『永い言い訳』:西川美和さんが描くダメダメな奴

gadogadojp

2020年02月20日 10:00

データ
『永い言い訳』

評価:☆☆☆☆☆☆☆・・・
年度:2016年
鑑賞:ビデオ、DVDで鑑賞。2020年BS/CSで再視聴。
監督:西川美和
原作:西川美和
撮影:山崎裕
音楽:中西俊博 加藤みちあき
俳優:本木雅弘 深津絵里  竹原ピストル 堀内敬子 藤田健心 白鳥玉季
   池松壮亮 黒木華  山田真歩  松岡依都美 康すおん 岩井秀人
   戸次重幸 淵上泰史 ジジ・ぶぅ 小林勝也
製作国:日本
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予告編より


コメント

扱われた題材は私にとって好きでも得意でもありません。それだけに、観賞後に解釈を巡って自分の中で迷路に嵌ってしまい、少し困っています。そこでまず、題材・主題・本筋とは少し離れたことを書くことで頭を整理したいと思います。
ここでは配役名ではなくあえて俳優名で書きます。


私が鑑賞した西川美和監督の作品は『ディア・ドクター』など五作目になります。いずれも傑作・佳作ぞろいです。(あ、印象に残っていない『ユメ十夜 第九夜』を除いてはですが。)本作だけはTV画面で観ることになったのがいささか残念でしたが、スクリーンでなくても真価がわかるきめ細かい映画です。

本木雅弘さんが出演する映画は『シコふんじゃった。』と『おくりびと』だけしか知りませんでした。そこで彼はたいへん几帳面で徹底的な役作りをする役者だという印象でした。本作でもそう感じました。彼が演ずる作家は、自己完結型の閉ざされた人格だと看ました。案外ご本人もそういうお人柄かもしれません。妻は、本木さんの義父母があのような方たちだから、本木さんも相当な人だと考えているようです。私もそう思います。相当にヘンコだから、樹木希林さんにも内田裕也さんにも領空侵犯さえさせなかったのでしょう。本作においても素晴らしいなりきり演技で、書かれた言葉の世界でしか他者や世界と関わることができないインテリ作家役を好演しました。

深津絵里さんに関する記憶を辿っています。初主演映画『(ハル)』(1996 森田芳光監督)のポスターだったかに見入った記憶が蘇りました。この映画は今思うと見ておくべきでした。相手役が内野聖陽さんですし。その後『踊る大捜査線』でひいきの女優さんになりました。ですが決して演技に惹かれたわけではなく、私には珍しく単なるタレントファンになったのです。けれどその後役者として急速に成長されたのは皆様ご存知の通り。数えてみると(シリーズものも含め)14,5作品ほど見ています。どれだけ好きやねん、と改めて思いました。本作ではとてもきめ細かい演技と晴れやかな笑顔で少ない出番ながら影の主役を務めました。いかにも美容師らしく手際よく夫の髪を切る場面で、夫からの雑言を受け流す場面の表情や、ドアを開けて一瞬戻ったとき、揺れるケータイストラップを見たときの目など、すごい女優だなと改めて感じました。


『(ハル)』の深津さん

竹原ピストルさん。配役の妙です。世界が閉じている本木さんと線対称の位置にいる心に垣根のない長距離トラック運転手を演じています。二人とも社交性に乏しく几帳面で劣等感を持っているなど共通点が多いのですが、心の窓口の広さがまったく違うのです。これはインテリかインテリでないかという違いに他なりません。もっと言えば、傷つくのを予め恐れるか恐れないかの違いです。つまり心の防衛力の違いです。あるいは書かれた言葉で関係を結ぶ人間と行動で関係を結ぶ人間の違いです。その対比がよくわかる出色の演技です。

山田真歩さんの吃音がもう迫真。これまで私の吃音演技NO.1は『カッコーの巣の上で』(1975)にてビリー役を演じたブラッド・ドゥーリフさんでしたが、山田さんは彼を超えました。いい役者です。山田さん以外にも黒木華さん、池松壮亮さん、松岡依都美さん、康すおんさんなどを脇に配した西川美和さんはほんとに贅沢な監督です。

子役の二人もとてもナチュラルでした。本木さんがしだいに心の窓口を開いていくためには、竹原ピストルさんだけでは難しく、母親をなくしたばかりの子供たちがそばにいてくれる(いてほしい)存在として本木さんを認知する必要があったのです。その子供たちに少しでもアンナチュラルな雰囲気があればストーリーに説得力がなくなっていたはずですから。




予告編より


批評

冒頭に書いたように、私の頭の中は迷路を彷徨っています。「言い訳」とは誰の誰に対するどんな言葉・行為なのかさえ確信が持てずにいます。ですから批評などしてはいけないのですが、少しは書くべきだとも思っています。なぜなら本木さん、いや衣笠幸夫は私だからです。

誰にだって、災害や事故で、思いがけない別れを経験することがあります。日本列島の近年に限っても、1995年の阪神淡路大震災(死者6434人)や2019年の東日本大震災(死者・行方不明者18428人)などの地震で親しい人を失った方は十万や二十万人ではきかないでしょう。他にも地震・水害・事故は数知れず起こりました。そのつど、家族や友人との絆を突然断たれる人が犠牲者の何倍も出現することになります。

故人の生前に心底からの愛や友情を育んでおられた方の哀惜の深さは想像を絶します。自分の中にまだ生きている故人とどうお別れをすればいいのか、途方に暮れて何年も過ごすことになります。

一方、故人と深い関わりがあったはずなのに、実は自分のせいで心が通じ合っていなかったとしたら、そして、その災害や事故が起きるまでそのことに気付いていなかったらどうでしょう。本作で言えば、衣笠幸夫(本木さん)と衣笠夏子(深津さん)は夫婦だったのですが、幸夫は夏子と夫婦としての、心の交流ができていなかったのです。それはつまり愛だとか友情だとかいう以前の、人と人との心の通い合いができていなかったのです。その最大の原因は幸夫側にあったことは一目瞭然。夏子は美容院の同僚とも客とも友人とも人間関係を築いていたのですが、幸夫には誰一人そういう他者がいなかったのですから。

幸夫は自己完結型の人間で、自分の外に向かって表現するのは=関係を結べるのは文章でしかできない人物なのでした。つまり心の窓はとても狭小で、しかもその窓すらなかなか開かないのです。開けないのです。悪いことに、作家のくせにそのことに無自覚で、自分のそういう性癖・未熟さをいつか改善すべきだとも考えていなかった人物なのです。夏子の死後、幸夫にあてた下書きメールに「愛してない。ひとかけらも。」と書かれていて、そのショックのあまりケータイを壊すまでは。不倫相手福永智尋(黒木華さん)から「あなたは本当は誰も抱いていない」と言われるまでは。出版社の編集者から近作を批判されるまでは。

いや、そのような批判の数々だけではおそらく幸夫の殻は破れなかったでしょう。殻の中で自信を失い萎縮し小さくいじけただけだったでしょう。こういう人物が心を開くためには何か別の、自分が役に立つ、自分しか役に立てないと思える温かい何か出会いが必要なはずだ、と西川美和さんは考えたに違いありません。本作ではそのきっかけとして、夏子と共にバス旅行に行き、同じように死んでしまった友人の遺族との出会いを設定したのです。

子供との出会いを心開くきっかけにするという設定はとても納得できるとも思いますし、かなり無理筋だとも思います。私にはどちらかというと少々強引ではないかなという印象が残りました。しかし西川さんはそれを選びました。それで良いのです。そして、少々強引だと私が感じた理由は、私の中の衣笠幸夫的な殻がまだ十分にはほどけていないからでしょう。(西川美和さんも同じじゃないかな、と私は勝手にそう考えています。)そういう私は実は、、という打ち明け話は誰にも興味がないし誰の役にも立たないからうやめておきますね(笑)ただ、幸夫がもう大丈夫だろう以上に私はもう大丈夫です、と言うに留めておきます。西川監督も本作を制作したのだからきっともう大丈夫なはずです。


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