2018年12月06日
『静寂の森の凍えた姉妹』:アイスランドのペドフィリア事件
データ
『静寂の森の凍えた姉妹』GRIMMD(アイスランド語で残酷さ)(CRUELTY)
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2016年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:アントン・シーグルドソン
音楽:クリスチャン・ストゥルラ・ビャルナソン
俳優:マルグレット・ヴィルヒャムスドッティルMargrét Vilhjálmsdóttir(エッダ:主役の女性刑事)
スヴェイン・オーラフル・グンナルソンSveinn Ólafur Gunnarsson(ヨイ:相棒の男性刑事)
Júlíana Sara Gunnarsdóttir(Karítas:エッダと共同捜査にあたる女性刑事)
ピエトゥル・オスカル・シーグルドソンPetur Oskar Sigurdsson(アンドリ:エッダの弟)
ハンネス・オーリ・アウグストソンHannes Óli Ágústsson(マグニ)
Salóme Gunnarsdóttir(Fanney:被害者の母親)
Guðrún María Bjarnadóttir(Hildur:アンドリの恋人)
製作国:アイスランド
https://www.berlinale-talents.de/bt/project/profile/190138
コメント1
観客の想像力や推理力に依存するタイプの作品ですから、
たくさんの映画を観ている方にはお勧めしたい佳作です。
アイスランドの雪積もる森の中で幼い姉妹の惨殺死体が発見されました。
死因は絞殺や撲殺なのですが、妹には以前から虐待を受けていた痕跡が残っています。
警察は、性犯罪者(ペドフィリア=幼児性愛者を含む)リストから容疑者を絞ろうとします。
ところがその候補はたくさんいます。
捜査の対象になったその男たちの(警察は知らない)日常の怪しい断片が次々と映像になるものですから、観客は集中力を維持しなければなりません。
また、その対象者たちは、警察から(日常的に)監視されているし疑われることもしばしばある様子や、
周囲、例えば職場の同僚たちから激しい疎外や暴力行為を受けることもあることが描かれます。
比較的公正な警官に見える主役のエッダすら、二度の裁判で無実となった男性をいまだに被疑者扱いし、ついに自殺に追い込んでしまうのですから。
世界一安全な国とも言われるアイスランドですら、性犯罪や虐待。そしてイジメから無縁ではないことがまざまざと示されます。
そうです、場面転換こそ多いのですが、とても静かでとても陰鬱な映画です。
真犯人は最後の最後に示されますが、伏線がすべて回収されたかどうか一度見ただけではわからない作品です。
肝心な場面の映像がクローズアップにならなかったりしますし、説明はほぼありませんから、観客は想像力を駆使しなければなりません。
この辺りが私にはツボでした。面白いですよ。
面白さを満喫できた理由は、映画のツクリだけではありません。
いえそれ以上に、主要な俳優たちの演技の確かさが最大の魅力かもしれません。
人口わずか33万人強のアイスランドの映画界、侮ることなかれ、だと思いました。
マルグレット・ヴィルヒャムスドッティルさん(本作の写真ではありません)
コメント2
観客の想像力や推理力に依存している、と最初に申しました。
その一例を挙げておきます。
本筋には関係ありませんが、完全なネタバレです。
殺害された姉妹のうち妹の身体には虐待の跡があった。
殺害された時の傷だと誤解したら、この後ミスリードされっぱなし
姉の日記帳を発見した母親は、その一部を破り、警察に通報する。
破る手つきをアップしたりする親切心はないから、ぼんやり観ていると見落とす。母親が殺人犯でないことを示すと共に、隠したいことがあることがわかる。おそらく虐待だろうが。
刑事は破れたページに心当たりはないか母親に尋ねる。
母親の目が一瞬泳ぐ。その後刑事の目つきが鋭くなる。
観客はここで虐待は母親の仕業だなと確信する。刑事も確信したことがわかる。しかしそれらの説明は一切ない。
刑事のケータイに電話がかかり、刑事は酔った母親を酒場から自宅に運ぶ。母親のベッド脇のテーブルに紙切れが二枚置いてある。
刑事はそれを読むのだが、クローズアップしないし何の説明もない。しかし観客は破りとった日記のページだろうと推理する。また、酒場の主人から直接ケータイに電話がかかる可能性は低い。母親が直接迎えにきてくれと連絡したのだろう。後者の場合、母親は破りとったこと、虐待を隠していたことに耐えられなかったのだな、だからわざとテーブルに置いておいたのだなと想像できる。
ここに至って、それまでに描かれたいくつかのシーンが思い出される。
例えば、父親がこの家族を見捨てた、という捜査結果。
夫に捨てられたことが虐待の主原因であったのだろうと推理できる。
例えば、母親が自殺を図るが死に切れなかった描写。
娘二人を失ったことだけが自殺願望の原因ではなかったのだな。虐待への自責もあったのだろう。などと観客は思うのだ。
こんな調子で進んでいく映画なのです。
けっこう濃いでしょ?
『静寂の森の凍えた姉妹』GRIMMD(アイスランド語で残酷さ)(CRUELTY)
評価:☆☆☆☆☆☆・・・・
年度:2016年
鑑賞:2018年BS/CSで視聴。
監督:アントン・シーグルドソン
音楽:クリスチャン・ストゥルラ・ビャルナソン
俳優:マルグレット・ヴィルヒャムスドッティルMargrét Vilhjálmsdóttir(エッダ:主役の女性刑事)
スヴェイン・オーラフル・グンナルソンSveinn Ólafur Gunnarsson(ヨイ:相棒の男性刑事)
Júlíana Sara Gunnarsdóttir(Karítas:エッダと共同捜査にあたる女性刑事)
ピエトゥル・オスカル・シーグルドソンPetur Oskar Sigurdsson(アンドリ:エッダの弟)
ハンネス・オーリ・アウグストソンHannes Óli Ágústsson(マグニ)
Salóme Gunnarsdóttir(Fanney:被害者の母親)
Guðrún María Bjarnadóttir(Hildur:アンドリの恋人)
製作国:アイスランド
https://www.berlinale-talents.de/bt/project/profile/190138
コメント1
観客の想像力や推理力に依存するタイプの作品ですから、
たくさんの映画を観ている方にはお勧めしたい佳作です。
アイスランドの雪積もる森の中で幼い姉妹の惨殺死体が発見されました。
死因は絞殺や撲殺なのですが、妹には以前から虐待を受けていた痕跡が残っています。
警察は、性犯罪者(ペドフィリア=幼児性愛者を含む)リストから容疑者を絞ろうとします。
ところがその候補はたくさんいます。
捜査の対象になったその男たちの(警察は知らない)日常の怪しい断片が次々と映像になるものですから、観客は集中力を維持しなければなりません。
また、その対象者たちは、警察から(日常的に)監視されているし疑われることもしばしばある様子や、
周囲、例えば職場の同僚たちから激しい疎外や暴力行為を受けることもあることが描かれます。
比較的公正な警官に見える主役のエッダすら、二度の裁判で無実となった男性をいまだに被疑者扱いし、ついに自殺に追い込んでしまうのですから。
世界一安全な国とも言われるアイスランドですら、性犯罪や虐待。そしてイジメから無縁ではないことがまざまざと示されます。
そうです、場面転換こそ多いのですが、とても静かでとても陰鬱な映画です。
真犯人は最後の最後に示されますが、伏線がすべて回収されたかどうか一度見ただけではわからない作品です。
肝心な場面の映像がクローズアップにならなかったりしますし、説明はほぼありませんから、観客は想像力を駆使しなければなりません。
この辺りが私にはツボでした。面白いですよ。
面白さを満喫できた理由は、映画のツクリだけではありません。
いえそれ以上に、主要な俳優たちの演技の確かさが最大の魅力かもしれません。
人口わずか33万人強のアイスランドの映画界、侮ることなかれ、だと思いました。
マルグレット・ヴィルヒャムスドッティルさん(本作の写真ではありません)
コメント2
観客の想像力や推理力に依存している、と最初に申しました。
その一例を挙げておきます。
本筋には関係ありませんが、完全なネタバレです。
殺害された姉妹のうち妹の身体には虐待の跡があった。
殺害された時の傷だと誤解したら、この後ミスリードされっぱなし
姉の日記帳を発見した母親は、その一部を破り、警察に通報する。
破る手つきをアップしたりする親切心はないから、ぼんやり観ていると見落とす。母親が殺人犯でないことを示すと共に、隠したいことがあることがわかる。おそらく虐待だろうが。
刑事は破れたページに心当たりはないか母親に尋ねる。
母親の目が一瞬泳ぐ。その後刑事の目つきが鋭くなる。
観客はここで虐待は母親の仕業だなと確信する。刑事も確信したことがわかる。しかしそれらの説明は一切ない。
刑事のケータイに電話がかかり、刑事は酔った母親を酒場から自宅に運ぶ。母親のベッド脇のテーブルに紙切れが二枚置いてある。
刑事はそれを読むのだが、クローズアップしないし何の説明もない。しかし観客は破りとった日記のページだろうと推理する。また、酒場の主人から直接ケータイに電話がかかる可能性は低い。母親が直接迎えにきてくれと連絡したのだろう。後者の場合、母親は破りとったこと、虐待を隠していたことに耐えられなかったのだな、だからわざとテーブルに置いておいたのだなと想像できる。
ここに至って、それまでに描かれたいくつかのシーンが思い出される。
例えば、父親がこの家族を見捨てた、という捜査結果。
夫に捨てられたことが虐待の主原因であったのだろうと推理できる。
例えば、母親が自殺を図るが死に切れなかった描写。
娘二人を失ったことだけが自殺願望の原因ではなかったのだな。虐待への自責もあったのだろう。などと観客は思うのだ。
こんな調子で進んでいく映画なのです。
けっこう濃いでしょ?
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Posted by gadogadojp at 10:00│Comments(0)
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