しなければならないということは、歌舞伎公演直前に起こったドタバタ騒動を描くしかないということです。
つまり娯楽レベルでのコメディとして脚本を書くしかなかったことになります。
その準備期間が短かったことから起こった不満を具体的に1,2挙げます。
たとえば佐藤浩市さんの松たか子さんへの思慕の描写は、
たった一つの回想シーンでも追加されていれば、説得力がズンと深まったでしょう。
あるいは三国連太郎さんのシベリア抑留体験が、現在の彼の行動に影を落としているような描写がわずかでもあれば、
この映画は観客の心が揺さぶられる重層的な本格コメディになり得たでしょう。
存在感のあるホンモノの役者を使う限り、
制作者側はそこまで配慮する義務があるのだと私は考えます。
しかしそれは不可能でした。
おそらく原田芳雄さんの体調が許す短い期間にやり遂げなければならなかったからでしょう。
出演者たちも半ばそれを知りつつ、スケジュールを強引に調整して結集したと思われます。
ところがそのことが逆に、
この映画の魅力を生み出したとも言えます。
一人一人の役者の今しかない想いの渾身の演技の光芒が、
原田芳雄さん、岸部一徳さん、大楠道代さんという主要な三人の俳優のまわりを飛び回って包むような、
こじんまりしながらも密度の高い佳作を生みました。
これは、
合宿のような撮影現場が醸し出したとも言え、
大鹿村の風土と村民の力とも言えそうです。
褒め言葉を具体的に書くには映画の筋の本流に触れなければなりません。
「仇も恨も是まで是まで」という肝心の台詞に向き合って書きたいのですが、
残念ながら正確に思い出すことができません。
そこで最後に、
ずらり並んだ脇役たちの演技だけでなく、
原田さんの内向的な不良性、
岸部さんの外交的な不良性、
この二人の不良性がからみあうナマナマしくも飄々としたシーンを観るだけでも一見の価値があるということと、
この二人をはじめとする俳優たちの姿は、
日本のフツーの村のフツーの人々のフツーの可笑しさ、不良性に見事に立脚しているということを指摘して、
今回の筆をおくことにします。
はは、
ニッポン人は不良です。
素敵じゃないですか。
『大鹿村騒動記』
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2011年
鑑賞:封切り時にスクリーンで鑑賞。
監督:阪本順治
撮影:笠松則通
主題歌:忌野清志郎
俳優:原田芳雄 大楠道代 岸部一徳 松たか子 佐藤浩市 三國連太郎
冨浦智嗣 瑛太 石橋蓮司 小野武彦 小倉一郎 でんでん 加藤虎ノ介
製作国:日本
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本稿は

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コメント
原田芳雄さんの遺作となった『大鹿村騒動記』。
監督は阪本順治さん。私にとっては「闇の子供たち」以来の彼の作品でした。
批評:「仇も恨も是まで是まで」
(あだもうらみもこれまでこれまで)
実在する大鹿村歌舞伎劇中のこの台詞は、この映画の登場人物の決意だけでなく、私たちにはとても馴染みのある人生の「標語」「金言」ですよね。
この台詞が作品中でもよく生かされていた作品でした。
仇や恨を消し去る為にはハレの日が必要なのだ、というのは忘れてはならない真理です。
祭りも村歌舞伎も、だからこそ今日まで命を保っているのです。
でもここでは、少し違う観点で書いていきます。
この映画は、
これが原田さんの遺作になるかも知れないと言う思いで製作されたのでしょう。
製作期間がわずか二週間だったそうです。
この短さが、よくも悪くもこの作品の性格を規定したようです。
舞台の背景となる長野県大鹿村での撮影は11月に行われました。
映画は、実際にこの大鹿村で村民の力で行われている歌舞伎公演に向かって進行します。
原田さんたち主要な出演者は、この歌舞伎に関わる人々という設定です。
大鹿村のHPによれば、大鹿歌舞伎の公演は5月と10月。
たとえば南アルプスに残雪が残る5月公演の終了時のエピソードあたりから映画をスタートさせれば、
美しい大鹿村の風景の変化を背景に取り込むことができ、
人間関係の描き方も深くなり、
良い意味での大作映画になったでしょう。
それほどこの映画の素材と出演者には魅力があるのです。

しかしそれはかないませんでした。
急いで製作しなければならないということは、歌舞伎公演直前に起こったドタバタ騒動を描くしかないということです。
つまり娯楽レベルでのコメディとして脚本を書くしかなかったことになります。
その準備期間が短かったことから起こった不満を具体的に1,2挙げます。
たとえば佐藤浩市さんの松たか子さんへの思慕の描写は、
たった一つの回想シーンでも追加されていれば、説得力がズンと深まったでしょう。
あるいは三国連太郎さんのシベリア抑留体験が、現在の彼の行動に影を落としているような描写がわずかでもあれば、
この映画は観客の心が揺さぶられる重層的な本格コメディになり得たでしょう。
存在感のあるホンモノの役者を使う限り、
制作者側はそこまで配慮する義務があるのだと私は考えます。
しかしそれは不可能でした。
おそらく原田芳雄さんの体調が許す短い期間にやり遂げなければならなかったからでしょう。
出演者たちも半ばそれを知りつつ、スケジュールを強引に調整して結集したと思われます。
ところがそのことが逆に、
この映画の魅力を生み出したとも言えます。
一人一人の役者の今しかない想いの渾身の演技の光芒が、
原田芳雄さん、岸部一徳さん、大楠道代さんという主要な三人の俳優のまわりを飛び回って包むような、
こじんまりしながらも密度の高い佳作を生みました。
これは、
合宿のような撮影現場が醸し出したとも言え、
大鹿村の風土と村民の力とも言えそうです。
褒め言葉を具体的に書くには映画の筋の本流に触れなければなりません。
「仇も恨も是まで是まで」という肝心の台詞に向き合って書きたいのですが、
残念ながら正確に思い出すことができません。
そこで最後に、
ずらり並んだ脇役たちの演技だけでなく、
原田さんの内向的な不良性、
岸部さんの外交的な不良性、
この二人の不良性がからみあうナマナマしくも飄々としたシーンを観るだけでも一見の価値があるということと、
この二人をはじめとする俳優たちの姿は、
日本のフツーの村のフツーの人々のフツーの可笑しさ、不良性に見事に立脚しているということを指摘して、
今回の筆をおくことにします。
はは、
ニッポン人は不良です。
素敵じゃないですか。
Posted by gadogadojp at 10:00│Comments(0)
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